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□12 モンロー効果

 産業化以前のヨーロッパの城というものを、実際に見た経験などあるわけないから比較のしようもないが、城は時代性を考慮してもなお、驚くほど何もなかった。ふかふかの赤い絨毯はどこにもないし、あるのはガラスのはまっていない石造りの窓に、頑丈そうなオークの家具と、冷たい石壁を覆う絵織物がいくばくか。壁にかけられた大昔の英雄譚を描いた一大絵巻や、柔らかい光を投げる白磁のランプのような洒落た小物とかも期待していたが、見事に裏切られた。おそらく、ここの物質的なシンプルさは中世の修道院に匹敵するに違いない、とヨウは思った。

 コントレーラスを倒したあの日から、既に3日が経っている。その間、ヨウは客人としてもてなされていた。客間の窓からは気持ちのいい木の香りと、もはや慣れっこになった堆肥のような臭気が漂ってくる。城を囲む城壁は一部が石造りになってはいるが、大部分は荒削りの木の杭で代用されていた。人口は、目に見える限り彼方まで合計しても、万のオーダーにも及ばないのではないかと思えた。

 コツコツとノックの音。「どうぞ」

 扉の向こうにいたのは、歩けるほどに回復したカリカだった。彼女はヨウに気安げに話しかけた。「どうだ、昼一緒にとらないか」

 両手にトレイ一杯の料理を抱えていた。オークのテーブルに料理を並べると、さっそく果実酒を差し出された。ヨウはそれを大人しく口にする。実は城に到着した夜、生の水を飲んでひどく後悔していたからだ。

 気泡を閉じ込めた、無骨でいびつなグラスを傾けると、強い酸味が舌を刺し、慣れないアルコールに頭の芯がぐらついた。なんでもない顔をしてその液体を飲み干し、尋ねた。「エリアスの調子はどうだい」

 「まずはあたしの心配をしろっての」カリカは怖い顔をしてみせた。

 「その調子ならカリカは問題ないね」

 カリカは皿に載ったいい香りのする狐色のコーンに、塩辛いグレアのハムを挟みながら楽しげに喋る。「そこいらの傭兵と一緒にするなよ。私は打たれ強いのだ。ところでエリアスだけど、お前がくれた“テラマイシン”が効いたみたいだ。教会から呼んだ治療師が驚いてたぞ」

 領主であるエリアスの父も、コントレーラスが滅びてからは快方に向かっているらしい。ヨウもコーンを頬張りながら答える。「エリアスに治癒魔法を使ったのか。そうだよな、あの傷じゃ普通助からない」

 「そうだな。まあ、それにエリアスはもともとメトセラ処置を受けているから、普通より丈夫だがな」

 「メトセラ?」

 カリカは、一瞬はっとした表情を浮かべてから、不自然に話題を変えた。城や町の人々について、天気について。ヨウと話しながら、彼女はドアの方をやけに気にしていた。やがてしびれを切らしたらしく、やや語気を強め、こう呼びかけた。「出てこいよ、エリアス」

 ヨウは椅子をガタつかせてドアの方を見た。本当にいた。ドアの木枠に、白い指と金髪がのぞいている。

 「エリアス! よかった、もう動けるんですね」

 彼女は、床の強度を確かめているような慎重さで、ヨウに近寄ってきた。「こんな格好でごめんなさい。でも、今日のうちに感謝を示さなければと思っていました」エリアスは、薄手の白いワンピースのようなものを着ていた。

 「そんな、お礼なんて」

 「いいえ、必要なことですから」傷ついたお腹を隠すように、体の前で指を組んでいた手を解き、エリアスはヨウの眉間に、すっと指先を伸ばした。

ヨウは息を呑んで、指が触れるのを待った。

慎重に、ゆっくりとエリアスは言った。「武と勇と技を通して忠誠は示された。汝の戦功に報わん」

 ちょっとばかり気まずい沈黙が流れた。エリアスは、素早くカリカの方を振り向いた。「これで間違ってないですよね?」

 カリカは笑みをかみ殺してぎこちなくあいまいな微笑を浮かべ、誠実ぶってうなづいた。

「剣士や魔術師が主君に戦功を報告するとき、このように栄典を授けるのです。ヨウ、あなたはわたしが生まれて初めて栄典の儀式をほどこした人です。もちろん父が領主で、わたしは一介の貴族の娘に過ぎません。だからこれは、私の名にかけた個人的な栄典――感謝の気持ちになりますけど」

