表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
3/14

3.イヴェット


 (ようやく本来出会うはずの年齢になったのね…。フライングして七年も前からセヴランを見守る、どころか一緒に過ごせるなんて今世は本当に幸せ~)

 …川でセヴランを助けてから、両家はゆるい交流が続いている。

 あの後すぐに言っていたとおり、侯爵夫妻とセヴランがお礼にと訪ねて来た。両親は恐縮していたけれど、恩を感じている侯爵一家は私たち男爵家の面々を見下すこともなく、それ以来友好的な関係を築くことになったのだ。

 何よりぐったりしていたセヴランが元気な姿を見せてくれたことで、私は喜びでテンションが爆上がりしていた。

 『セヴラン様がご無事で何よりでした!セヴラン様に何かあってはこの世界の損失ですから!』

 親同士が歓談している間、セヴラン様とふたりでケーキを食べながら私は力説した。

 『世界の…?よくわからないけど、助けてくれて本当にありがとう』

 『当然のことです!セヴラン様は生きているだけで尊い存在なので』

 幼いセヴランをこの目で見られることは至福のひとことに尽きた。将来は凛々しく成長することが確定しているけれど、今のセヴランはただただ愛くるしい美少年である。

 私がほぼ初対面のはずの自分を崇拝していることが不可解だという表情も、褒め言葉に照れて明後日の方向を見る様子も、褒められ過ぎて可笑しくなってきたのか綻んだ口元も、全ての瞬間が貴重で神々しい。

 『…うん、ずっと意味がわからないけど、きみ面白いね!』

 (これって、“おもしれー女”認定されたの…?)

 出会いを早めたことと私の態度で、小説とだいぶ違う気に入られ方をしたようだ。

 それからはセヴランが我が家に遊びに来たり、私が侯爵邸に遊びに行くことを許されて行き来するようになった。訪問してもクライン侯爵は多忙なので直接挨拶する機会が少なかったが、長男のヴァンサンとはたまに顔を合わせたし、三人でお茶とお菓子を囲むこともあった。

 …正直に言えば、私は侯爵とヴァンサンに対して少し警戒している。夫人が生存している現在、セヴランを虐待する理由はなく実際に家族仲はいい、けれど。

 (この人たちには本来、自分の幼い家族を突き放す非情さと冷酷さがあることを知っているんだもの…。これからだって、何かあれば本性があらわれるかもしれないじゃない)

 小説どおり侯爵は夫人を大切にしているし、ヴァンサンも母親を慕っている。

 ただ私が見る限り、盲目的な溺愛とか度を過ぎたマザコンという印象はなかった。部外者のいない場面ではどうかわからないけれど、セヴランに聞いても高位貴族の一家としては仲が良いという程度に思える。

 夫人はセヴランをとても可愛がっていた。そのセヴランを助けた私にとても感謝していて、遊びに行くと山ほどのお菓子で歓迎してくれる。帰るときにはお土産に持たせてくれるし、綺麗なリボンや可愛い栞をくれたこともあった。

 小説と状況が変わり出会いも早まった今、このままあっさりセヴランと婚約できるのかも…と私は内心期待していた。

 その思いがひとりよがりに過ぎなかったとわかったのは三年前、十歳を迎えた頃のことだ。


 『スーリエ伯爵って…王立騎士団長の…?』

 『そうだよ、よく知ってるね。伯爵の一人娘のベルナデッド嬢が、ぼくのひとつ下なんだって…イヴェットと同い年だね』

 もちろんよく知っている。小説でセヴランの上官となる伯爵のことも、娘であるライバル令嬢ベルナデッドのことも。

 その日はセヴランが我が家に遊びに来ていた。いつものようにお菓子を食べながらお互いの近況を話していた時、セヴランが先日伯爵家を訪問したと言い出したのだった。

 …小説でのセヴランは、学院へ入学するにあたり寮に入れられることになる。兄のヴァンサンはタウンハウスから通学していたのに、父に疎まれてのことだ。この世界の貴族にとっては学院入学は義務教育に近く、そうでなければ侯爵はセヴランを入学させることもなかったかもしれない。

 そして将来のことを考えてセヴランは騎士科に進むことにする。もともと家を継ぐのはヴァンサンであり、身の振り方は決めなければならなかった。自分を憎む父が縁談をまとめてくれるとは思えなかったので、どこかの家に婿入りするのも難しい。文官を目指しても妨害されるかもしれない。王城に出入りする父が顔を合わせたくないだろうから。

