↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
戦国不精で何が悪い〜米作りとか面倒なのでやめました〜 ―神様のチート、無意味でしたよ。人口比10対1の東北なのに、なぜか天下が見えてきたかも―  作者: 犬童好嬉


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

95/284

第91話 貴方と越えたい箱根越え

あと数日もすれば、一行は京へ向けて旅立つ。


館の中もどこか落ち着かず、人の出入りも増えていた。荷の確認、干物の見分、銭の勘定、打ち合わせ――普段は静かな大和田館も、この頃ばかりは朝から慌ただしい。


そんな中でも、貴丸だけは相変わらずだった。


その日も朝餉の刻に盛大に遅れて現れる。しかも今日は、髪がひどかった。


寝乱れて寝癖が全て前へ向かって突き出している。どうすれば寝ているだけでそうなるのか、誰にも分からない。


部屋へ入るなり、貴丸は半分閉じた目のまま席へ座り、「……おそだきます」ぼそりと声が揺れ堕ちる。


だが、もはや誰も突っ込まない。


慶久などは湯気の立つ汁を啜りながら、「今日は前へ向いておるのか」とだけ呟いている。


ちなみに、この館の朝餉は、武家としてはかなり違和感があった。慶久、元伯、琴、貴丸、敦丸。


さらにもはや半ば館の者のような希丸に、客人である空然。そして近頃では修平まで、自然と同じ席へ加わっている。


本来ならば、武家では身分ごとに席を分けるのが当たり前である。だがある日、貴丸が心底どうでもよさそうに言った。


「みんなで食べれば良ぐね?」


その一言で、慶久が「……まぁ、よかろう」と頷いてしまったのが始まりだった。


もっとも、お佳や敏らまで同席するとなると、「膳を置く最中も落ち着きませぬ」と必死に辞退したため、そこだけは別になっている。


この頃になると、乳母の直も幼い娘の栞を連れて朝餉へ顔を出すようになっていた。


直によく似て、栞もまた驚くほど大人しい。最近では、ようやく歩き始めた緋野の相手を、いつも静かにしてくれている。


その緋野も、今は小さな椀を両手で抱え、貴丸が以前口にした“離乳食”なるものを、口の周りを汚しながら一生懸命食べていた。


まさに愛らしさの盛りであった。


そんな穏やかな朝餉の最中だった。貴丸が焼き魚をほぐしながら、不意に口を開く。


「で、都には誰が行くん?」


その言葉に、慶久の箸が止まった。


「あ」どうやら失念していたらしい。


都行きそのものは決まっている。


だが、誰を名代として送り、誰が付き従うか、その肝心な部分が、慌ただしさに紛れてまだ固まっていなかったのだ。


すると貴丸が、味噌汁を啜りながら当然のように言う。


「爺様が行けば良くね?」


その言葉に、慶久は一瞬だけ黙り、それから静かに元伯へ向き直った。


「父上……都には伝もございましょう。それに道中、今川領へ立ち寄ることもあるやもしれませぬ。もし、お引き受けいただけるのであれば――」


実のところ、慶久は前から元伯へ頼みたいとは思っていた。


だが半年近くもこの地を空けさせることになる。年齢を考えれば、流石に負担が大きいのではないかと、言い出せずにいたのだ。


元伯はしばらく黙って汁椀を置き、それから静かに頷いた。


「……よかろう」


その一言に、慶久は目に見えて安堵する。


空然もまた、「それが最も穏当でしょうな」と静かに頷いた。


すると、そこへ。障子の向こうから、ぱたぱたと足音が近づいてくる。


「失礼いたします」


敏だった。軽く頭を下げると、やや困惑した顔で口を開く。


「銀四郎様をお訪ねのお客様がお見えです」


その言葉に、貴丸が首を傾げた。


「銀四郎?」


だが次の瞬間、何か思い当たったように、眠たげだった目が少しだけ開く。


そして、にやりと笑った。


「……もしかして、箱根の?」





やがて銀四郎が一度表へ下がり、しばらくして戻ってきた。食事の席へ入るなり、静かに一礼する。


「慶久様。以前、お話ししておりました箱根の知り合いが、一族を連れて参りました。石川市兵衛――という者にございます」


その名に、元伯がぴくりと眉を動かした。


「……市兵衛殿か」懐かしむような声だった。


銀四郎が小さく頷く。


すると元伯は、すぐに立ち上がる。


「まずは広間へ通せ。慶久、構わぬよな?」


その一言で、皆も朝餉を急いで口へ運び始めた


慶久、元伯、琴、空然。敦丸に希丸まで、ぞろぞろと席を立っていく。


だが、その流れの中で。貴丸だけは、すっと逆方向へ逃げようとしていた。


気配を殺し、廊下の角から自室へ消えようとする。


しかし。「……貴丸」琴の低い声が飛んだ。


ぴたり、と足が止まる。


振り返れば、母の細い目がじっとこちらを見ていた。貴丸は数瞬だけ固まり、それから露骨に嫌そうな顔をする。


「広間はそちらではありませんよ」


「……はい」諦めたように肩を落とし、とぼとぼ最後尾へ回った。



広間へ入ると、そこには十人ほどの一団が、深く平伏して待っていた。


中央には三十を少し過ぎたほどの男と、その妻らしき女。


その後ろには、十代半ばほどの姉弟が二人並び、さらに白髪混じりの老夫婦と、壮年の男女が控えている。


皆、旅塵にまみれていた。


衣は擦り切れ、袖口も泥で黒ずんでいる。脇へ揃えられた草鞋など、九十九折りの山道でも越えてきたのかと思うほど潰れていた。


長い旅だったのだろう。だが、その姿勢だけは崩れていない。


慶久が上座へ座り、元伯、琴、空然が脇へ並ぶ。


