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その指の先までも

作者: トウ・ギシ
掲載日:2026/05/29




 このごにおよんで、まだ酔狂をしようというのか。

 その男の生涯は酔狂の連続といってよい。まっとうな人間が、ながいまっとうな生活のあいまにはさみ込む酔狂ならあいきょうもあろう。この男の酔狂は、まっとうな人間が一生にする酔狂の10人ぶんをひとりでやろうというのだから始末におえない。ながい酔狂のあいまに申しわけ程度のまっとうな生活をはさみ込んでいるのがまたしみったれている。それならいっそのこと酔狂づくしでやればよいものを、そうする度胸のなさが生来の気の弱さ、人間の小ささをいえよう。なにがたのしくて、このような男の酔狂につき合わねばならぬのか……ほほ、ほ。それもまた酔狂なのかもしれぬ。とはいえ、これから彼がやろうとする酔狂は、彼がこれまでやってきたものとは、いささかおもむきを異にするようだ。ゆえに、相対的にその酔狂らしさはいやますものとなる。

 さて、この男の酔狂につき合うまえに、しょうしょう時間を遡らねばならない。

 この男、なを左田という。九州のさる寒村の出である。どうも生来こらえ性がないようで、転職をくり返している。とちに根をはることをしらず、2年前、うまれ故郷をとび出し大市街にころがり出た。としはすでに30をまわっている。毎週みる新聞の求人らんやでんわ帳ほどのあつみの求人誌。そこにしるされた甘言のかずかず。ふられたものに「女(男)なんて星のかずほどあるよ」というなぐさめにもにて空虚なものだ。おくっては返されてくる履歴書、面接のあとにくることわりの電話。さいの河原にいしつむごとく、愚鈍なほど無感覚にそのやりとりをくり返したすえ、ころがりこんだ会社を1年で辞した。

 ”生きることに怠惰“といってしまえば身もふたもない。たしょう同情的に”つつしみ深い“とでもいっておこう。傍観するがわからすれば「早くひらきなおっちゃえよ」とじれったく思う。傍目八目とはこのことだ。

 というわけで、いまだ失業中の左田である。お盆、一人まえに帰省するのである。帰らねばならない用事があるわけではない。はりあいのない毎日にいや気がさしてのことであろう。とりあえず場所をかえてみようくらいの脳天気なおもいつきにすぎない。家に帰ったところで、たいていの場合、中年の失業者を歓迎するものではない。左田がいまの境遇を家族にはなしていないのは、彼なりのこころづかいといえばほめすぎになる。いってみれば、いじめられっ子が、いじめられていることを親にいえないようなものだ。人がひとにたいするとき、対等であらねばならぬ。一方がおのれの引けめをおうておれば、対等ではいられずにげ隠れせざるをえない。だれとはいわず人にあうことを避けるであろうし、あったところで率直なきもちのやりとりはありえない。左田がいかにおろかであろうと、恩あるひとをいつわっている負いめに無感覚ではいられないのである。

 かつて左田がごくまっとうな生活をする身であったころ、未知のせいめい体や不可思議なできごとをあつかうアメリカ産テレビドラマをビデオ店でかりて見ることをたのしみにしていた。ところがどうだろう。いまは家から出ることさえ気おくれがするのだ。ビデオ店に出かけないにせよ、せっかくのいなか暮らしなのだから、やま登りなり、さなか釣りなり、いくらでもできそうなものだ。あろうことかこの男、テレビゲームをはじめた。なにかと思ったら”ゾンビもの“だ。リビングデッドどもがはいかいするまちを、ショットガンをぶっ放してはにげまわるのである。「しょうこりもなく、またホラーかよ」と突っこみたくもなる。本人もそうであったらしい。朝から深夜までゲームづけののち、非常なおそろしさにおそわれた。それを良心の呵責というのかはしらない。ゲーム機にちかよることさえ避け、犬のさんぽだの、墓まいりだのまじめくさったことをやり出したものだ。

 そのようにして、里がえりは予定の日数を消化される。左田は、職を辞したことを最後までくちに出さないまま、かえりの列車にのることになった。

”下手のかんがえ休むににたり“。「いたずらにことをあら立てるより、ここはじっとときをまつのだ。じたばたしてもはじまらぬ」というような腹をくくったことではない。ことなかれ、ひよりみ、ご都合、場あたり的、その場しのぎ、つけ焼き刃、……。ああ、なんとでもいうがいいさ。おれを「あーだ」「こーだ」いうものよ! ならば聞く。きさまはおれという人間を生きることができるのか? おれの顔、おれの筋肉と内臓、おれの神経組織、そういうもの一切がっさいをきさまと取り替えたとしよう。さあ、どんな前向きないき方を60年連続でみせてくれるのだー! とかなんとか思っちゃったりしていたりして。そんなところだ。放っておけばよろしい。

