第2話 父の帰領
土間へ通じる戸が、遠慮もなく引き開けられた。どかどかと重い足音が板の間へ流れ込み、乾いた床を踏み鳴らす音に、具足の擦れる鈍い響きが重なる。
潮の匂いに慣れた屋敷の空気へ、鉄と汗の気配が一気に差し込み、場の温度がわずかに変わった。
大和田玄蕃允慶久――貴丸の父である。年の頃は三十前後、東北の武家としてはやや背が高く、引き締まった体に戦の帰りをそのまま背負ったような気配をまとっていた。
もっとも、その名に付く“玄蕃允”という官途は、朝廷より正式に任じられたものではない。いわゆる自称である。
とはいえ、まったくの出任せというわけでもなかった。
聞けば、祖父の代、相馬の殿に従って出陣した折、なかなかの働きを見せたことがあったらしい。本来であれば褒美として土地や銭が与えられるところだが、被官の土豪にまでそれを割くのは惜しかったのか。
――あるいは別の思惑か――その代わりとして、「玄蕃允を名乗ってよい」とのお墨付きを与えられたのだという。
つまり、官位そのものを得たわけではないが、「名乗ることだけは許された」という、なんとも中途半端な栄誉であった。
それでも、由緒ある相馬家の当主から認められた名である以上、対外的にはそれなりの体面を保つ効き目はある。名刺代わりとしては、決して無意味ではない。
しかもそれは一代限りではなく、家として代々名乗ることを許されているらしい。
――名誉ではある。確かに、名誉ではあるのだが。
(……なんとも、締まらない話だな)と、貴丸は内心でだけ、微妙に淡く評した。
そもそも大和田家は、相馬家の“家臣”ではない。
いわゆる被官の土豪だ。土地に根を張り、村や周辺を束ねる在地の主であり、その上で相馬家に「奉公」という形で従っている。
命じられれば軍勢を出し、代わりに所領の安堵や後ろ盾を受ける――そんな持ちつ持たれつの関係で、主君の“家の内側”に組み込まれた家臣とは違い、どこか一歩外に立ったままの従属である。
言ってしまえば、「完全な家来ではないが、逆らえるほど自由でもない」立場だ。
その後ろには、側近であり叔父でもある大和田慶光、そして親族衆の小野田久秀が続いていた。いずれも同じく背丈に恵まれ、堂々とした体躯をしている。この辺りの人間としては、確かに大きい。
海があり、川があり、山も近い。穀は乏しくとも、秋になれば川には鮭が遡り、海からは魚介が上がる。常に腹を満たすとはいかずとも、蛋白質と脂質は取れている。
だから肉もつき、骨も太くなるのかもしれない――と、貴丸はぼんやりとそんなことを考えていた。
(……従兄の希丸で検証できるか今度試してみよう。人体実験だな。……イヒヒ。あいつは明らかに育ちがいいから、肉や魚ばかり食べさせて、もっと大きくしてやろう。なら敦丸には別条件で――)
取り留めのない思考が、ゆるく頭の中を巡る。
だがその最中、縁側に寝転んだままの姿を見つけた瞬間、慶久の眉間に深い皺が刻まれた。
「……またか」
低く、吐き捨てる。
その一声で、貴丸の思考はぷつりと途切れた。
「日がな一日、また縁側で過ごしたのであろう。顔に板の筋がくっきりと残っておるぞ」
言われて、貴丸はようやく片目を開けた。ゆるりと身を起こし、気だるげに縁側へ両手をつく。その動きには、急ぐという概念が初めから欠けている。
「お帰りなさいませ、親父様。無事のご帰還、祝着至極にございます」
一応の礼を述べてから、視線を少し横へ流す。
「叔父上方もご壮健のようで、何よりにございます」
ついでのように付け足して、そして何のためらいもなく、すっと親父様に右手を差し出した。
「さて――可愛い嫡男に、何ぞ土産の一つもございましょうか」
その仕草はあまりに自然で、まるで最初からそうすることが決まっていたかのようだった。
一拍の、静かな間が落ちる。
慶久は、深く、ひとつ息を吐いた。肩の力を抜くでもなく、ただ内に溜まった重さだけを外へ押し出すような、鈍い吐息である。
ちょうどその折、奥から足音が重なった。控えめながらも急ぐ気配を帯びて、母である琴と、弟の敦丸が姿を現す。その後ろからは、侍女が唯一の大和田家の姫である、まだ小さな赤子を抱えている。
「お前様、おかえりなさいませ」
「父上、お帰りなさいませ」
二人が揃って頭を下げると、それまで険しかった慶久の表情が、ふっと緩んだ。貴丸には決して向けられぬ、柔らかな顔である。
「おう、出迎えご苦労」
声音もまた、わずかに温い。
だがそのぬくもりは、長くは続かなかった。視線が再び貴丸へと戻った瞬間、眉間に皺が寄る。
「……この嫡男だけは」
ぼそりと吐き捨てる。
「いっそ廃嫡とし、敦丸を据えることも考えねばならぬな」
さらりと落とされた言葉は、軽い調子に反して重い。
貴丸は肩をすくめた。
「またまた、ご冗談を。親父様は、こと冗談にかけては天下一にございますな」
軽く受け流しながらも、差し出した右手は引かぬままだ。
慶久のこめかみが、ぴくりと動いた。
「俺が甘いからこそ、お前は未だ嫡男でおられるのだ。他家であれば、とっくに寺へ押し込められるか、追い払われておるぞ」
「それはまた、手厳しきお沙汰にございますなぁ」
口では笑う。だが、手は微動だにしない。
無言の圧が、じわりと場を満たす。
やがて、観念したように慶久が手を伸ばし、その上にぽんと己の手を重ねた。
「このような不精者を養うておる父こそが、お前への最大の土産よ」
わずかに口の端を歪める。
貴丸は一瞬、舌打ちをしかけ――それを飲み込んだ。
「……ありがたき幸せにございますなぁ」
声音だけは殊勝に整え、その手に体重を預ける。
「よっこい、しょういち、にて候」
間の抜けた言い回しとともに立ち上がり、ようやく人の形を取り戻す。
「また訳の分からぬ言葉を……」父が呟く。
そのまま手を離さぬままに、ふと顔を上げた。
「さて、親父様。戦の首尾はいかがにございました?」
何気ない一言。
だが、その瞬間、空気が変わる。
慶久の表情が、わずかに歪んだ。苦いものを噛み潰したような顔で、短く吐き出す。
「日向館より――岩城常時が五男、富岡大和守隆時が攻めてきおった」
名が落ちた瞬間、背後に控える慶光と久義の気配が引き締まる。
「岩城の北の押さえよ。あそこは毎度のことながら厄介でな」
慶久は腕を組み、鼻を鳴らした。
「今回も退けはしたが……」
言葉が一度、途切れる。
そして低く、重く続けた。
「なかなかの強者であったわ」
縁側を抜ける風が、すっと肌を撫でた。先ほどまでのぬるさとは違い、どこか刃のような冷たさを帯びていた。
この世界観では権現堂城は破却された設定です。
だから、城代で岡田氏も入城しておりませぬ。
日向館城主は資料では岩城常時とありましたが、
常時の情報が稀有でして。。資料はないのかな。。
あ、浪江(川添)大和田家は、関東から相馬の殿様と一緒に
この地に土着した由緒正しき武門の家ですよ。
これはフィクションです。