 そして鍛練に励むうち、剣の才能が開花して卒業とともに王立騎士団に入る。

 実力主義のスーリエ伯爵は在学中からセヴランに目をかけ、娘と結婚させて騎士団長を継がせようとするのだ。ベルナデッドは学院で領地経営を学んでおり、伯爵はベルナデッドに領地を守らせ夫となる騎士を団長にするつもりだったらしい。

 だけど今のセヴランは剣を習ってもいないし、伯爵が注目する理由がわからない。

 (私がフライングしたせいで、よく聞く“ストーリーの強制力”とやらが発動した、とか…?)

 『…それで…ベルナデッド様、と、お会いしたのですね』

 きっとベルナデッドはひと目でセヴランを気に入ったはずだ。小説でも正式な婚約が結ばれてもいないうちから、婚約者気取りであれこれセヴランに指図していたのだから。

 『会ったけど…思ってたのと違ったな』

 セヴランはとても複雑な顔で答えた。

 『違ったとは?』

 『見た目は綺麗だし、最初は上品でおとなしそうに見えたんだ。それがまさか…』

 語られた内容は信じがたいものだった。ベルナデッドはセヴランが言ったとおり、一見すると貴族令嬢の手本となるような気品と立ち居振る舞いを身に着けている。それに反して内面は淑女らしくないというのも予想通りだ。

 小説では立場が下だったセヴランに対してきつい物言いを繰り返し、やたらと干渉していた。気の強さとセヴランへの執着が酷かったのだが。

 (淑女らしくないのは同じだけど…まさかの、騎士団長似の脳筋って)

 『セヴラン様をチャンバラ相手と認識してるとは…』

 『ちゃんばら?』

 『あ、なんでもありません』

 心の声が漏れてしまい、慌てて言葉を重ねた。『ではセヴラン様は、ベルナデッド様に興味はないんですね』

 『興味…はなくもない』と考えながら答えるセヴランに、私はショックを受ける。そしてそんな私を見て、セヴランはぱっと笑顔になって私の頭に手を置いた。『妬いちゃった?言っとくけど女の子として見てるわけじゃないよ。イヴェットのほうが見た目も性格もずっと可愛いしね』

 『セヴラン様…!』嬉しくて目が潤む私に、ほらそういうとこ、とセヴランは笑う。

 『彼女にというか、あのおかしな剣での遊びがね。やってみたら存外楽しくて…ちゃんと剣を習うのもいいかもしれないと思えてきたんだ』

 意表をつかれた気分だった。

 今のセヴランには、他に道がない状況で騎士となる必要はない。だけど救国レベルの才能はセヴランの中に眠っているはずだ。

 どういう流れで剣の道に進むのか、それとなく勧めるべきかと悩んでいたけれど…まさかきっかけは、ライバル令嬢とのチャンバラごっこなんだろうか。

 『いいですね!セヴラン様ならきっとすごく強くなれます。この国だって救えます!

 騎士になったセヴラン様は、麗しい姿と神の如き剣技で直視できないほどの輝きを放るに違いありません!』

 私の熱のこもった視線と言葉にたじろいだように、セヴランは少し身体を引いた。

 『えっと、まだ決めたわけじゃないんだけど…。母様の言いつけでベルナデッド嬢とは定期的に会うことになってるし、これからも会えばああやって遊ぶだろうし、もう少し考えてみるよ』

 『…夫人に言われてるんですか?ベルナデッド様に会えと…』

 『ぼくは次男だし、良い家に婿入りすることで幸せになれるんだって』なんでもないことのようにセヴランは答えた。『嫡男のいない高位貴族で、ぼくと年齢の釣り合う令嬢ってあまりいないみたいでね。他家の次男や三男に取られないうちに婚約を結べたら、ってことらしいよ』

 道筋は違っても、やはり婚約の話は出てしまうようだ。私は自分の顔から血の気が引くのを感じた。

 小説ではスーリエ伯爵から打診していた(そしてクライン侯爵は、セヴランが名家に望まれ陽の当たる場所に出ることが許せず断り続けていた)けれど、今話を進めようとしているのは侯爵夫人のほうだ。セヴランを溺愛している夫人のことだから、少しでも良い身分を与えたいと思うのは当然だった。

 私に恩があるというのはまた別の話であり、平凡な男爵家にセヴランを婿入りさせることなど考えてもいないに違いない。

 (順当に婚約できるなんて思ってたのが甘かったのね…しかもベルナデッドとくっつけようとしているのが夫人だなんて。

 せっかく助けてあげたのに後悔しそ、う…っ)

 ──私、今なにを考えたの?!

