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5.イヴェット


 入学したら、セヴランとしたいことが山ほどあった。

 小説のセヴランは寮に入って、というか無理矢理入れられていたけれど、今のセヴランはもちろんクライン侯爵家のタウンハウスから通っている。

だから毎日でも一緒に通学できるはずだった。放課後も鍛練に費やしていた騎士科ではなく、婿入りを前提に領地経営を学ぶ今なら、帰りに寄り道して街歩きデートもできるかも…と期待していたのだ。

 それなのに、入学して半年が経とうという現在、私の願いはほとんど叶っていない。

 (入学式の日は迎えに来てくれたし、お昼休みにも時々誘ってくれるし…冷たくなったわけじゃないのよ。だけどもっとこう…毎日一緒に過ごしてイチャイチャできると思ってたのに)

 学年が違うから、会おうと努力しなければ顔を見ることすらなく一日が終わることもある。将来のために学友との付き合いも大事にしなければならないし、授業のカリキュラムが違うから行き帰りの時間もずれる…そう言われたら納得するしかない。

 『セヴランは学院で少々浮かれているようだ。母上も早く、きみとセヴランを正式に婚約させればいいのだが』 

 学院に入学するため、王都に移ってきたときにクライン侯爵家のタウンハウスに挨拶に行った。私と入れ替わりで卒業したヴァンサンはその時領地に戻る準備をしていて、一年だけ学院生活が重なった弟に苦々しい思いを抱いていたようだった。

 それでもヴァンサンは小説のようにセヴランを虐げることはなかったし、最近ではむしろ夫人に対して冷淡ともいえる態度を取ることが意外だった。

 (夫人がセヴランばかり可愛がることで拗ねてる…わけじゃなさそうなのよね)

 スーリエ伯爵家との婚約話が流れ、セヴランが私と婚約を望んだ時に侯爵とヴァンサンは賛成してくれたらしい。私が命の恩人であり、セヴランを熱狂的に慕っていること。ゴーシェ男爵家は貴族の中では地味な存在だが、手堅く領地を守っていること。おまけに侯爵領の隣なので結婚後もいつでも会えるというメリットもある。

 夫人も一応は認めてくれた。後で聞いたことだけれど、婚約者候補だったベルナデッドに失望したことも理由になったのだと思う。

 ただ、正式な婚約はもう少し先にと言われてしまった。一般的に考えてまだ時期が早い、というのは事実だけれど、ベルナデッドのことはもっと早くから狙っていたことを思うと納得のいかない気持ちはある。

 『正直に言うと母上はセヴランが学院で、もっと条件の良い令嬢と出会うことを期待しているんだ。きみに対して失礼だと父上も注意したのだが、セヴランのこととなると聞く耳を持たない』

 私自身に対して思うところはない(と信じている)けれど、侯爵家から男爵家に婿入りさせることには不満があるのだろう。私のセヴランへの想いをよく知っていて、多少待たせたところでこちらから見切りをつけるわけがないと高を括っているのだ。

 (私はキープってことね…)

 惚れた弱みに加えて身分差がある以上、さっさと認めろと抗議するわけにもいかない。

 それでも婚約を待てと言われて笑顔を作ることはできず、そんな私にヴァンサンも侯爵も『なるべく早く婚約が整うよう説得するから』と言ってくれた。そして溺愛しているはずの夫人に対しては、困惑と呆れの混ざった視線を向けるようになっていった。

 ──私とセヴランの間に立ちはだかるのはライバルのはずのベルナデッドではなく、夫人になってしまっている。

 小説のとおりに夫人が亡くなっていたら、家族思いの美しい妻であり母親だった夫人を皆が惜しみ続けただろう。息子たちが幼かったあの時点なら、どれほど可愛がり甘やかしていても愛情深さゆえと好意的に見られていた。

 けれど生き延びたことでそれからも息子を甘やかし続けている夫人は、溺れかけたセヴランには特に過保護になってしまった。危ないことからは徹底して遠ざけ、わがままを聞いてやり、どんな局面でも味方になって守ろうとする。

