−4楽章− 〜祖母の語らい〜
教室を飛び出し、走り始めた後、祖母の言葉が頭に浮んだ。
【この曲にはねぇ夏美、古より伝わる伝説みたいなものがあるらしいんだよ、おじいちゃん余命3ヶ月とお医者さんに言われて、いつの日だったか、急に体が動くうちに旅行に行こうと言い出してね。最後の旅行だって分かってはいたんだけど楽しかったわ。ローマ、パリ、イタリア・・・。世界各国を旅して、夏美へのお土産、今となっては何処の国で買ったかはっきり覚えてないんだけど・・・。唯一覚えているのは、ある国で、通りすがりの小さな骨董品屋におじいちゃんと入っていってね。夏美が好きそうな物を探そうと私に言いながら、お店に入ることにしたの。
店内を見ていた時にね、急に「おぉこれじゃ、これじゃ、これを探しておった〜」
って子供みたいな笑顔で嬉しそうに額に入った楽譜を手に取ったんだよ。
私は、ほこりまみれで良く見えなかったから、最初は絵かなぁ〜とも思って覗き込んだんだけどね、おじいちゃんがほこりを払い除けると、そこには音符が書かれていてね。
すぐに「これはいくら?」って大きな声を発して店員さんを呼んでたわ。
すると、奥から大柄なヒゲを生やした男の人が出てきて、「いらっしゃい」って一言。
そしておじいちゃんの手にしてるものを見て。
「すまない、それは売り物じゃないんだ、店のアートとして置いている物だから、それはどうしても譲れないねぇ。他のじゃ駄目かい?それにしてもお客さん、流調な英語だね、どこの国からかい?」。そしたらおじいちゃん嬉しそうに笑顔でこう返したらしいんだよ。
「ありがとう、この店も、話しに聞いた通り洒落た感じの店だね。私は旅行が好きで友人からこの店のことを聞いて日本から訪ねてきたのさ、旅行する内に英語も流調になってね」店の主人は「そんなに、遠い所からわざわざこんな店に来てくれたんだ、どうもありがとう」って、すごい笑顔で言って、わざわざ奥から出てきておじいちゃんに抱きついて大きな声で笑ってた。
後からあの時、「わしに抱きついて、言ってたことはこんな意味じゃ〜」って教えてくれたんだけどね。
それから何度か会話をする内に二人とも「ケンゾー」、「ルディ」って、呼び合う様になってて、私は英語ちっとも分かんないから、何を話しているのかさっぱりだったけど。
急におじいいちゃんが「ばあさん、ルディが、今からすぐに店を閉めるから食事に行こうと言っておるけど、どうじゃ?行くかい?」って聞いててきたんだよ。
だから私は「そうねぇ、今日は食事する場所も決めてないし、ルディさんにお任せしましょうか」って告げたわ。そして、3人で、ルディさんの行きつけの店で食事をとることにしたんだよ。
お店に着くなり、「リッツ。人数分のビールと、食べ物を何種類かよろしく頼むよ、お任せで」
そうルディは大声でお店のマスターに告げて、席に着くなりおじいちゃんにこう言ったらしいの。
「ここリッツの店の料理は格別だよケンゾー。口に合えばいいけれど。あぁそれはそうと、さっき聞こうと思ったんだが、どうして君は、あの楽譜を買おうとしたんだい?あの楽譜は、昔から、この地方に伝わる、おとぎ話みたいなものがあって、もしかしたらその話に出てくる楽譜かもしれないんだよ、真相は、はっきりとは判らないんだが、親父から店を継ぐ、その前の俺が子供の時から、あの額縁に入ってて、昔はよく親父からその話を聞かされ続けたもんだよ」
そう告げると同時にたくさんの料理と、ビールが運ばれてきてね。料理の量に圧倒されてる私達二人を笑顔で見つめながら、あっという間に、目の前に置いてあった瓶ビールをルディは空にしたわ。私の第一印象は、大きい声で笑う人、あとは勢いよく、ビール飲む人だったわね。
「あの楽譜を買おうとしたのは、ピアノを弾く孫がいてね、その娘のお土産にと思って古い楽譜を探していたのさ、ところで、ルディそのおとぎ話とはどういう話なんだい?」
おじいちゃんは、興味があるらしくすぐに目を輝かせて聞き返してた。
「ばあさん、ルディの店にあった楽譜、この地方に伝わる、おとぎ話の物かもしれないんじゃと、ルディに話を聞いた後ゆっくり話してやるから、ちょっと待ってなさい」
そう私に告げて、「さぁルディ、ぜひ話してみてくれ」っておじいちゃんは告げたの。
少年みたいな眼差しでルディを見つめていたわ。
「子供の頃に聞いた話で、随分時間が経っているが、記憶を辿ってみるとしよう」
そしてルディはゆっくりと話し始めたの。
「その昔、満月が水面に漂う時刻、ある湖で命を絶とうと、若い女性が湖の中心に向かって静かに歩いておった。胸元まで水に浸かり、一歩また一歩とゆっくり、ゆっくりと歩いていく、ついに口元まで水が押し寄せた時、何処からか大きな声がかかった。
『そこの者、立ち止まられよ、そこまで思いつめ、行動に移すという事は、意を決してのことと思われる、しかし、私も同じ女として、見て見ぬふりは出来ぬ、まずは立ち止まられよ』 すると湖に身を投げる寸前の女性は、一度立ち止まり、声のする方へと顔を向けた。その頬は涙で濡れ、顔には疲れが色濃く現れていたという。
