第78話 また呼び出し
貴丸と空然はとりとめもなく続けていた。
言葉は時に途切れ、貴丸がうつらうつらと舟を漕げば、空然はそれに合わせるように口を閉ざし、静かな時間が流れる。
やがて貴丸がふと目を覚ませば、何事もなかったかのようにまた他愛もない話が再開される――そんな緩やかな繰り返しの中で、日は傾き、縁側に差す光も次第に冷えを帯びていった。
その穏やかさを破るように、足音が慌ただしく近づいてくる。
やがて慶久が、ほとんど駆け込むようにして現れ、そのまま貴丸の前へどかりと腰を落とした。
その表情は明らかにただ事ではなく、空然もすぐに姿勢を正す。だが、当の貴丸だけは変わらない。
縁側に横向きに寝転び、頬杖をついたまま、半分眠たげな目で慶久を見上げる。
「親父様、どうしたの。そんなに慌てて。慌てる御薦は実入りが少ないっていうよ?」
軽口に、慶久は一瞬だけ顔をしかめたが、言い返す代わりに一通の書状を突きつけるように差し出した。
「貴丸! また盛胤様から書状が来たぞ」
その名を聞いた途端、貴丸の顔が露骨に歪む。
「えぇー……」
心底嫌そうな声を漏らしながらも、貴丸は寝転んだまま手を伸ばし、書状を受け取った。そして体勢も変えぬまま、だらしなく封を切る。
中身は簡潔だった。
「此度富岡之城取候儀、誠に見事之働に候。
先々申され候通り、かくも早く事を成され候段、年若き身にては、殊に驚入候。
慶久并嫡男之忠節、深く感じ入候。
仍而、其始末委細直に承り度、且は相応之褒美可被下候。
各々息災に候はば、面々見参候へ。
嫡男相伴、相馬中村之城へ可有参上候、期して待入候。
相馬弾正大弼 謹言」
(貴丸の脳内での今時訳)
「今回の富岡の城取り、マジでエグくない? めっちゃ見事なんだけど〜!
前に言ってた通りにサクッと決めてるの、歳がバグってて普通にヤバい、びびったわ〜。
慶久とあんた、二人とも神ムーブ。ちゃんと評価してるから!
てことで、そのときの話聞きたいし、盛るから期待して〜。
元気なら顔見せに来てよ〜。
貴丸も連れて、相馬中村城まで来てね。待ってるから!
――相馬弾正大弼 とりまそんな感じ〜」
(……なのか?)
貴丸の異訳は置いておくとして、文面だけ見れば穏やかである。だが、その裏にある意味は誰の目にも明らかだった。
――断るという選択肢は、最初から存在しない。
貴丸はしばし無言で書状を眺めていたが、やがてそのまま顔を横に向け、縁側に頬を預ける。
そして、何事もなかったかのように思考を巡らせ始める。
どうすれば行かずに済むか――。その一点だけを、やけに真剣な顔で。
しかし、その浅ましい企みは、あまりにもあっけなく断ち切られる。
縁側に落ちる夕の気配の中、慶久は低く、だが逃げ場のない調子で言い渡した。
「貴丸、先触れは明日出す。ゆえに――明後日には発つぞ」
言葉は短く、それでいて余地が一切ない。空気がわずかに張り詰める。
その瞬間、貴丸は一拍の間も置かず、すう、と息を吸い込み――次の瞬間には、見事なまでに白々しい鼾をかき始めていた。
まるで「聞いていない」とでも言わんばかりに、横向きのまま規則正しく鼻を鳴らす。
だが、そんな小細工で誤魔化せる相手ではない。
慶久は眉一つ動かさず、ただじっとその様子を見下ろし、やがて呆れと苛立ちを混ぜた声を落とす。
「……そんな見え見えの鼾で……急に寝入る者があるか。わしを愚弄しておるのか」
ぴたり、と鼾が止まる。
次の瞬間、貴丸は何事もなかったかのようにむくりと起き上がり、間を一つ置いてから、あっさりと言った。
「はい」
あまりにも素直すぎる肯定に、慶久は一瞬だけ言葉を失い、こめかみにわずかな血が上る。
しかし怒声を上げる代わりに、深く息を吐き、別の方向から釘を刺した。
「貴丸――くれぐれも明日は、あの妙な“オタ芸”なる踊りは控えよ。絶対にな。分かったな」
低く押さえた声でそう告げると、さらに続ける。
「希丸の父、久秀殿から話が届いておるのだ。息子が怪しげなあの”オタ芸”を踊り、それを見た希丸の母御が、狐憑きになったと泣き伏したそうだ。屋敷がひと騒ぎであったと聞くぞ」
その光景を思い浮かべたのか、空然がわずかに口元を緩める。
一方の貴丸は、まるで他人事のように軽く片手を振った。
「へーい」気の抜けた返事である。
だがその内側では、すでに結論は出ていた。行かねばならぬことは理解している。
逃げ道がないことも分かっている。だからこそ、残されたわずかな抵抗として――いかにして“全身で嫌だ”と示すか、それだけを真剣に考えていた。
縁側に再び寝転び、両手で頭を抱え込みながら、妙に真面目な顔で思案を巡らせている。
その脇で、空然が静かに口を開いた。
「慶久殿――もし差し支えなければ、此度の相馬行き、私も同行させていただいてよろしいでしょうか」
穏やかな声音であったが、その眼差しにはわずかな熱が宿っている。
「相馬の殿に拝謁を、というわけではございません。ただ……この地に留まるだけでは見えぬものも多く。見聞を広めるためにも、中村の地を一度この目で見ておきたく思いまして」
慶久は腕を組み、しばし考える。夕の光がその横顔に影を落とし、判断の重みを滲ませる。
やがて視線を空然へと戻し、短く問う。
「……馬は乗れるか」
「はい、心得ております」
迷いのない返答だった。
それを聞き、慶久は小さく頷く。
「ならばよい。一行に加わるがよい」
許しはあっさりと下りた。
「かたじけなく」
空然は深く一礼し、その胸中にはわずかな高揚が差す。
そのやり取りのすぐ隣で――
貴丸は、相変わらず縁側に転がったまま、両手で頭を抱え、真剣な顔で唸っていた。
旅立ちは決まった。逃げられぬ。
ならばせめて――どれほど嫌かを、どう見せつけるか。
その一点に、全力で思考を注いでいる。
夕の光がさらに傾き、縁側に長い影が伸びる中、その姿だけが妙に場違いなほど必死であった。
次回、お約束? の。。




