8.ベルナデッド
イヴェットは約束通り、ベルナデッド用の縄を作ってきてくれた。嬉々として縄跳びを鍛練に組み込んだベルナデッドを見て、リオネルやジェラールも試すようになり他の騎士も興味深そうに質問してくる。
平民の子どもが遊んでいるのを見たと聞いたが、平民のリオネルはやったこともなければ見たこともないらしい。ゴーシェ男爵領で流行していたのだろうか。
おとなしい印象のイヴェットも幼い頃はずいぶんと活発だったのだと思い、親近感が湧いたベルナデッドはその後も交流を続けた。セヴランのことについては思うところなど何もなかったし、イヴェットは上品な令嬢となった今も昔の名残りのように、表情がくるくる変わったり不思議な発想をすることがあった。
そこが魅力的に思えたベルナデッドは、むしろセヴランに対して(こんなに可愛い方なんだからさっさと正式に婚約すればいいのに、何をぐずぐずしてるのかしら)と怒りを募らせているほどだ。
そしてイヴェットの方も、最初は緊張や怯えなどが隠せずにいたものの徐々に心を許してくれるようになった。
一度友人を連れてきたことがあり、その令嬢はよく鍛練を見学に来ていて見覚えがあったのだが、次に会った時イヴェットは「その、よくわからないんですが…彼女によると『お姿のみを目に焼き付けて、後は自由に妄想したいから』今後はあまり同行しないそうです」と言っていた。
学科が違うので一緒に授業を受けたり勉強したりということはなかったが、昼食をともにしたり放課後にイヴェットが騎士科を訪れることで親交を深めた。
それにつれて打ち解けたはずのイヴェットが、時々不安そうな顔を見せることが気になっていく。
それとなく訊ねても打ち明けてはもらえず、いつまでも態度が曖昧なセヴランのせいかと思いベルナデッドは更に苛立ちを増していた。
──そのセヴランが最上級生になり、イヴェットとベルナデッドは二年生に進級する。
「…ベルトラン公爵令嬢、ですか?あの方は隣国の第二王子と幼い頃から婚約されていて、あちらの学院に留学されていましたよね?」
夕食の席で父親が出した名前は、ベルナデッドにとって馴染みの薄い存在だった。
公爵令嬢のヴィルジニは三歳年上で、幼い頃は令息令嬢の交流の場である園遊会などで顔を合わせていた。ただ当時のベルナデッドは特製剣の作成にいそしんでいた頃で、年齢差もあり会話も嚙み合わなかっただろうからあまり印象に残っていない。
身分相応の華やかさと驕慢さを持った令嬢だった記憶はある。国家間の政略により早くから婚約が結ばれており、婚姻後のことを考えて留学したと聞いた。卒業後も王子妃教育のため隣国に残っていたはずだ。
「その婚約は、先日解消された」
「本当ですか?」驚いて聞き返したのは母親だった。「それはどういった理由ですの?」
「令嬢が王子妃となるに相応しくない振る舞いをした、ということだが…単なる言いがかりの可能性がある」父親はため息をついて続けた。「あちらの王太子は好戦的な方で、我が国に対しても和平を結ぶより力による支配を望んでいると聞く。
隣国の国王陛下は病を得て近々退位されるということだから、自身が即位した後に侵略してくるつもりでしがらみを解いたのではないか…そういう見方が優勢だな」
先日主だった貴族が王宮に招集され、緊急会議が行われた。戦争の準備のために娘の評判を落とされたベルトラン公爵が怒り狂っているのは当然だったが、近いうちに開戦の恐れがあるとなればこちらも備えが必要だ。父親は伯爵としてというより、王立騎士団長として呼ばれたのだろう。
(婚約していたのが王女であれば、人質として隣国に引き留められたかもしれないけど…王女殿下は数年前に他国に輿入れしていて、現在の王家には王太子しかいない。だから公爵令嬢が選ばれたのよね。
高位とはいえ単なる貴族令嬢では、そこまでの価値がないと思われたのかしら)
いまだ不明な点が多い状況であるから、この話は他言無用だと父親は釘をさした。
「それでだな…ベル、進路を考え直す気はないのか?」
急に自分の話になり、ベルナデッドは当惑する。「どういうことですか?」
「戦争が起これば、騎士団は当然出征することになる。隣国で国王が代替わりして準備を整えて侵攻…という期間を考えると、お前が学院を卒業して騎士団に入った頃に開戦するかもしれない」
入団したばかりの新人騎士である娘が、いきなり戦争に駆り出されることを心配しているのだ。他言無用なのにわざわざこの話をしたのはそのためだったらしい。
ベルナデッドの意志が固かったことで折れた父親だったが、本来は自分の認めた騎士を婿にしてベルナデッドには伯爵領を守ってほしいと望んでいた。子どもの頃剣を持たせてもらえず、安全な特製剣を作ってもまともに相手をしてもらえなかったのもそのせいだ。
騎士を目指すことを許してもらう代わりに、ベルナデッドは領地経営についても少しずつ学んでいる。婿となる男性に適性があれば任せるかもしれないが、相手が同じ騎士ならばベルナデッドが妊娠・出産などで騎士団を離れた時に経営を引き継ぐことになっていた。
セヴランがいなければ自らの剣の資質を知ることはなく、いずれ父の望み通り騎士の夫を支える妻となることに納得していたかもしれない。
「…お気遣いはありがたいですが、私の意志は変わりません。戦争が起これば国を守る剣となるだけ、それが騎士のありかたですから。…お父様と同じように」
「ベル…」
母親が声を詰まらせた。夫だけでなく娘までが危険な任務につくことが心配でたまらないのだ。
「これまで以上に鍛練に励みます。この国の役に立てるよう…そして、戦って生き残れるように。リオネルも同じ気持ちだと思います」
「リオネルも頑張っているな。学院に特別指導に行った時に成長を実感した」
うなずく父親はどこか自慢気だ。リオネルの父は市井で剣の指南所を開いており、幼い頃から手ほどきを受けてきたリオネルはいつしか騎士を夢見るようになったのだ。
平民なので学院の騎士科を出て入団という王道の方法を諦め、見習い志望として騎士団を訪れたところ、腕試しで騎士団長の父親の目に止まり学院に入ることになった。
『学問を修め礼法を身に着けることはどんな将来においても邪魔にはならない。いずれ騎士団の同僚となる貴族令息と親交を結んでおくのもいいだろう』
リオネルは騎士団長自ら後ろ盾になってくれたことに感激し、勉学と鍛練に励むかたわらベルナデッドに自主的に付き従っている。父親に対する忠誠心かもしれないが、ベルナデッドはおとなしく守られているようなお嬢様ではない。
(私にまで義理を果たさなくてもいいのだからと、はじめは突き放すようなきつい言葉をかけていたけれど…全然離れないのよね。今では隣にいるのが当たり前だと思うようになってしまったわ。多分これからもずっと…)
そう考えたところでベルナデッドはわずかに顔を赤らめたが、両親どころか本人もそれに気付くことはなかったのだった。
読んでいただき、どうもありがとうございました!