 左田は列車にのるまえに、鳥のから揚げ屋でランチをかった。骨つきチキン1本、ちゃのきび半本、ベーグル1個とドリンクだ。列車の席につくと、まえの席の背にとりつけられたテーブルトレーのうえに袋からそれらを出した。さあ、たべようとしたとき、となりの席に女がたった。おおきな荷物はたなになげ、手ものにトートバッグをのこす。セミロングの髪、ハイネックの黒のニットとデニムのひざたけベージュのスカート。としのころは20後半といったところか。女は、コーヒーショップの紙袋からサンドイッチとホットドッグをとり出してたべはじめた。”幕の内べんとうではないランチ“が、左田にこのましい印象をあたえた。

 骨つきチキンはたべやすいものではない。ふつうのおべんとうにくらべて、そのたべ方にたべるものの品性がとわれることはなはだしい。左田は背すじをのばし、そのまま前傾している。口や手からこぼれたものがひざの上やゆかに散らばらないような配慮であろう。ばらばらに分解されたこまかい骨つきにくの1本1本を口にいれ、ゆっくりにくをそいでいく。きれいに身をそがれたざんがいを紙ナプキンにとりわける。口もとも指さきも油でぬるぬるであり、小さなにくへんがくっついていたりする。ときおり、となりからのぞかれぬ位置にからだをもっていきながらふせて舌でぺろりとやる。たべつくすと、おもむろに口もとや指をナプキンでていねいにぬぐう。骨のざんがいや紙ナプキンをすぐ袋のなかにしまい、テーブルのうえをすっきりさせドリンクを一口。それら一連の動作は、もの慣れたようすでなされねばならない。

 左田は背もたれを倒しながら、となりの女のようすを盗み見た。女は背もたれに背をあずけたままたべている。デザートはクッキーだ。スカートのうえにおちたクッキーの小さなかけらを見つけた。左田には、そのことがなにか好ましいものに思われた。スカートからぬっと出ている両のあしは十分なにくづきである。またそのはだのつるんとしたことときたらどうだろう。ノースリーブの肩からおなじようにぐいとのびる両のうでもまた立派なものだ。そのほねの太さと筋肉のつき加減に見られる野生みはなにやら原始的でさえある。つるんとしているはだ。ははあ、これが女性雑誌のうしろから3分の1ページをにぎわしているエステティシャンによる美はだ効果か。この女が、ルイ・ヴィトンのバッグをさげていたり、つよい香水のにおいをさせていたりした場合、その”つるん“もべつな印象をあたえただろう。

 女は立ちあがると、たなにあげた荷物からないやらとり出した。ふたたびすわりなおし、それをまえのネットにいれる。A4判のノートとペーパークリップでとめられたコピーのたばである。左田は目が近い。その文字がアルファベットであることはしれたが、どこの言語であるか、なにについての文章であるか、判然としない。ただ独特の字でかき込みがあるのがしれた。

 左田は、列車での移動のときなど、貴重品をかならず手もとにおく。そのほかひんぱんに出しいれするものをいれるバッグは、たなのうえに置いた荷物と別あつかいにする。それは、左田がかつてバックパッカーをしていたころついた習慣だ。そのバッグから文庫本をとり出し読みはじめた。従来ならもっとおもしろく読みすすめてよいはずが、ぐずぐずさきにいかず楽しくない。

 そのうち左田はあるかおりに気がついた。香水やコロンではない。あるいはせっけんかヘアトリートメントのたぐいだろうか。ふとかすかにかおったきり、やんでおり、その正体をどうしてもつきとめられずにいる。はたして、左田はそのかおりを以前かいだことがあるのか。やもすると、あたまのなかでつくられたまぼろしのかおりではないのか? いや、そうではない。思い出したようにではあるが、たしかに感じるのであり、そのかおりはまさに、となりの彼女のものであるらしい。このことにもまた、左田はちょっとしたよろこびを感じるのであった。