一方の貴丸はというと、入り口脇へごろりと腰を落とし、柱へ背を預けて足を投げ出した。


慶久の眉がぴくりと動く。しかし、客人の前で言うのも面倒だったのだろう。


結局、そのままにした。


やがて慶久が穏やかに口を開く。


「銀四郎――いや、盛影より聞いておる。父上とも旧知とか。そう固くならず話されよ。もう少しこちらへ寄られるが良かろう」


すると中央の男が、ゆっくり頭を上げた。


片目には布が巻かれている。さらに立ち上がる際、片足をわずかに引きずっていた。


「……相模国足柄下郡畑宿の者。石川市兵衛と申します」


声は低く、どこか掠れていた。


「元は盛影殿と同じく、忍び働きをしておりました。末端ではございますが、武士としても召し抱えられておりました」


そこで一度言葉を切る。


「されど戦にて、腕と足、それに片目を潰しまして」


見ると、右腕は肩から上がりづらそうだった。


「もはや戦働きも、忍び働きも叶いませぬ」


広間へ静かな空気が落ちる。


市兵衛は淡々と続けた。


「農も試しました。ですが足が利かず、腕も上がらぬ。鍬を振るうにも限りがございます」


「ゆえに木工を学ぼうと致しました。元々、手先働きは嫌いではございませなんだ」


だが、と苦く笑う。


「“座”の壁は厚うございました」


その場にいた者たちも、事情は分かる。この時代、職人には座がある。


土地ごとのしがらみ、親方筋、古くからの縄張り。よそ者が突然入り込み、仕事を得られるほど甘くはない。


まして市兵衛は元武士。露骨に追い払われはせぬ。だが、後ろ盾も師もなく、生業にできるほど甘い世界ではなかった。


「子もおります。食わせねばなりませぬ」


その言葉に、後ろの姉弟が小さく身を縮めた。


「その折、昔……元伯様より、“請戸へ来れば、何か働きもあろう”との言葉を頂いたのを思い出しまして。盛影殿もまた、陸奥へ移ると言っておりましたゆえ、それを頼りに参りました」


元伯は静かに頷いている。


「常陸までは船で。そこから先は歩きにございました」


老夫婦の脱いだ草鞋を見ると、はほとんど潰れていた。山道を越え、時に小夜時雨のような冷たい雨にも打たれたのだろう。


旅の湿気が、まだ衣へ染みついているようだった。


「最後は路銀も尽きまして……まこと、一縷の頼みにございました」


そう言って、市兵衛たちは再び深く頭を下げる。


慶久はしばらく黙っていたが、やがて静かに頷いた。


「この地は木工職人が少ない。来てくれるだけでもありがたい」


その一言に、市兵衛の肩がわずかに震える。


「近隣に空き家がある。まずは、そこを使われよ」


瞬間、一族全員が深々と平伏した。


「ありがたき幸せにございます……!」


だが、その時だった。


市兵衛の後ろにいた壮年の男――弟らしき人物が、静かに口を開く。その目には、なお鋭さがあった。


「我ら兄弟、忍びの技そのものは、まだ多少残っております。命のやり取りのような働きは難しゅうございますが……道筋の探り、人の噂、荷の流れを見る程度なら、お役に立てるやもしれませぬ」


それまで柱へ凭れてぼんやりしていた貴丸が、ぴくりと反応した。そして、そのまま気の抜けた格好で口を挟む。


「ん? 情報……えぇと…探りが出来る人、欲しかったんだよね」


全員の視線が、貴丸へ向いた。だが本人は気にしない。


「銀……盛影さん一人だと、大変だし。そういうの出来る人、増えた方が良いと思う」


兄弟は一瞬、「誰だこの童は」という顔をした。


だが、「……はっ」とりあえず頷く。


すると今度は、貴丸が市兵衛へ視線を向けた。


「木工以外にも、なんか作ったりしたい?」


突然の問いに、市兵衛が少し驚く。


「……手仕事そのものは、好きにございます」


すると隣の妻――お容が、静かに頭を下げた。


「父が、元々指物師にございました」


戦で命を落としたらしい。


「幼い頃より、細工は少し習っております。もし許されるなら、夫を手伝いたく」


さらに市兵衛も続ける。


「船大工や、水車普請の手伝いなども、多少は。大した腕ではございませぬが……」


そこまで聞いたところで。貴丸が、ふむ、と鼻を鳴らした。ぽつりと呟く。


「……箱根だよね…確か、何かあったよなぁ……」




その一行がこの地へ至るまでの道は、決して平穏なものではなかった。


箱根の山道は、峠へと続く谷筋を遠くに見下ろしながら、風の群れが絶えず尾根を撫でていた。


谷あいの沢から立ちのぼる冷気は肌を刺すほどで、足元の木橋を渡るたびに、誰もが無言で歩みを確かめたという。


ときに道は急な斜面となり、倒木の続く山肌を縫うように進むほかなかった。苔むした岩肌は滑りやすく、一歩踏み外せば谷へ落ちかねぬほどの険しさである。


そうした山道の果てに、ようやく辿り着くのが、人の気配をひそめた山間の隠れ里のような集落であり、そこが市兵衛たちの拠点であった。


あれこれ面倒を嫌がる時の顔ではない。その顔を見た慶久は、なんとなく察する。


――また何か始まる。


そして大抵、こういう時の貴丸は、ろくでもない。


まるで、山が静かに鳴る前のように。

あの歌詞は伊豆から河津町の峠の歌でしたか。。

伊豆踊り子。。あれは、ね。。現実は悲しい話です。。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
忍びはまだないね 素ッ波乱波働きかな
指し物で箱根かぁ~箱根寄木細工とか良いよね
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。