第10話 夕餉
帰り着いたその日の夕餉は、いつもよりも騒がしかった。
囲炉裏の火がぱちぱちと爆ぜ、炊き上がった飯の湯気がほのかに甘い匂いを漂わせる中、敦丸は箸を持つ手もおぼつかぬまま、泣きながら飯をかき込んでいた。
朝から何も口にしていなかった反動だろう、頬を涙で濡らしながらも、口だけは止まらない。
もともと、大和田家の食卓はこの時代の他家と同様、質素そのものであった。
汁椀がひとつ、わずかな菜が添えられるのみ、そして主役は山のように盛られた雑穀飯である。客人でも来ぬ限り、二汁五菜など夢のまた夢。
米――いや、今までは、雑穀を混ぜた飯こそがすべてであり、大人の男ともなれば四合、五合と平らげるのが当たり前であった。
五合――言葉にすればそれだけだが、その量は尋常ではない。
現代の感覚で言えば、炊飯器いっぱいに炊き上げた米に相当する。量で言えば、およそ七百五十グラムほどにもなる。
さらに分かりやすく言えば、コンビニのおにぎりにして十五から十七個分といったところか。常人が一度に口にするには、まず現実的とは言い難い量である。
だが、この時代においてはそれが“普通”であった。
炊き上がった飯は釜いっぱいに盛られ、白くもなく、ややくすんだ色味を帯びながらも、どっしりとした重みをもって膳に据えられる。量にしてみれば途方もないが、この時代においてはそれが“普通”であった。
おかずはあくまで添え物に過ぎない。塩気の強い漬物がわずかに添えられるか、干物がひとかけ置かれる程度。
領民ともなればさらに厳しく、湯に塩を溶かしただけの“塩汁”に野草が浮けばまだ良い方という有様である。
だが――今、大和田家の膳に並ぶものは明らかに違っていた。
普段は縁側でのんびりと寝転がっているだけの貴丸であったが、こと食に関してだけは別人のように細やかであった。
侍女頭の敏と、料理を担うお宏に対して、容赦なく口を出し、手順を整え、工夫を重ねさせたのである。
飯の量は変わらない。だがその脇には、焼かれた魚が香ばしい匂いを放ち、干物はじんわりと油を滲ませ、小皿には味噌に漬け込まれた肉が静かに艶を帯びている。
汁には具が入り、漬物も一種ではない。質素であることに変わりはないが、それでも確かに“食事”と呼べる姿へと変わっていた。
そして、ひときわ異彩を放つのが、貴丸の言い出した“菜良多”である。
膳の一角に、こんもりと盛られた野草。ノビル、芹、ヨモギ、たんぽぽの葉、ナズナ――よく洗い、軽く湯を通したそれらが、素朴な青みを湛えている。
はじめは皆、顔をしかめたものの、今では誰もが当たり前のように箸を伸ばしていた。
漬物もまた変わった。敏とともに作り上げた糠床は、すでに安定した香りを放っている。
糠と塩に山椒と芥子を加え、ツルアラメやカジメの干した海藻で旨味を補い、干したイワシを沈めて育てた床は、二週間を経てようやく完成を見た。
その味は確かである。叔父の慶光や久秀が訪れた折、茶請けとして出せば、二人とも無言で箸を進め、気づけばすべて平らげてしまう。そして帰り際には、当然のように持ち帰っていくのが常となっていた。
この変化の中心にいるのが、縁側で日がな一日転がっている少年――貴丸である。
当の本人は膳の前に座りながら、箸を動かすでもなく、ぼんやりと周囲を眺めている。その頬はどこかふっくらとしており、同年代の子と比べれば明らかに栄養の行き届いた顔つきであった。
(当然だな)内心でそう呟く。
この家を訪れる客人は、贅沢な食材こそ出されぬものの、その工夫と手数の多さに驚き、満足して帰っていく者が多い。家臣の中には、この食事を一種の褒美と捉える者すらいるほどであった。
この時代はご恩と奉公の週間が根付いている。主である慶久も、褒美に頭を悩ませずに済むと、密かに喜んでいる。
向かいでは、修平とお佳がまだ慣れぬ様子で膳に向かっていた。
だが箸は止まらない。雑穀混じりとはいえ十分な飯、魚の香り、味噌の旨味――それらは、これまでの暮らしからすれば、まさしく贅沢の極みであった。
修平は言葉少なに、ひと口ひと口を確かめるように食べている。お佳もまた、小さく口を動かしながら、時折安堵したように息をついた。
その様子を見ながら、貴丸は静かに目を細める。
(やはり、食は大事だよな)
すべての始まりは、ただの駄々であった。こんな食事では力が出ぬと騒ぎ、魚を増やし、干物を使い、肉を味噌に漬けることを提案した。
幸い、この請戸は塩に恵まれている。漬物の幅も自然と広がっていった。
さらに大きいのは、食事の回数である。もともと朝夕の二食であったものを、三食へと変えた。
そして貴丸に限っては、そこにもう一つ――“三時”が加わる。
その刻限になると、不思議と敦丸や希丸が寄ってくる。その理由を知る者は限られていた。
貴丸と敏だけが共有する、密やかな蓄え――山ぶどう、猿梨、茱萸、柿、桑の実、木通、杏、野苺。それらを干し、甘味を凝縮させたものだ。
本来は密やかに楽しむはずであったそれは、あっさりと琴に見つかった。
――そして奪われた。
「こんな甘美なもの……初めてです」
静かな興奮を帯びた声と、にこやかな笑み。その奥で光らぬ目を思い出す。
「これからは毎日、この母にもくださいね? 約束を違えれば……分かっていますね?」
貴丸も敏も、ただ頷くしかなかった。
もっとも琴も抜け目がない。そのことを慶久には一切知らせず、あくまで内々で楽しんでいるあたり、なかなかの曲者である。
それでも、敦丸と希丸には「内緒だぞ」と言い含め、少しだけ分け与えている。
この時代において甘味は何よりの贅沢だ。それだけで、二人の忠誠は揺るぎないものとなっていた。
ふと横を見ると、敦丸が夢中で飯をかき込んでいる。ときおりちらりとこちらを見ては、期待を滲ませた目を向けてくる。
(あれで餌付けされたな)貴丸は小さく息を吐き、わずかに口元を緩めた。
(おかげで、こうなる)
自分の頬を指で軽くつつく。指先が沈み、やわらかな感触が返ってくる。
日がな一日、縁側で転がり、好きなように食べていればこうもなろうというものだ。貴丸はそれを気にするでもなく、ただ事実として受け入れていた。
外見に頓着する性分ではない――それだけの話である。
衛生の概念も、敏を通じて行き渡らせた。水は汲み置きせず、使うたびに替え、食器は必ず洗い、手も拭う。飲み水は必ず一度煮沸している。
些細なことの積み重ねだが、それを徹底するだけで料理の質と健康は明らかに変わる。
今や敏と、料理を担う侍女のお宏は、この時代においては一歩も二歩も先を行く腕を持つに至っていた。
(次は……醤油かな)
ふと、次の手を思い浮かべる。だが、貴丸はそこで思考を止めた。
(面倒だな)自分で手を出す気はない。視線を上げると、膳の向こうで修平とお佳が無心に飯を食べている。
まだ何も知らぬ顔で、ただ満たされることに安堵している様子だった。
貴丸の口元が、わずかに歪む。
(ちょうど良い)
新たな役目を思いついた者の、静かな笑みであった。
ここまで。いかがでしたでしょうか。
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