 彼女はねむっている。いや、ただ目をつむってかんがえごとをしているだけかもしれない。左田は遠慮がちに彼女のよこ顔を観察する。化粧はしていない。くちびるのうえにうぶ毛がはえている。左田はそれをチャーミングだと思う。女について、万事そのように感じるわけではない。この大柄な女のにくたいが放つ動物的なものは、肉体化された教養にくるわれている。そう直感したからこその印象である。さらにからだのラインをはっきり見せるニットだから、ふくよかな胸が、ぷよぷよの四肢をしたあかんぼうのほほのようにふくらんでいるのがわかる。左田はインポテンツではないが、欲情はしていない。彼女をまぢかに見られること、つかのまであれいっしょにいられることをよろこんでいるのである。女のひざのうえに置かれたバッグにそえられた手は、そのからだにくらべると不つり合いに小さいように思える。神さまはこのひとをつくるとき、豊満さに熱中するあまりからだと手のボリュームにまで気がまわらなかったのだろう。それをぎゃくにひかえめさとおおらかさの象徴として左田は見てしまう。もうこなると左田のあたまのなかにある好ましいものすべてが、そこにすいこまれていくのである。左田は、これほどおしゃべりなからだをしらない。またあきることなくそれが語るのをきくのである。もっとおもしろいはなしをしてくれといわんばかりに見るのである。あるいは小さいこどもが母親におはなしをねだるようであったかもしれぬ。どんなおはなしであれ楽しいのである。そばにいることがここちよいのである。よほど気持ちよかったのであろう。左田はいつのまにかねむってしまった。

 左田が目をさましたとき、となりの席はあいていた。彼女がネットにさしこんだコピーもなくなっている。途中で列車をおりたらしい。おいていかれた気持ちがした。もう一度ねむろうとしたがねむれない。文庫本をひらいたけれども、読すすむことができない。しかたなくそとをながめながらかんがえごとをするのだった。かんがえごとといっても、パソコンのモニターにエンドレスでながれる映像のようなもので、うかんでは消えていくくり返しだ。ふとあのかおりのこともうかんだが、またもその正体はしれないまま、ほかのよしなしごとにながされていった。

 終点についたのは夕方だった。列車がホームにはいり、客たちがぞろぞろと出口にむかうのをまって、左田はたなの荷物をおろしはじめる。荷物を手まえにかたむけたとき、そのうえからなにやらすべって座席におちた。たてなが封筒くらいのおおきさの紙だ。拾ってみるとホテルの案内である。左田は以前コピーライターのまねごとをしたことがある。以来、チラシやリーフレットなど広告物をしゅうしゅうするのが習慣になっている。いつものように、その案内も荷物のなかにつっこんだ。

 地下鉄にのりかえてアパートにむかう。列車のなかで、さっき荷物にいれたホテルの案内をとり出す。ベージュのざら紙。かかれているのは、ホテルの料金、イラスト、ホテルのなまえ、住所、でんわ番号。それらはすべて手がきだ。イラストは、三角屋根のいえが一棟。三角のかべ一面につたがはっている。いえのそばにいちょうの木。木のしたにライトバンがとまっている。銅版をがりがりひっかいたような線だ。ラクダホテル。その案内は列車でとなりにすわった彼女がもっていたものだ。左田はそう確信している。彼女の荷物からたまたまとび出したのか、はたまた彼女が故意においたものか、もちろん後者の方がおもしろそうだから、その方向で空想するのが左田らしさというものだ。

 幕末から明治にいきた九州人、西郷隆盛のことを”感情量がゆたかな“男と表現した作家がいた。それは感受性がつよいとも、義理人情にあついともいい切れないニュアンスをふくんでいる。左田もまたいたずらに感情量がゆたかな男だ。西郷のような男ならば、その感情量というものがかたりぐさにもなろうが、左田の場合”いたずらに“としかいえないであろう。左田はおのれに向けられたひとの意志には、なにがなんでも報いねばならぬと思いこむ。ホテルの案内を故意においたひとがあるならば「そのホテルをたずねてみよ」という示唆ではあるまいか、そのこころを無にしてはならぬ、となる。ここにいたっては、もう酔狂をしでかすまで遠くはない。いそいそとたびの支度をはじめるのである。吝嗇であり、こしの重い左田が、こうもすみやかに動くことなどめずらしいことだ。その点においても、今回の酔狂は特別なものといえるだろう。ならば、このてん末につき合うことも、あながち捨てたものではないかもしれぬ。退屈しのぎにはなろうというものだ。


                  ※


 列車は谷あいの単線をゆっくりはしる各駅停車だ。おそい夏休みをとったらしい家族連れが、老人たちの出迎えをうけて無人駅におりる。ぱらり、ぱらりと降りるひとたちを何組か見送った。はたけ、田んぼ、まれに牧草地があり、くろい牛がぽつん、ぽつんと立っていたり、すわっていたり。左田はそれらをあきることなくながめた。なにゆえそうもながめるのか、本人にもしれぬ。

 列車が谷あいからいきなり平野へ出ると、ほどなく目的の駅に到着する。べつの路線が合流する駅でもあり、まちはすこしのにぎわいを見せていた。まずは駅の観光案内へ。ラクダホテルのチラシを見せ、その場所を確認すると、まちからずいぶんと郊外にくだらねばならない。そこまで出向いて満室であってはつまらない。左田は、ホテルに予約のでんわをいれてみることにした。10回くらいよびだして、もう2回まとうかと決めたとき、女のこえが返ってきた。