 (そのせいでセヴランも、夫人に従っていれば安全だと信じて…同時にそうやって守られることを当然と思ってる気がするわ)

 私と婚約したいという“わがまま”を夫人が止めるなら、それは自分のためを思ってのことであり、従っていれば間違いないと判断したのだ。

 あの日の言葉は嘘ではなく、セヴランも私を好きでいてくれているはずだ。

 そう思ってはいても、夫人に言われるままに私と他の令嬢を天秤にかけるようなことをされれば信頼が削られていく。

 それも自分の行動…夫人を助けた結果だと思うと、この先が不安でたまらなかった。

 「イヴェット!ここにいたんだね。会えて良かった」

 そんなふうに悩んでいたある日、中庭のベンチでぼんやりしているとセヴランが声をかけてきた。

 満面の笑みを浮かべて近付いてくるセヴランに、私は立ち上がり微笑みを返す。

 会えるとやはり嬉しさが勝ってしまう。今の状態を突き詰めて考えようとするたびに、セヴランに優しくされて先送りにしていた。

 屈託なく笑うセヴランなど小説の世界ではあり得なかった、それが見られるのだから充分に報われているのだ、そう思い直して。

 (キープをキープするために、定期的にご機嫌伺いをしてる…なんて考えてしまう、私の心のほうが醜いわよね)

 セヴランは私を座らせると自分も隣に腰掛けた。「もうすぐイヴェットの誕生日だね。何か欲しいものはある?」

 リクエストは毎年聞かれていて、私は『セヴラン様がくれるものならなんだって嬉しいです!』と答えている。本心でありセヴランにもそれは伝わっていて、いつも髪飾りやブローチなど素敵なものを選んで贈ってくれていた。

 今回も同じように言おうとして…私はふと思いついたことを口にした。

 「リルメラの、青い花が欲しいです」

 「…リルメラ?あんな野花でいいの?そりゃあ青は珍しいだろうけど…」

 セヴランの言うとおり、リルメラは花壇ではなく野原や草むらに咲いている小さくて素朴な花だ。ちょうど今ごろが花の時期だが、前世では存在していなかった。

 小説のタイトルにもなっている青いリルメラは、言ってみれば四つ葉のクローバーのようなものだ。通常は白い花が咲くが、ごくまれに青い花をつけることがある。

 土壌の違いにしては白い花の中に一輪だけ混ざっていたりするので、青い花が咲く条件ははっきりしていない。四つ葉のクローバーより稀少で、やはり幸運の象徴とされていて子どもが探し回っていたりする。

 小説のセヴランにはあまり自由になるお小遣いがなかった。学費や寮費は出されていたが、侯爵令息として学院での体裁が保てる最低限の生活しかさせてもらえなかったのだ。

 そんなセヴランがある時贈ってくれたのが、青いリルメラの花だ。

 『野の花なんて、令嬢に贈るのは失礼かもしれないけど…子どもの頃からリルメラを見ると青い花を探す癖があるんだ。

 やっと一輪だけ見つけた。きみに贈る以外考えられなかった』

 『初めて見たわ!すごく綺麗な青…こんな貴重なものを私に?せっかく見つけたのに、もらってしまってもいいの?』

 『きみに受け取ってほしいんだ。…ぼくにとってはきみが、青いリルメラだから』

 (タイトル回収シーン、素敵だったなあ…。私からねだる時点で、あの感動はもうないわけだけど…やっぱり欲しいんだもの。小説のように押し花にして、ずっと大切にするわ)

