手にしたモノ
アルドーの兄、クレプスクルムが戴冠した時の話です。
私はあの日を忘れることができない。
私はあの日を忘れる事にした。
彼女に出会った、あの日だ。
あれに出会った、あの日だ。
「これは貴方のものです」
彼女はそのひと言で、私のものになった。
あれはそのひと言で、彼のものになった。
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私はクレプスクルム・ソル・マグノリア。
昨年、父の第六十二代国王ベニニタスが崩御し、私はマグノリア王国 第六十三代国王となった。
父は初冬の夜明け前、息を引き取った。
まだまだ壮健かと思われていたが、少しずつ心労がたまり病んでいたのだという。
崩御して直ぐに私の頭の中で知らない男の声が響いた。
『国王の間』へ誘われ、目も眩むような光の中で国王たる者への道程を標された。
王になった者にこの内なる声が響くのであるならば、心を蝕まれても仕方の無い事だと思えた。
翌日、大神殿から神殿長が訪れた。王妃となる妻のセーレナと共に『戴冠の儀』までの予定を提示された。
神殿長は『聖女の人形』なる道具の存在を明らかにし、『戴冠の儀』の後に私に供与されると告げた。父の側にいた白いフードを被った女性と同じであって、違うものだと言う。
弟のアルドーや息子のディルクルムには見せてはいけない、と神殿長に強く注意を受けた。
そして、『聖女の人形』は残り一体、つまり私の次代までしかいないので、今から国の体制をしっかり定める事を進言された。
そして建国祭と同時に『戴冠の儀』を執り行い、正式に王冠を賜った。
『リスエルン祈念』の天燈を揚げ、元老院の者たちと春の訪れを祝った。
無事に祝賀会を終え、いよいよ『聖女の人形』を手にする時が来た。
セーレナと共に執務室で神殿長を待つ。
頭の中で男の声が聞こえているが、期待に胸を膨らませる私の鼓動の音はそれをかき消せんばかりだ。
そして、彼女はやって来た。
頭の先から爪先まで、透き通るような白さ。瞳だけが真紅に輝いている。
私の全てが彼女に引き寄せられた。
掻き抱きたい衝動が襲ってくる。
頭の中の声も「これを手にしろ」と、繰り返している。
「これは貴方のものです」
神殿長の低い声が告げた。
彼女はそのひと言で、私のものになった。
それからは王妃の事も、息子の事も、国の事さえもどうでもよくなった。
しかし、それではいけないと『聖女の人形』は言う。
自分ではどうにも出来ない。
──どうしたらいい⋯⋯?
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わたくしは第六十三代国王クレプスクルム陛下の妻、王妃セーレナ。
昨年、第六十二代国王ベニニタス陛下が崩御し、私の夫はマグノリア王国 第六十三代国王となりました。
ベニニタス陛下は初冬の夜明け前、息を引き取られました。
まだまだ壮健かと思われていましたが、少しずつ心労がたまり病んでいたのだそうです。
ベニニタス陛下の妻クラーワ王太后陛下は、心労の原因を教えて下さいました。
王になった者にしか分からない、頭の内に響く声に悩まされていたのだそうです。
クレプスクルム様も「声が聴こえる」と言って、ベニニタス陛下が崩御されてすぐにその場から離れて行ってしまわれました。
翌日、大神殿から神殿長が訪れました。『戴冠の儀』までの予定を提示されました。
神殿長は『聖女の人形』なる道具の存在を明らかにし、『戴冠の儀』の後に陛下に供与されると告げました。ベニニタス陛下とクラーワ王太后陛下の側にいた白いフードを被った女性と同じであって、違うものだとおっしゃいました。
義弟のアルドー様や息子のディルクルムには見せてはいけない、と神殿長に強く注意を受けました。
そして、『聖女の人形』は残り一体、つまり次代のディルクルムまでしかいないので、今から国の体制をしっかり定める事を進言されました。
そして建国祭と同時に『戴冠の儀』を執り行い、正式にクレプスクルム陛下は王冠を賜りました。
『リスエルン祈念』の天燈を揚げ、元老院の者たちと春の訪れを祝います。無事に祝賀会を終え、いよいよ『聖女の人形』と対面します。
クレプスクルム陛下と共に執務室で神殿長を待ちます。
わたくしの横でクレプスクルム陛下は顔を紅潮させて、期待に胸を躍らせているようです。
そして、あれはやって来ました。
頭の先から爪先まで、透き通るような白さ。瞳だけが真紅に輝いています。
とても現実離れした美しさです。わたくしを、その赤い瞳でチラリと見ました。
怖気が走りました。
「これは貴方のものです」
神殿長の低い声が告げました。
あれはそのひと言で、彼のものになった。
それからはわたくしの事も、息子の事も、国の事さえもどうでもよくなったようです。
これでは国が成り立ちません。
──どうしたらいいのでしょう⋯⋯?
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「すまぬ、セーレナ」
クレプスクルムは頭を下げた。
『聖女の人形』を手にしてから、まるで何も手がつかない状態だった。人形を片時も離さず、自室からも出てこなかった。
セーレナはもとより、母や元老院の者たちから何度も来訪を受けたが、返事すらしなかった。
数日後ようやく頭の中の声がおさまり、クレプスクルムは我に返った。
慌てて部屋から出てセーレナに謝罪したが、クレプスクルムを冴え冴えとした目で見るばかりでセーレナからは何の応えもない。
彼女からは不信の目を向けられるばかりだ。当然だ。女と数日部屋に籠っていたのだから。
ギシ、と扇を握る音がした。
クレプスクルムはセーレナの顔を窺い見る。
「政に戻って頂ければ、それで結構です」
そう言い残してセーレナは立ち去った。
取り返しのつかぬ事をした。⋯⋯だが、意識はすでに部屋の中の人形に向いている。
「いや、駄目だ。私は王なのだから」
口に出せば少しは意識を逸らせるようだ。クレプスクルムは後ろ髪を引かれつつも、鉛のように動かない足を前に繰り出す。
下を向いて歩くその先に、セーレナとは違うドレスの裾が目に入った。
顔を上げれば、怒りに震える母、王太后クラーワの顔があった。
「ベニニタス様が抗ったものを、お前は受け取ってしまったのね。ああ、また同じところに来てしまった」
「は、母上⋯⋯」
「お前は呪われた」
そう言い残し、クラーワは去って行った。
「クラーワ様、私は大神殿に戻らねばなりません」
自室に戻ったクラーワにベニニタス付きの『聖女の人形』が告げる。クラーワは目を閉じ、深く息をつく。
「そうね。貴女はお役目を終えたのだものね。離れがたいわ。でも、これ以上の混乱を招いてはいけないものね」
クラーワは人形の手を取る。
「今までありがとう。貴女のおかげでわたくしは強くなれたわ」
「私からも。ただの道具だった私に名前を与えてくださって、ありがとうございました」
こうして六十二代の『聖女の人形』は王城を去った。
残されたのは呪いに満ちた陰ばかり。