「はい、ラクダホテルです。ごめんなさい。おまたせしちゃって。いま買い物からかえったばかりで」

「今夜から2日ほどとまりたいんですが」

「はい、おとまりになれますよ」

 そこへのいき方をたずねると、バスで30分あまりかかるというが

「いまならお迎えにいけます。駅でおまちになってください」

 そのこえの調子には商売人のすれたところがない。またすべてにつかれたと通り一ぺんなふうもなかった。左田はすがすがしい思いで迎えをまつのである。

 駅前のロータリーに向かいのとおりからはいっては出ていく車を見る。あるものは見送り、べつのものは出迎え、出入りがたえない。それでも左田は、その車をまるでわかっていたように目でおった。ブルーマリンのライトバンが走ってきて、ぐいとあたまをこちらに入れてとまった。

「ラクダホテルのものですが、でんわをいただいた方ですか?」

 ひとの多くはとげとげをもっている。いかにねこを被ろうとも、その皮のしたから突き出てしまうとげとげだ。彼女には全身のどこにもそれらしいものがない。

「お荷物はうしろへ」

 と車の後部へまわりハッチバックをあける。そのこえのトーン。きりっとしてるがあわただしさを感じさせないかただの運び。荷物のしたに手をそえてそっとゆかに置くと、ひゅっとドアをさげてとめ、ぐいとおす。それら一連の動作のどこにもとげがない。

 意味のない動作にこそ、そのひとの性根があらわれる。左田はよろこんだ。そのような性根を目のまえにすることがしあわせなのである。左田はたいていとじている。ときにひらいてはずたずたになるので、ひらきっ放しでいては死んでしまう。その左田がいま全開でいる。彼女の性根のすべてを感じずにはおれぬらしい。

 上機嫌の左田をのせて車が駅を出る。しばらくはしるともう郊外である。あき地とはたけと住宅。おおきな河をわたって丘をまわりこむと湖が見えてくる。湖畔をめぐる道のわきに2、3軒の集落がある。本道をおれるとじゃり道。つきあたるまえで車は一度とまる。彼女は車をおりると、木でつくった門扉をおして、通れるだけのスペースをつくる。ふたたび運転席にもどり、ぐるりとハンドルを切りながら半周させて、いちょうの木のしたにとまった。

「ちょっと門をしめてきますね」

 彼女が門にむかうと、そのうしろをいえのかげかた飛び出してきたくろい生きものが追いかけていく。さかんにしっぽをふり、背なかに前足をのせようとして、彼女にしかられるのだった。

「どうぞ」

 彼女は左田を案内しながら、お客でもかまわず飛びつきたがる犬に「ゴンゾウ!」としかりつけては制している。ゴンゾウは敷地内にもうけた囲いにいれられ、左田はいえのなかにとおされる。

 外見もふるめかしが、室内もまたふるめかしい。かべは土でぬり固められたふうで、天井はふといはりがわたって、あばら状にくみ合わさっている。はいってすぐの部屋はダイニングキッチンであった。ゆかは石畳。そこをとおり抜けるとつぎの間がリビング。さらに奥へ書斎らしき部屋つづき、そのつきあたりにつぎの部屋へ通じるのだろうドアがある。リビングと書斎はその半分だけがかべで仕切られていた。くらいリビングだ。となりの部屋にまどからさしこむ夕日がもれてくる。彼女はいすをすすめ、木製のシャンデリアのスイッチをいれた。

「ホテルらしくないでしょ」

「ええ。でもかんじのいいいえですね」

 ホテルの女主人は左田が書きこんだ宿帳を受けとりながら

「ありがとう。ほんとうは、ホテルというより寮っていったほうがいいの。長期のお客さんがおおいから。ほとんどまちの大学の学生さんで、9月からまた新しいひとがはいる予定なのね。夏休みだから、6月までいた学生さんはいなくなっちゃって。だから部屋があいているときは、短期滞在のお客さんに部屋をかしてるってわけ。あーっ、もうこんな時間。食事のしたくをしなきゃ。ごめんなさい。おつかれでしょ。いまお部屋にご案内します」

 その部屋ははなれにある。ひら屋で3部屋あるむねだ。足の短いベッド、おりたたみできる机、ワンドアの冷蔵庫、きゃしゃなつくりの洋服ダンス、小さな洗面台。それらは6畳くらいのスペースにすっきり配置されている。廊下をはさんですぐがシャワー室とトイレだ。