声をかけたのは馬に乗っている女性で、全身を隠すような黒の服装であり、明かりは月明かりしかない、黒の衣装と闇とが同化し、姿、顔立ちは良く見えない。
あっという間に湖の淵まで馬を寄せ、何のためらいも無く湖の中に入り、命を絶とうとする女性へと向かい一歩、また一歩と歩みを速める。そして、あと少しで女性へと手が届くという距離になり声を掛けた。
『どうされた?どうしてこのような形で命を無駄にする、まずは、岸へと上がろう』
ゆっくりと手を伸ばしたが、抵抗のきざしが見え、『かまわないで−−』そう叫び、暴れながら、すかさず前を歩もうとする、その瞬間、馬上の女性は後ろから手を取り、強引に岸辺まで連れ戻った。石畳に座らせ、馬上より毛布を取り、体を包む。
『さぁ話してみなさい、必ず力になれるはずだから』そして彼女は泣きながらゆっくりと話し始めた、生い立ち、なぜに命を絶とうとしたかを・・・。
一通り話を聞き終えたのち、女性は、懐から一の指輪を取り出した。
『この指輪は「嘆きの指輪」と呼ばれる物、貴方の嘆き悲しむその気持ちを指輪が吸い取り悲しみを和らげてくれる。別名「エリスの指輪」というもの。さぁはめて楽になりなさい』そう告げ彼女に指輪を手渡した。彼女は何のためらいもなく、静かに指輪をはめる。そのとたん目の前にいた馬上の女性はその指輪へと吸い込まれ、目の前から消えた・・・。
そして指輪を扱いながらこう言ったという。
微笑みを浮かべ『やっと新しい身体へ乗り移ることが出来た』と。
自ら命を絶とうとする女性の前に現れてはな、次から次へと体を乗っ取る『魔女』として伝説になっているんじゃと。乗っ取った体が歳をとると、交換するらしい。
でもな、この話には続きがあるらしく、体を乗っ取ってでも手に入れたい物があったんじゃと、それがルディの店に置いてあった楽譜だそうだ。何故に楽譜を欲しがったかって?
愛した人の形見の品がそれしか無かったらしい。肌身離さず大事に保管していたはずが、ある時消え去り、楽譜を探す旅に出たが、旅に慣れていなかったせいか、短命にこの世を去ってしまったという。
この世に未練を残しつつ、悔いだけが残り思念が指輪へと乗り移った形だという、その後どうなったかは分からないらしい、楽譜を手に入れる事が出来たのかどうかも・・・・」
『自ら命を絶とうとすると魔女が現れる』この言葉だけがこの地方に残っているんじゃと。
「わしは未練などないから大丈夫じゃ」。私を見て笑ってた、おじいちゃん死期が近かったのに・・・。
「私は死んだとしても未練は無い」と、英語でルディに伝えてたよ。
ルディは「ケンゾ−は、元気そうだし、大丈夫、長生き出来るよ」そう言って、優しい笑顔で微笑んでた。
そしておじいちゃんは言ったの。
「わしの命は後わずか、最後の思い出作りに旅をしているんだ、医者からは余命3ヶ月と診断されたよ、悪性の腫瘍が全身に転移して、手遅れらしい。だからルディに会うのはたぶんこれが最後だと思うよ」。
頭を抱えながら「おぅ何てことだ、何かの間違いじゃないのか?信じられない・・・こんなに元気なのに」
「わしも、嘘だと思いたいんじゃが、服用する薬の数からみても嘘じゃないと思うんじゃ・・・」
ポケットから袋を取り出し。その袋に入った何十種類の薬を卓上に広げ、ちょっと寂しげな表情でルディを見つめて、そして静かに口を開いたわ。
「ルディに一つ謝らないといけないことがあるんだ、友達の紹介で店に訪ねてきたと言ったが、あれはあの時の思いつきで話してしまったことなんだ、嘘をついて本当にすまない。すまなかった」頭を下げる。
「そんなことは、どうでもいい、謝らないでケンゾー。君の気の効いた嘘のおいかげでこうやって仲良くなれたんだ。あの嘘はこの友情の為に必要な嘘だったと思うから」
「友情・・・ほんの少し時間を過ごしただけでも、ましてや歳が離れていても、友と呼んでくれるのか・・・・・ありがとう」ルディは笑顔で優しく頷いて、「あぁその通りさ。俺の大事な友人さ。もしかしたら、あの楽譜がケンゾーを呼び寄せたのかもしれないからね。俺の親父が良く言ってた言葉があるんだ。人とのめぐり会いを大切にしなさい、運命というものは、幾多のめぐり会いが重なり、その出会いが鍵となって、運命という名の大輪が廻り始めるのかもしれない、だから、出会いを素直に受け入れる、心の広さを持ちなさいとね」
「素晴らしい考え方じゃ、通りでわしとも、すぐに打ち解けたんじゃな」
おじいちゃんが、すぐに日本語に訳して話してくれて、私も素晴らしい考え方だと思ったわ。それからも楽しい話で盛り上がって、笑顔が耐えなかった。話に夢中で、卓上に広げた薬をみんな忘れててね、後で慌てて袋へと戻したんだよ。
そしてちょうどその時、ルディの腕時計をおじいちゃんが何気に見たの。夜中の12時近くだったかな?
