第7話 日向館城下町01
やがて三人は、日向館の城下口へと辿り着いた。粗く削った丸太を組んだ柵が道を区切り、その隙間から覗く町は、すでに朝の熱気を孕んでいる。
湿った土の匂い、焼かれ始めた団子の甘い香り、魚を干す塩気のある風――それらが混ざり合い、鼻をくすぐった。
視線を上げれば、寺の屋根が黒く重なり、その奥に、ひときわ大きな館が静かに構えている。白壁は朝日を受けて鈍く光り、木組みの櫓が周囲を睨むように立っていた。
「あれが日向館だ。殿様は岩城様の親族の富岡隆時様だな」
修平が顎で示す。ついでに、今日は市の日だの、銭を払えば物が買えるだの、物物交換もできるだの、いかにも“地元民の常識”を当然のように並べ立てた。
貴丸は頷きながら、目だけは忙しなく動かす。寺の前には粗末な板や筵を並べただけの店が連なり、干物、野菜、布切れ、よく分からぬ草まで雑多に並べられている。
左右には低い家が肩を寄せ合い、その隙間を人が縫うように行き交う。右手には富岡川が流れ、水を汲む女たちの笑い声と、桶のぶつかる音が絶えない。
(……いいな、これは。よく混ざりそうだ)
人と音と匂いが、勝手に噂を広げてくれそうな場所である。
「希丸、お前は修平について回れ。いろいろ教えてもらえよ」
そう言って、貴丸は懐から銭を取り出し、希丸の手に十文ほど押し付ける。
「買い食いしてもいいけど、無駄遣いはするなよ」
修平にも視線をやる。
「見てやってくれ。変なもん掴まされんなよな」
「お、おう……」
戸惑いながら頷く修平を連れ、三人は柵の内へ入る。
門番らしき男が、顎髭を撫でながらじろりと睨むが、子供三人と見るや、興味を失ったように視線を逸らした。
貴丸を先頭に、希丸、その後ろに修平。妙に頼りない行列が町へ踏み込むと、途端に人の波と声に飲み込まれる。
「じゃ、ここで分かれる」
貴丸は足を止め、希丸の耳元に顔を寄せた。
「――あの話、ちゃんと“広めろ”よ?」
「おう!」
元気だけは一級品である。希丸は即座に飛び出し、近くの女に一直線に突撃した。籠を小脇に抱え、腰に手ぬぐいを差した、いかにも井戸端の主といった風情の女だ。
貴丸は少し離れて腕を組み、その様子を眺める。
「もし、お嬢さん、ちと尋ねたいが――さっき武士が、木の影で、富岡様のおばちゃんが米不足だから、戦が足りなくて、年貢を洗いたいって言ってたけど、本当かな?」
(全部混ぜるなよ。混ぜるな危険だぞ。それ……)
思わず額を押さえた。裏切り者の話と米不足と年貢の話、ついでに“おばちゃん”まで見事に一体化している。もはや別の何かである。
声をかけられた女は、ぽかんと口を開け、しばし沈黙したのち――
「はぁ?」
とだけ言った。
(おばちゃんに“お嬢さん”と言えば喜ばれるぞっていうのは守ってるが、それどころじゃないな……)
貴丸はため息をひとつ吐く。
「まあ、いいか。元々あてにしてないし、賑やかしだしな、あれは」
小さく呟き、くるりと踵を返す。希丸に精度を求めるのは、そもそも間違っていたのだ。
人の流れへ身を滑り込ませ、店の並ぶ方へ向かう。
水場では女たちが桶を打ち合わせながら、手より口を忙しく動かしている。噂を落とすには、これ以上ない場所だ。
(さて……と)足を止める。
声をかける――ただそれだけのことが、やけに遠い。
生まれて十年。家に引きこもりニートの人生。人の揚げ足を取り、文句だけで生きてきた実績がある。見知らぬ相手に話しかけるなど、この時代では経験値ゼロである。
(……よくやるな、あいつ)
さきほどの希丸を思い出し、妙な尊敬が芽生える。何度か口を開きかけては閉じ、視線を泳がせ、ついには通り過ぎる老婆に軽く会釈だけして終わった。
十秒ほど悩む。
(俺には無理だな)結論は早かった。
ふと、茶屋らしき店が目に入る。串に刺さった団子が炙られ、香ばしい匂いが漂ってくる。腹も減っている。
(……食うか)一歩近づき、立ち止まる。
どう頼む。どう金を出す。いつ声をかける。
考えた瞬間、面倒が三倍に膨れ上がった。
(前の世なら、コンビニで無言会計だったのになぁ……)
時代の壁が、ここにきて貴丸に牙を剥く。(……そうか?)
貴丸はそっと視線を逸らし、何事もなかったかのように踵を返した。
やがて柵を少し出て、そのままごろりと地面に寝転ぶ。
背に当たる土はほんのり温かく、空はやけに広い。行き交う人々の足音が、遠くの出来事のように聞こえた。
門番が怪訝そうに見下ろすが、寝転ぶ子供をどう扱ってよいか分からぬのか、結局何も言わない。
(……まあ、ここまで来たんだ)
日向館の城下に入った。それだけで、十分な成果である。
(親父様には、適当に話せばいいしな)
目を閉じる。
何のために来たのか――そんなことは、今はどうでもよかった。
ただ一つ確かなのは。
(……眠い)
戦国不精、ここに極まれり。