「食事は7時ごろご用意しますから、さっきの食堂にいらしてください。では、ごゆっくり」

 彼女が出ていったあと、左田はベッドに腰をおろす。かためのマットだ。そのまま横になり目をとじた。


                  ※


 こんこん、こんこん。そのおとで左田は目がさめた。まど越しに男がノックしている。

「夕飯ですよ」

 男はそういってまどを離れた。

 食堂のテーブルについたのは、左田のほかは左田をよびにきた男だけだ。今夜のお客はこの2人らしい。

 その男、名を栃木という。栃木はまちの大学へかよう研究生である。

「夏休みに入ってしばらくしたら、おれひとりになっちゃいました。左田さんがいまいるむねに男3人、この2階に女2人の学生がいて、にぎやかだったから、急にしずかになりましたよ。おれですか、バイトがあるんでのこっています」

 大学は近いのかと左田が聞くと

「よかったらあす案内しますよ」

 と栃木がいう。栃木という男はひらいている。ならば左田がとじていることができようはずがない。


                  ※


 翌日、左田と栃木は朝食のあと、まちへ出かけた。彼らがのったバスは、橋をわたってまちの中心街へはいる。百貨店、専門店が立ちならぶ通りをぐるりとめぐって駅まえについた。ここから2人は歩く。ゆるい坂をのぼって交差点をみぎへ。道はU字にうがたれた大きなみぞのうえを横ぎる。みぞの底にはなん本ものレールがしかれ、駅のホームへつづいている。すこしのあいだ立ち止まった左田をまって、栃木はまた歩きだす。すぐさきで5叉路の大きな交差点にでる。彼らが歩いてきた通りの真向かい、2本の道ではさまれた区画が大学だ。学校のしき地は、その交差点を頂点として奥へ広がっているらしい。門からまっすぐ100mほどのなみき道をつきあたると高い塔のある建物にいたる。

「図書館です」

 栃木は建物のあついドアを押しあけ、左田をなかへいれた。室内は3階までふき抜けで、がらんとしている。建物の両サイドに階段があり、どちらも2階のドアにつづく。階段をのぼり、ドアをあけると正面に受けつけカウンター。そのみぎ奥へ扇状にゆるくカーブしながら建物はつづいている。自習棟だ。うちとそと、両方のかべにそってカウンター席が、この回廊の中央をテーブル席のしまが点々と破線をえがいてならぶ。テーブルは4人がけで2人ずつ向かい合ってすわるもので、中央がついたてで仕切られている。それらの席にはぽつりぽつりと人がいて横文字本をひらいていた。

 バームクーヘンを4等分にしたような自習棟のはしまでいってそとへ出る。そこは、図書館、講議棟、管理棟にかこまれたなか庭だ。ベンチに、しばのうえに、ちらほらとにっこう浴をするひとたちがいた。

「夏休みなのに、けっこう学生がいますね」

 という左田に

「夏期講習をやってますから」

 と栃木は説明する。

「おもしろいのやりますよ。とってみせんか?」

 栃木は返事をまたず、左田をつれて講議棟のなかにある掲示板へとむかう。そこには夏期講座の案内がはり出されていた。

「明日からやるやつなんですけど、おれもとるんですよ」

 栃木は案内のなかの1枚をさしていった。

『ボディ・パフォーマンス ~おしゃべりなからだ~』

 左田がまよっていると、栃木は

「じつは今晩、この講座の講師をやるひとがパフォーマンスをやるんですよ。左田さんも気に入るんじゃないかな。それ見てきめたらどうです?」

 栃木は左田のしらない世界にいる。左田はそのことに無関心ではいられない。その世界をのぞかずにいられない。また、のぞいたなら手に入れずにおけないはずである。

「どこでやるんですか?」

 栃木は掲示板のとなりのラックからチラシを1枚とりあげ、左田にわたす。

「さっきバスでとおったんですけど……。ここです」

 とチラシにえがかれた地図をしめした。その劇場はまちの中心街にあった。

 左田と栃木は、このあと大学内をぐるりとめぐり、公演まえの待ち合わせをしてわかれた。

 左田は、公演までの時間をつぶすため、まちの中心街へともどる。途中、大学へむかうらしい学生風のわかものたちとすれちがう。手にコーヒーショップの紙袋をもつものがおり、ふっとコーヒーのかおりがかすめた。ちかくに店があるらしい。駅からのぼってきた坂をひだりに見ながら、みぎに折れてみる。しばらくいくと、コーヒーショップを見つけた。やはり学生風のわかものが多い。学生にまじって茶をのむ。これもまた一興。彼らのなかにまぎれこむ左田である。談笑するグループ、本をよむもの、パソコンをうつもの、また目をとじて思いにふけるものの姿もある。