 エリアスは言葉を切り、指先を祈るように合わせた。「それでもよいですか」

 「も、もちろん」とヨウ。

 エリアスは安堵の溜息をつき、ほころんだ口元からは控え目に歯がのぞいた。「よかった。約束は守ります。私にできることなら、ヨウの願いを叶えます」

 ヨウは目の前で、頬を素直な喜びに上気させるエリアスに、視線を走らせた。

 ――この娘にどれだけ頼れるだろうか?

 次の瞬間、ヨウは自分の計算高さに嫌気がさした。

 ヨウの沈黙を不吉にな兆候と取ったのか、エリアスはイタズラを見つかった子供に似た、上目づかいでヨウを見た。「やっぱり、それでは不満ですか?」

 ヨウは真摯に否定した。「そ、そんなことありません!」

 「そう、よかった! では、何を願いますか」

 カリカはニヤニヤ笑いを隠して、ヨウのわき腹を肘でつついた。「なあ、まさかお前エリアスが欲しいとか言い出すんじゃないだろうな。昔の物語みたいにさ」

 エリアスが悲鳴のような早口で否定した。「そ、そんなことあるわけないじゃない! ねえ、ヨウ」

 ヨウは反射的に妄想してしまう。

 ――あ、それもいいかもな。もしそうなったら僕は逆玉で次期領主ってことになるのかな? 

 そんな邪な思考が顔に出ていたのか、エリアスは怯えたような表情で、ヨウの顔をまじまじと見つめた。

 ――そんな顔で見ないでくださいよ。僕はここに落ち着くわけにはいかないんですから。

 内心の思いとは裏腹に、自然と口をついて出たのは、こんな言葉だった。「……それもいいですね」

 「「えっ」」エリアスは目を見開き、カリカまで藪をつついたら蛇が出てきて驚く子供のように、大げさに仰け反った。

 ヨウは苦笑した。「――というのは冗談です。すみません。その代わり――」一つ大きく呼吸をして、自分の声に精一杯の気迫を含ませた。「僕の世界を、救ってくださいっ」

 エリアスは目を大きく見開く。「あなたの、世界を?」

 ヨウは大きくうなづいた。「僕の世界、地球は滅亡の縁に立っています。僕はこの世界から故郷を救う手立てを見つけて、帰らなくてはならないんです。どうすれば故郷を救えるのかはまだ謎です。どうすれば帰れるのかもわかりません。でも、どうかエリアスさん、力を貸してください」

 さりげなく、帰還+救援という、2つの願いを包括的に申し出るヨウ。

 エリアスはおずおずと質す。「あなたの故郷を救う力が、わたしたちの世界にあると考えているのですね。わたしたちの世界に、あなたの故郷の役に立つほどの――見所があるとお考えですか?」

 真剣な面持ちでたずねてきたエリアスに、ヨウは少しばかり面食らう。心のどこかで、このファンタジー世界を見下していると、エリアスに見透かされたような気がしたからだ。

「え、ええ。もちろん。例えば、魔法なんかは僕の世界にはまったくありませんでしたし。魔術が生活に浸透しているなんて、小説の中にしかないほどだったんですよ」

 「本当に? では、わたしたちの魔術に興味がありますか? お父様にハム魔術同盟の魔法学院の推薦状を書いてもらうこともできますよ」

 「いえ、それも興味深いですけど、別に魔術が使えるようになりたいわけじゃありません。僕は、この世界の魔術の仕組みを知りたいんです」

 エリアスたちの頭上に、大きなハテナが浮かぶ。「それは同じことなのでは?」とエリアス。

 ヨウは首を振った。「エリアスさん、カリカ、あなたたちは、サンダーの電撃がどうやって生まれるのか説明できますか?」

 「どうやってって、そりゃ、超越した場所から火の神の力を借りるために、ウォルカをブートすればいいんだ。魔力のバイパスが開いたのを感じたら、我マギにサンダーを召喚させたまへ、と呪文を詠唱し――」