 自分の中の醜さに愕然とした。

 恩を着せたくて助けたわけじゃなかった。若くして儚くなる夫人が気の毒で、それによって辛い思いをするセヴランを救いたくて、ただそれだけだったはずだ。

 助けたことで見返りを得ようなんて、思っていたわけじゃないのに。

 どんどん顔色が悪くなっていたらしい私を見て、セヴランは慌てたようだ。『イヴェット、大丈夫?婚約の話がショックだった?さっきも言ったけどベルナデッド嬢に対してそういう意味で興味はないよ。母様もぼくの気持ちを優先するって言ってるし、とりあえず仲良くなれば家同士の繋がりもできるからそれだけでも収穫だって』

 私を慰めるため、早口で言い募るセヴランはやっぱり優しい。

 ストーリーの大元ともいえるエピソードを改変したのだから、私とセヴランの関係だってこの先どうなるかわからない。私に覚悟が足りなかっただけだ。

 それを実感して打ちのめされながらも、私は努力して微笑んだ。

 『セヴラン様はこの世界の至宝ですから、ベルナデッド様も間違いなく恋に落ちたことでしょう。結婚したらきっと大切にしてもらえます。

 私はセヴラン様が幸せになれるなら、それでいいんです』

 『…イヴェットは本当、健気だよね』

 セヴランは私を見つめ、やがて小声で言った。

 『ある程度の期間は交流を続けて、努力したことを証明して…それでもベルナデッド嬢とは合わないと伝えれば、きっと母様も諦めてくれる。

 …その時に、イヴェットと婚約したいとお願いしようと思うんだ』

 『!セヴラン様…嬉しいです』

 本当は、今すぐベルナデッドと会うのをやめて私との婚約を望んでほしかった。

 けれど、夫人がセヴランのために探してきた縁を最初から蹴るわけにはいかない。そんなことをしたら夫人が気を悪くして、私の好感度も落ちて…婚約に反対されるかもしれないのだ。

 (それがわかっていても、やっぱり残念だわ。

 それに…これまでセヴランは“可愛い”とか“そういうとこが好きだよ”とはしょっちゅう言ってくれてたけど、はっきり告白してもらったことは一度もなかった)

 セヴランを崇め奉っている私がどう思っているかなんて誰が見ても明らかだから…選択権はセヴランにあるから、気持ちを確認することを省略されてしまったのかなと思う。

 (さらに婚約ともなれば一応、先に意思を確認してほしかったのだけれど…贅沢を言っちゃいけないよね。せめて無事に婚約が許されたら、その時はきちんとプロポーズしてくれると嬉しいんだけどなあ)

 つい余計なことを考えてしまったけど、セヴランに婚約したいと言ってもらえたのだから嬉しくないわけがない。顔全体が緩んでいる自覚があり、セヴランはそんな私を見て満足そうに微笑んでいた。

 

 ──それから三年、今もセヴランはベルナデッドと定期的に会っているようだ。

 夫人がなかなか諦めず、『もう少し様子を見ましょう』『もっとお互いをよく知れば、仲良くなれるんじゃないかしら』などとセヴランを説得しているらしい。

 (“ある程度の期間”が三年に渡るとは思ってなかったけど…この世界は日本と同じで幼いうちから婚約するほうが珍しいし、長期戦になるのもしかたないのかな)

 実際スーリエ伯爵家もベルナデッドの婚約を急ぐ気はないというし、夫人は他家に先駆けて話を持ちかけ、継続して顔を合わせることで情が移るのを狙ってるのだと思う。

 顔を合わせるといってもスーリエ伯爵家は王都に滞在していることが多く、三年という期間のわりに会う回数は多くなかった。社交で夫人が王都に出る際にセヴランを連れていき交流させているので、侯爵邸にベルナデッドを招いたことはないという。