 カウンター席にこしかけた左田のとなりでも女学生が資料をひろげて勉強中だ。彼女は電卓をたたいている。ひだり手のゆびを5本とも器用にうごかしてキーをうつ。指づかいに規則性があるようだ。ながめるうちに、どうやらそれはかならずしも一定でないことがしれる。数字のならびぐあいで指のはこび方にロスのないやり方をえらんでいる。

 左田は彼女のノートをちらりとのぞいた。その容姿ににあわぬ無骨な字である。その字のいさぎよい不器量さに、ふとなつかしさをおぼえた。おなじ字を書くひとをつい最近見たばかりだ。左田もまた、コーヒーのかおりただよう店内で、もの思いにふけるのである。


                  ※


 その晩、ラクダホテルへむかうバスのなかで、左田は興奮している。実際、公演を見ている最中、だれかれかまわず話しかけたくてしかたなかった。いやはや見るシーン、見るシーンに語るべきものを見つけてしまううれしさときたら、たまらないものらしい。あまりに語るべきものが多すぎて覚えていられないというのだ。忘れてしまわないうちにだれかに話しておきたい気持ちもわからないではない。

 それはそれ、左田といえどもおとなの節度をおもんずるものである。むやみやたらと一方的にしゃべりまくるなどふしだらなまねはつつしんでいる。あいづちはうつものの、栃木の話もうわのそら、つぎにどこで自らの語りたいことを語るかチャンスをうかがい、どう語るべきかを考えていたのだから、いざそのとき、さきばしりする気持ちをおさえるのがたいへんである。

「全身しろぬりの集団がくねくねするのがあるのは知ってましたがね。それを意識してかしないのか、彼らは全身くろタイツでしょ。しかもですよ。男も女ももっさりブリーフをはいている。それにわをかけて見のがせないのは、ブリーフのおしりに手がきでなにか書いてある。みると『鈴木』『田中』『中村』……でしょ。わらいましたね」

 たしかに左田は公演の間ずっとわらっていた。栃木が気づいていたかはしらない。がはがはのわらいではなく、にやにやのわらいであったのだから。

「コンテンポラリーダンスって、やたらかっこいい感じがありますがね。しゅっとして、きたえぬかれたこのからだ、全身こればね、むち。ひょー! ひざがぎゃくに曲がってるよーとか。それにくらべて、あのひとたちみんな、そんなダンサー体型でないんですね」

 サルビアン・ナイトは猿谷昇をリーダーとするパフォーマンスユニットだ。その日の出演者は総勢27名。クラシック、モダン、ジャズ……などダンス経験者は1人もいない。これをダンスと呼ぶのかはしらない。パントマイムでもなく、芝居でもないだろう。舞台上にはセットらしきものはなにもない。照明と音楽と身体とで構成されるパフォーマンスというほかない。ストーリーも意味もないだろう。あってもいいがなくても十分たのしい。

 たとえばファッションモデル。ちいさい頭、ながい手足、それらを強調する衣装。彼らが歩く、回転する、とぶ。うつくしいかもしれぬ。サルビアンにでてくるひとたちはモデルたちのように世界標準とされる体型ではない。しかしながら、あるぎりぎりのところでおもしろい。

 左田はつづける。

「”よくぞ、そこへいたれり“ちゅう感じでね。”ちからを尽くして狭き門からでた“みたいな。たわいもないことをやっているように見えて、”実はもうそこしかなかったんだ“的な微妙なバランスであの場所にたってるんだと思いますよ」

 栃木はわらいながら聞いている。そして

「さすが左田さんだ」

 としめくくった。


                  ※


 はたして翌日、大学内のスタジオに左田のすがたを見つけることになる。

 猿谷氏は、講座の冒頭で生徒に質問する。

「サルビアン・ナイトの公演を見たことない方はいらっしゃいますか?」

 2、3のものが手をあげる。

「後悔しますよ~」

 20名ほどあつまった生徒のなかには本格的ダンスレッスンを受けたものもいるらしい。そのきゅっとした体型はまさにそれであるし、華麗なダンステクを披露するダンサーらがレッスンするテレビ番組でみかけるしゃれた出で立ちをしている。

 猿谷氏の冗談めかした注意は、こじゃれた気分にひたりたいものをやんわりさとしたものともとれる。左田がそれを聞いていっきょにひらいたように”わらいとばしましょうよ“という姿勢に全身で共感するものんも少なからずいるだろう。

 猿谷氏はつづいてみずから持参したビデオテープの解説をする。それもまた示唆にとむものだと思ってまちがいはない。

 まずテレビでよく見るアルコール飲料のコマーシャルである。ふんどしにはっぴ姿のあらくれ男どもが、商品名を連呼しながらT-REXのリズムでダンスする。男どもはたてよこ整然とならび、神妙な顔をしてぴったりいきのあった豪壮なおどりっぷりだ。最前列、中央に人気アイドルグループのメンバーがまじっている。それぞれがその場で一連のどうさをくり返す。単調なものだが、そこがつぼである。