「ルディ、そろそろ行かないと・・・。楽しくて時間を忘れてた。今日はどうもありがとう、料理もすごく美味しく、色濃い時間を過ごすことが出来たよ」そして日本語で「ありがとう」っておじいちゃんは告げたの。するとルディも「ありがとう」って真似して発音してた。二人共が、自然に握手を求めて、力強く握手を交わしたの。
店を後にして、歩きながら、ルディが「いつまで、ここに滞在するつもり?」って聞いてきたらしいわ、おじいちゃんは「明日のお昼には次の国へと旅立つつもりじゃ」って返したんだって。
すると「もう行ってしまうのか?会えなくなるのはとても辛いな・・・。
そうだ!出会えた記念に、ケンゾーが欲しがってたあの楽譜を渡そう、楽譜はあっても俺は楽器は弾けないし、あれを見るたびに、ケンゾーとタカコを思い出して、すぐにでも店を、ほったらかしにして会いに行ってしまいそうだから・・・。そしてケンゾー。いつの日かあの曲を聴かせて欲しい。それまでは元気でいて欲しい」ルディは願いをかけるように話してた。
「ばあさん明日旅立つ前にルディに店に寄ってもいいかい?あの楽譜を譲ってくれるらしい」私は頷いて「そしたら明日立ち寄ってから、行くとしましょう」
私の返答をおじいちゃんが、ルディに告げたとき、ちょうどホテルの目の前で。
「ケンゾー、タカコ、ホテルはここだよね?今日はとても楽しかった。俺は向こう側が家だから、ここでお別れしよう、明日お店で待ってるから」そう言って、おじいちゃんに抱きつき、それから私に抱きついて、挨拶を交わしたの。おじいちゃんと私は「それじゃまた明日」そう言って、笑顔で手を振ったの。あの時、おじいちゃんと別れるの、本当に寂しそうだった。
そして次の日の朝、旅支度を済ませてからお店へと向かったの。お店の入り口のドアを開けると、ルディは笑顔で待ってて。
「これをお孫さんに」そう言って夏美が今手に持っているそれを渡してくれたの。
「楽曲名は不明で、作曲者はレラ=シロスって人なんだって、ほらそこ、小さいけど名前らしいものあるでしょ?たぶん世界にこの曲しか残って無くて、歴史上に名前すら出てこないし、誰もその曲も聴いたことがない。これまでに演奏した人がいたのか居なかったのか?
それすらも分からないんだって、ルディの家系は音楽をかじった人も居なかったらしいし、誰も楽譜には興味が無かったらしいわ。楽譜を粗末に扱うことだけを禁じられてて、額縁を開けたこともないんだって、だから何枚楽譜が入っているのかも分からないんだって、おとぎ話自体には興味があったらしいけど、もしかしたら夏美が一番最初の演奏家なのかもね」】
それから祖母の話によると、ルディと別れを惜しみつつ、国から国へ三つ程旅し、一度祖国へ帰ろうという話になったらしい。
日本に帰り着いてその晩、二人にいろんな話を聞かせてもらい。話し終えた後、「少し疲れたから横になろうかのぅ、夏美いつかその曲を聴かせてくれなぁ」これが祖父の最後の言葉となった。眠るように息をひきとり、まるで自分の死期に合わせて帰国の途に着いた様だった。苦しむことなく安らかな永眠であった。
身内が亡くなったことが初めてで、ショックで一時は楽譜の存在すらも忘れていたけど。
泣いてばかりの落ち込む私に対して、祖母の一言が私を変えた。
「ショックで落ち込むのも分かるけど、おじいちゃんの聴きたがってた、あの曲を完成させなさい、それが一番おじいちゃん喜ぶことだと思うから」
そして私は額縁を開け、楽譜を取り出し、書き写す作業から始めた。所々、薄れてはいるものの、保存状態がよく、すべての音符を無事に書き写すことが出来た。
それから、もう一度、額縁を綺麗に閉じ、部屋の壁に掛けることにした。
書き写している時、ピアノの楽譜であることに気付き、早く音として表現したい衝動に駆られた。そして今日まで、時間の合間を見つけてはピアノに向かい練習に時間を費やすこととなった。
(おじいちゃん聴こえたかな?あとルディさん。弾いたのは私じゃないけど、素晴らしい曲だったよ。いつか必ずおじいちゃんの為に弾くからね。それまで待っててね。)
知美の元へと走りながら、あんな変則的な楽曲を一度見ただけで弾ける。
あの人にもう一度会いたい。もう一度、奏でる音色にふれてみたい、夏美はそう思うようになっていた。