 夫人に強く逆らうことができず、言われるままに交流を続けるセヴランに不安や不満を訴えたくなることもあったけれど、あの日の言葉を信じて待つことにしている。

 今日はセヴランが我が家に来てくれた。先日また王都に行き、ベルナデッドと会ったという。王都の有名な菓子店で買ったというお土産は嬉しかったけれど、出かけた目的を思うと複雑な気分だ。

 王都で見聞きしたことを楽しそうに話すセヴランがベルナデッドの話題を出す前に、私は唐突に話を変えた。このところずっと気になっていたことだ。

 「ところでセヴラン様は、犬はお好きですか?」

 「…犬?」瞬きしながらセヴランは答える。「なんでまた急に…イヴェットは好きだったっけ?」

 「はい、飼ってみたいと思ってるんですけど…この前侯爵領のそばで子犬を見かけたんです。飼い犬じゃなかったみたいですがとても可愛くて」

 嘘だった。でも存在するはずなのだ。

 小説でセヴランとイヴェットが出会うきっかけとなった子犬。侯爵邸のそばをうろうろしていたその犬を見つけて、セヴランはこっそり面倒を見ることにする。

 家族に憎まれ使用人からは腫れ物に触るように扱われ、心を許せる存在がいなかったセヴランに初めてできた友だちだった。

 誰にも秘密で世話をしていたつもりだったが、子どものすることだ。学院から長期休暇で戻って来たヴァンサンに気付かれてしまう。

 『自分より惨めな存在に慰められたか?哀れなものだな。…あぁお前じゃない、お前などに拾われたその犬がだ』

 ヴァンサンは子犬を荒々しく掴み上げ、早足で去ろうとする。セヴランは追いすがり兄に子犬を返してもらおうとするが…どこに向かっているかを察して青ざめた。

 ──母親が流され、命を落とした川。

 『兄上、お許しください!もうその犬には関りません、だから』

 『許せるわけがない。どれほどちっぽけな存在であろうと、お前に癒しや慰めが与えられるなど許さない』

 ヴァンサンはそう言うと歪んだ笑みを浮かべ…子犬を川に投げ込んだ。

 (動機も行動も全部が鬼畜!今は優しいお兄様ぶってるけど、本性は冷酷で残虐で極悪非道じゃないの)

 前世で犬を飼っていた私は、この場面を読んで怒りに震えたものだ。

 流される子犬を助けたくとも、一度溺れた経験がある上そのせいで母親を失ったセヴランは川に飛び込むことがどうしてもできなかった。

 泣き叫ぶセヴランを置いてヴァンサンは笑いながら去り、その後セヴランは川岸を下って子犬を探す。自力で岸にたどり着いていないか、わずかな可能性に賭けて。

 そして男爵領まで入ったところで、ずぶ濡れになって子犬を介抱しているイヴェットと出会うのだ。

 『よかった…きみが助けてくれたのか』

 『この子はあなたの犬なの?すごく怖い思いをしたわね。この子も、あなたも』

 セヴランが溺れた場所が領地の境目であることは、このエピソードから推察した。小説の時系列どおりに出会おうと思ったら、王都の学院の休暇期間を調べてエピソードの日にちを推察しなければならなかっただろう。それとも自然な流れでその場に“配置”されるような力が働いたのだろうか?

 …子犬は幸い元気を取り戻し、セヴランの話を聞いたイヴェットは自分が飼うと言い出す。

 そしてそれ以来セヴランはイヴェットと子犬に会うため、今度こそ兄や父に見つからないよう注意を払いながら男爵領に通うようになるのだった。

 (そろそろ侯爵邸の周辺、セヴランの行動範囲にあらわれる可能性があるのよね。川に投げ込まれることはもうないけど、できれば探し出して小説どおりにうちで飼いたいなあ。色合いに特徴があるから見ればわかるよね。小説と同じようにふたりの名前をとって、セトと名付けて…)

 「…そういえばこの前、門前で野良犬を見つけたと使用人が言っていたな」

 「本当ですか?!その犬はどうなったんですか?」

 「母様が不潔だからうろつかせるな、って命じて追い払わせていた。侯爵家で動物を飼うことは母様が許さないだろうな。服に毛が付くし汚されたり破られてはたまらないし、嚙まれたら大変だしね」

 「…そう、ですか…」

 夫人の意見を当然のように思っているセヴランを見て、心の隅にほんの少し、影が差したような気がした。

読んでいただき、どうもありがとうございました!

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