 「違う違う、そうじゃないんだ」ヨウは手を振って遮った。

 「じゃあなに」カリカはちょっとムッとしたかのように、鋭く聞き返した。

 「ごめん、魔術の具体的な召喚方法も確かに興味深いけど、そこは僕にとっては二義的な問題だ。本当に知りたいのはつまり、超越した場所から、どうやって力を取り出しているか、というその仕組みの方」

 「仕組みですか? そういったことは魔法を専門分野にしている教授たちが2千年も研究していることです。残念ながら、まだ仕組みはほとんど解明されてはいませんけど」とエリアス。

 カリカが口角と頬の中間に、皮肉な笑みを浮かべた。「世の教授連が専念しているのは、魔術の応用方法の研究だからな。ヨウはつまり、魔法の“原理”が知りたいんだろう? だったら、それが解明される日は永久に来ないだろうよ」

 「それでも」とヨウは切り出した。「魔法の仕組みを僕の世界にもたらさなければならないんです。僕の妹が、家族が、全人類が救いを待っています」全人類はともかく、前の二つを救う可能性は、既に取り返しがつかないほど潰え切っているのかもしれない。それでも手に葦が触れれば、それにすがる他はない。

 唇を開きかけてためらい、もう一度開き、エリアスはヨウに告げた。「承知しました。あなたの世界を救うのに役立つ、あらゆるお手伝いをいたします」

 「いいのかエリアス。この約束だと、どこまでも拡大解釈の余地があるけど」

 エリアスはカリカの瞳を見て、断言した。「いいのです。これは名にかけた個人的な栄典なのですから。お互いの信頼に基き、約束は名にかけて貫きます」

 「ありがとう」ヨウは期末試験を終えたときに似た、晴れやかな気分を感じた。エリアスも微笑んでいる。それがヨウには嬉しかった。

 「そうそう、ところで、ヤツを倒したときのアレはどうやったんだ」とカリカが話題を変えた。

 「最後のアレ?」

 「そ、あたしの2回目のトリプティック。1回目より間違いなく弱かったのに、なんでヤツのデフレクトを貫けたのだ?」

 「ああ、あれね。大量の奇跡を主原料として、スパイス程度の科学をふりかけたんだよ」

 「どういうこと?」

 ヨウはテーブルの上のコーンを1つ手に取り、カリカの前にそれを丸めた。カリカは困惑したようにパチパチ瞬きした。「僕が投げたコーンの形を思い出してみて。こんな三角錐をしてたでしょ」

 「そうだな」

 「強力なヤツのシールドでも、音速の推定5倍に達するメタルジェットには敵わなかったんだ。つまり、こいつはモンロー効果を利用した成形炸薬弾モドキってわけさ」

 小首を傾げるカリカに、ヨウは微笑みかけた。そして身振り手ぶりを駆使して、この世界のだれも知らないに違いない、進んだ技術の一かけらを説明した。「モンロー効果というのは、爆発の方向を一ヶ所に集中する効果のことなんだ。たとえば火薬が爆発したとき、その衝撃波は周囲に球形に広がるでしょ? こういう全周囲に向かう衝撃波の流れを、円錐形をした殻に沿って整えてやるわけ。攻撃魔法の炎で、コーンの金属はひとたまりもなく蒸発するだろうけど、形を失う前の刹那、ほんの数マイクロ秒だけ衝撃波を閉じ込めることができる。でも、それで充分な時間なんだ。衝撃波は円錐の中心で互いにぶつかり合って、一点に集中して前に噴き出した、ということだね」

 「火薬? モンロー?」エリアスとカリカは、シンクロして首を傾げた。

 彼女たちに、ヨウは屈託のない微笑みを向けた。「説明したいけど、これ以上できませんよ。それより、早くこいつらをやっつけましょう」と料理を示した。オークのテーブルにはごちそう、そして窓の外には彼らに救われたヒレンブランド領がある。この世から悪のかけらを取り除いておいて、どうして祝わずにおけるだろう。 

 カリカがグラスを突き出し、音頭をとる。各自のグラスがテーブルの中心でぶつかり合って、果実酒が飛沫をあげた。

 「ヒレンブランドを救った英雄にぃ、かんぱーい!」


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