 猿谷氏はテープをいったん巻き戻すと、静止させ

「このひとに注目してください」

 といってふたたび再生する。

 画面のはしの方にいる男は、オレイズムなひとだった。「どうだ」といわんばかりの身のこなしが、なるほど強烈な自己主張オーラをはなっている。

 猿谷氏は再度巻き戻し

「今度はこのひと」

 とべつの男をゆびさし、再生した。

 こちらはやる気がないのだか指さきがしゃんとしていない。オレイズムな男が見れば激怒ものだ。おや! と左田が目を引かれたところを猿谷氏はスローモーションで再生する。やっぱりである。その男は、一瞬のすきをついて、はっぴのすそをちらりとめくって見せているのだ。

 猿谷氏のおもしろビデオ講座はとどまるところをしらぬのである。とりあげる素材は、ミュージックビデオ、映画、舞台など。いずれも共通するのは、低予算でありながら、またはあるために、こっけいなほどの真剣さにつらぬかれていることだった。しゃれた美術もコンピュータグラフィックによる特殊効果もありゃしない。それらをおぎなって、さらにあまってあふれ出すほどの誠実さと、おぎないきれずにショートしているはじらいを見はしなかっただろうか? いや、見える、または見たいものにしか見えぬのであろう。一般人にはなにがおもしろいのかしれぬものに興味をしめす たとえば猿谷氏のような じっと見つめるものにより解説され、心霊写真にもにて、おぼろげにその象に気づくのが世間の大半である。にもかかわらず、左田は見てしまったのだ。因果なものである。これこそ酔狂に見入られた男の悲劇にちがいない。本人はそんなことなどおかまいなく、無邪気によろこんでいるのだから始末におえない。1人あそびに興じているうちは害もなかろうし、知らぬふりしてさきへいくよりほかない。

 ビデオ講座につづいて、猿谷氏の指導によるパフォーマンスの実践にうつる。

 彼らは歩く。ただ歩くのである。歩くすがたにそのひとの性根があらわれることを左田はすでに知っている。それならば、左田がそのように歩けることはいささかも不思議ではない。ふたたび、ファッションモデルがショーで歩くすがたを想像しよう。なるほどうつくしかろう。人間とうまれたからには、そのようなうつくしいすがたになってみるのも一興。いっぽうで”欽ちゃん走り“である。あるいは表彰台にむかう途中でこけるのである。それらが意図されたものか、あるいはたくまずになってしまったものかはさておき、おかしみなり愛らしさなり、そのまま見続けていたく思うかどうか? 「そのような性根よ、あれよかし」と願ったものがあるならば、見よ! ここにかなえられたのだ。

”歩くこと“にさまざまなバリエーションをくわえての演技をひととおり終えると、栃木は左田にいったものだ。

「左田さんのは、なんともおもしろいです」

「うや、栃木くんのいいですよ」

 それは社交辞令ではない。サルビアン・ナイトをたのしいでしまうものがみな一様にかかえこんでいる病、この症状があらわになっただけである。病気をほめられてよろこんでいていいのか? ここで苦笑する双方、きわめて正しいやりとりといえよう。

 猿谷氏の指導はたくみである。

「そこは歩きはじめてまもない赤ちゃんが加速する感じで」

「ももたろう侍が最後に『ふーっ』ていうきもちのふり返りで。ちょっと残心ね」

 よーし、それならば、ふいてもふいてもパンツについてしまううんすじへのいらだちをこめて、この指さきののびは! と負けずにひとりごちる。左田もなかなかのりのりなのだ。

 従来ならば、なんら意味をもたないうでの上げ下げ、あしの運びに独自の解釈をくわえ、奇妙なオブジェにばける。サルビアン・ナイトの神髄は、無から有をうみだす錬金術性にあるといえよう。

 左田はその天性のゆがみゆえに、いまサルビアン・ナイトの洗礼をへて、かたり部たる道をひらかれた。しかしながら以前として、なんびともさきを見通すことはできない。いかなるひかりをかざそうとも、足もとをてらすにすぎない。ひとびとはその道のまえで茫然とたつ。左田もまた例外ではない。


                  ※


 その晩、帰りがおそくなり、左田と栃木はホテルまで歩いた。講座で知り合ったなかまと食事会となり、ついつい帰りそびれて最終バスにのりそこなったのだ。

 栃木がぼやく。

「男ってやつはばかですね。さっきとなりのすわった女の子がですね。こう『いやだー!』とかおれのうでをはたいたりするわけですよ。あるときはですね、こう、洋服のすそを指でつまんでついてくるとか。あ~やだ! ああいうことは、無意識にできてしまうものなんでしょうかね……」