 私が本気で願っているのがわかったのだろう。戸惑っていたセヴランはやや間をおいてうなずいた。

 「わかった、探してみるよ。誕生日までに見つかるといいけど」

 「ありがとうございます!」

 高価な品物ではないけれど、手間をかけさせる分ある意味贅沢なリクエストだ。喜ぶ私にセヴランはにこやかに続けた。

 「今から使用人に言っておけば、一輪くらい見つけてくるだろう」


 …数日後、私は同じクラスの友人、子爵令嬢のジャンヌに誘われて騎士科の鍛練を見学に来ていた。

 ずっと興味はあったけれど、現在は騎士を目指していないセヴランに対してなんとなく後ろめたい気がして来られずにいた。今日誘いに応じたのは、ここ最近のもやもやした気分を少しでも晴らしたかったからだ。

 (使用人に、探させるのかあ…)

 それを隠しておいて、自分で見つけたふりをしないだけマシなんだろうか?

 でもそれは正直だからというより、自分が見つけることに意味があると思っていないような気がする。 

 幸運の象徴である珍しくて綺麗な花を、少女らしく欲しがっているだけ。探して見つけるのが誰かは問題じゃない、と判断したのだろう。

 ──いつか心の隅に生まれたかすかな影は、時が経つほどに濃さを増し、徐々に大きくなっていく。

 「…ット、イヴェット、見学者はこれ以上入ってはだめよ」

 考えにふけっているうちに、いつの間にか鍛練場に踏み込んでいたらしい。少し後ろで立ち止まっていたジャンヌに止められ慌てて戻ろうとして…目の前を横切る人物に目が釘付けになった。

 長く美しい銀髪を無造作に紐で括り、ほっそりした身体できびきびと歩いていく女性。

 「ベルナデッド…様…?」

 「さすがにイヴェットも知ってるのね!王立騎士団長のご息女というだけあって、今年入学した騎士科の生徒の中では飛び抜けて実力がおありだそうよ。その上あの美しさだもの。ベルナデッド様を目当てに見学に来てる女生徒も多いわ」

 ジャンヌもそのひとりなのか、ベルナデッドをうっとりと見つめながら「ベルナデッド様の騎士服姿はさながら戦女神のようでしょうね…早く見たいものだわ…」と呟いている。

 小説でよく知っている気になっていたし、セヴランからも話は聞いていた。でも実際にベルナデッドの姿を見たのは初めてだった。

 挿絵のとおりの緩く波打った銀髪、切れ長の目のクールビューティ。きつめの顔立ちはいかにもライバル令嬢的な造形だったけれど、女性騎士として見れば凛として気高く、意思の強さがあらわれた容姿だと思える。

 (なんていうか、宝塚…?オスカル的な…?)

 ベルナデッドも入学していることはわかっていたけれど、会わないのは選択科目が違うからだろうとなんとなく思っていた。経営学の授業でも見かけなかったのは今考えてみればおかしい。まさか騎士科に在籍していたとは。

 セヴランのことで恨まれていて、あちらからやって来て絡んでくるのでは…と考えたこともある。そうなったらセヴランに相談するつもりだったけれど、思えばセヴランからもベルナデッドの話を聞いたことはない。入学してから再会していないのだろうか。騎士科に在籍していることも知らないのか。

 ベルナデッドの姿を目で追っていると、手合わせをしているふたりの男子生徒のそばで立ち止まった。こちら側に顔を向けている生徒にも見覚えがある。

 (セヴランの親友!…に、なるはずだった…伯爵令息ジェラールがいる!)

 考えてみればここにいるのは当然だった。セヴランのように運命が変わったわけではないのだから、小説と同じように騎士を目指しているのだろう。

 小説では入学してからみるみる剣の腕を上げたセヴランが、一日だけ特別講師として招かれた王立騎士団長、スーリエ伯爵に目をかけられたことに嫉妬してやたらと突っかかるキャラだった。

 だが日々競い合ううちにセヴランの並々ならぬ努力と辛い境遇を知り、やがて固い友情で結ばれることになるのだ。

 ジェラールとその相手はベルナデッドに気付いて手を止めると、三人で話し始めた。

 (騎士団長に認められたことだけじゃなくて、ベルナデッドとの婚約話が出たことを妬んでたのよね。ベルナデッドが好きだったのか、ジェラールも三男だから良い婿入り先を取られたことが悔しかったのか…そのあたりははっきり書かれていなかったけど、この世界線ではジェラールにチャンスがある、のかな?)