「ふむ」

「左田さん、ないですか? そういうの」

「ふむ」

「じゃあですね、今日、気になるひとはいました?」

 栃木はずいぶんと酔っているようだ。

「あのさ、かおりってのはどうだろう」

「香水とか」

「ふむ。なんなんだろうな」

「せっけん? シャンプー?」

「お香かな~」

「それもありますね。左田さん、古着屋はいきます? 古着屋のにおいって、お香っぽくないですか?」

「すごい微香性なんだよ」

「ニットものって、ときどきいいかおりしますよ。あれって柔軟剤ですよね。満員列車なんかでセーターの女のひとのとなりにいると、すっごいセーターに顔近づけたくなりません? うひゃー、なにいってんだろ。ばかじゃねーのおれ」

 小1時間あるいた。橋をわたり、湖をめぐり、おもて通りとちいさな集落をつなぐじゃり道におれた。車ならそのまま奥へいって、ホテルの向こうがわから回りこむ。かってしったる学生らは、おもて通りから近いこちらの門から出入りする。門に近づくと、栃木はバッグのなかからビニール袋をとりだした。左田は、栃木がさきほどの居酒屋で残りもののから揚げをつめこむのを見ている。門をあけるまえに、栃木はそのから揚げをつまみあげてひくい声をなげた。

「ゴンゾウ!」

 3度目にくろい物体がかげからとびだしてきた。しっぽをぶるんぶるんふりまわして門にとびつく。

「夜のあいだは、かこいから出てますからね。うっかりわすれてなかに入っちゃうとたいへんです。このあいだまでここにいた女のひとなんか、雨上がりのよるに帰ってきたんですよ。ゴンゾウは女のひと大好きですから、ぶるんぶるんとびついちゃって」

 栃木はゴンゾウにから揚げをあたえる。そのすきに2人ははなれのむねに入った。左田は、部屋にはいる栃木を見送る。栃木の部屋のドアをあけたとき、ちらりとおくが見通せた。栃木の部屋のまどは、生け垣とホテルにはさまれたうら庭にめんしている。その一角はもの干し場になっており、その日もシーツが干したままだ。あの日、そこにくろいニットのノースリーブとベージュのスカートが干されていたことを、栃木が見ていたかどうかはしらない。

 いま、栃木と左田は、のりのきいたシーツのなかでしあわせな眠りについたところだ。


                  ※


前略 左田様

 手紙ありがとうございます。その後、仕事さがしは順調ですか?

 こちらは、左田さんが発ってからまもなく、あたらしい学生がはいってきて、またにぎやかになりました。

 このあいだ、サルビアン・ナイトの猿谷さんにあいました。こんど、全国ツアーをやるので、それへ向けて準備中とのことです。そのツアーのためにあたらしくパフォーマーのオーディションをやるそうで、もしかしたら左田さんは興味がないかなとおもって、募集のチラシをいれておきました。

 それと、さっきあたらしい学生といいましたが、なじみのひとがひとり帰ってきました。ゴンゾウに飛びかかられた女のひとのはなしをおぼえていますか? あのひとです。その彼女も猿谷さんのプロジェクトに参加するんだそうです。なんかふるいしりあいらしいです。

 ひまができたら、どうぞ気軽にあそびにきてください。またお会いできることをたのしみにしています。

草々

栃木 和久


                  ※


 昼間はビジネスマンや買い物客がひしめく大市街だ。夜おそくまで、酔っぱらい、にいちゃん、ねえちゃんの往来がたえず、こうこうとあかるい駅の西口とことなり、高層ビルがたちならぶ東口はこの時間ともなれば街灯のあかりもよわよわしく、ひとの通りも閑散としている。

 ぽかりぽかりとあかいランプが点灯するビル群のした、なん本にもえだ分かれする歩道橋を、ひとりの男がのぼっている。階段の途中、あたまのなかで、ヘビーローテーションナンバー、T-REXがながれだす。英語の歌詞はわからぬが、デンだかバンだかベースのリズムを、そのたぐいの適当なフレーズにおきかえて口ずさみはじめる。すると、ふいに足をバックでクロスさせる。こきざみなステップをくり返して階段をのぼりきり、ふたたびクロスしてくるりと回転する。こしをくねらせ、うでをねじり、ひじをつきだし、手首をまわす。ゆっくりと、ときにすばやく。うでとあしを交差させ、ひらき、からだを奇妙な方向に傾斜させ、ぴんとのびる。その指の先までのびる。ただひたすらに、まっすぐに。からだのさきというさきから吹き出せといわんばかりにのびる。

 ただひたすらに

 その指の先までも。




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