 友人にそれとなく聞いてみると、金髪で貴公子然とした容姿のジェラールは女生徒の間では一番人気だったらしい…ベルナデッドが入るまでは。

 なんだかちょっと気の毒な人だ。

 しょっちゅう見学に来ているジャンヌは騎士科の生徒に詳しく、もうひとりの説明もしてくれた。

 「ジェラール様は二年生だけど、相手をしていたのは私たちと同じ一年よ。騎士団の見習いをしていた平民の方だけど…スーリエ伯爵に後見となっていただいて、ベルナデッド様と一緒に入学してきたの。リオネルさんといったかしら」

 ちょうど三人がこちらに向かって歩いてきて、三人目の顔を見た時に私はどきりとした。

 小説に出て来たわけではない。顔にも名前にも記憶はなかった。

 なのに一瞬、小説のセヴランのように見えたのだ。

 よく見ると群青色ではなく黒い髪だったし、顔立ちは整ってはいたが造作でいえばセヴランのほうが上だろう。それなのにセヴランと重なったのは、野性的ともいえる強い眼差しのせいだろうか。

 そんなリオネルに、ベルナデッドとジェラールが何か言い聞かせている。

 「…先輩だから、貴族令息だからとおかしな遠慮をするのはおよしなさい。あなたは父が…スーリエ伯爵が認めて学院に入学させたのだから、期待に応えるためにも伯爵家の名を落とさないためにも、堂々と…」

 「…忖度されて勝ったところで、ぼくが喜ぶとでも?他の連中は知らないけど、ぼくにとっては全力で挑んでもらえないほうが不愉快だ。鍛練において身分は関係ない。負けて逆恨みすることもない、次は勝てるよう努力するだけだ…」

 私のそばを通り過ぎる時、聞こえてきた会話にはっとした。

 『あなたは父…スーリエ伯爵が婿入りを望むほど認められたのだから、伯爵家の名を落とさぬよう卑屈な態度をおやめなさい』

 ベルナデッドは小説の中で、セヴランに何度もそうした台詞を言っていた。正式な婚約者でもないのに完全に将来の婿として、伯爵家の名を出し指図しようとする態度は読むたびに苛々させられたものだ。

 『手を抜くなど、ぼくを馬鹿にしているのか?本気で挑む価値もないと?…お前の身分が上であろうと、鍛練においては関係ない。次は全力を出せ。ぼくは正々堂々と戦って勝ってみせる』

 入学した年は兄のヴァンサンがまだ学院に在籍していた。小説のセヴランはヴァンサンに『学院で私に関わるな』『家に迷惑をかけるな』『目立つことはするな』など入学前にさんざん言われており、息をひそめて学院生活を送るつもりだった。

 それが騎士科に入ると早々に剣の才能が開花し、目立ってはいけないと実力を隠そうとしていたのだ。それを見抜いたジェラールは自分への侮辱と受け取り、その後結局力を隠しきれず騎士団長に見出されたことで嫉妬も加わった。

 ただしのちの親友となるキャラだから陰湿さはなく、文句も嫌味も本人に真っ正面からぶつけて足を引っ張る真似もしなかったのが救いだ。

 (ふたりの態度や言動…小説のセヴランの立ち位置が、あのリオネルという子に代わったみたいになってる)


 ──誕生日当日、お祝いに訪ねて来てくれたセヴランは、クリーム色と淡いピンクの薔薇で作られた大きな花束を私に手渡した。

 「ごめん、青いリルメラは見つけられなかったよ。でもきみにはあんなちっぽけな雑草より、大輪の薔薇がふさわしいと思うんだ」

 …自然な笑顔を作れていたかどうか、自信がなかった。

読んでいただき、どうもありがとうございました!

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