2.ベルナデッド
「ベル、明日はお客様がいらっしゃるの。あなたも一緒にお出迎えしてね」
母親がそう言った時、横にいる父親がなんとも複雑な顔をしたのをベルナデッドは見逃さなかった。
ベルナデッドの父であるスーリエ伯爵は王立騎士団の団長も務めており、一家は一年の大半を王都で過ごしている。数日前に両親が夜会に出かけていたから、そこで会った知り合いか、もしくは知り合った誰かを招待したのかもしれない。
「どのような方がいらっしゃるのですか?」
「クライン侯爵夫人と下のご子息よ。失礼のないようにしてね。
…ご子息はベルのひとつ上だそうだから、仲良くなさい」
それを聞いてベルナデッドはピンときた。
「私はその方と婚約するんですか?」
「決まったわけではない!」父が突然声を張り上げる。「あちらからお話をいただいたのは確かだが…はあ、ベルはまだ十歳だというのに、妙に聡いところがあるな」
(まだ十歳と思っているくせに、婚約話は持ってくるんですね)
ベルナデットはそう思ったものの、口に出すのは我慢した。この国の貴族は幼いうちから婚約を結ぶことは少ないが、全くないわけではない。
「まずは当人同士の相性を、ということで顔合わせに来られることになったのよ。ベルの気が進まないようなら、格上ではあってもお断りできないわけではないわ。
だからそうね、とりあえず一緒に遊んでみて後で感想を聞かせてちょうだい」
「家同士の結びつきに関しては気を回さなくていいからな。あっても良し、無くても特に問題ない関係だ」
両親の言葉にベルナデッドは内心安堵していた。貴族なのだからいずれ決められた相手に嫁ぐことになるとわかっていたが、ベルナデッドの意思もきちんと聞いてもらえるようだ。『妙に聡い』と父親に言われる冷静な十歳とはいえ、結婚するなら仲良くできる相手がいい、というくらいの希望はある。
さらに聞いてみると、やはり侯爵夫妻とは夜会で話をしたとのことだった。
もちろん以前から挨拶を交わす程度の顔見知りではあり、身分と子どもたちの年回りがちょうどいいということで今回次男の婿入りを打診されたらしい。特に夫人が熱心だったそうだ。
とりあえず明日は遊び相手が来ると思えばいいんだな、とベルナデッドは判断した。
(しかも男の子よ。男の子が相手なら遊ぶのはもちろん…)
「…これはいったい、なんなんだ?」
「剣だと思っていただければ」
翌日の伯爵家の庭で、ベルナデッドは初対面の侯爵令息…セヴランに“剣”を手渡した。
邸内にいる親たちの視界から外れたことを確認してのことである。伯爵家の護衛は当然見守っているが、ベルナデッドのことをよくわかっているのでとりあえず静観してくれていた。
「騎士団の訓練を見てからずっと、私もやってみたかったのです。それなのに練習用の木剣でも私には危ないから駄目だと言われ、なんであれば振り回しても良いかといろんな素材で幾つも試作しては却下され…ようやく認められたのがこれでした」
──細い木の棒を芯にして、綿で覆った上に柔らかい布でぐるぐる巻きにした長細いもの。
どう贔屓目に見ても剣と言い張るのは無理があったが、ベルナデッドにとっては会心の作だった。せっかく対戦相手のために布の色を変えてもう一本用意したのに、たまに父親が付き合ってくれるくらいで存分に打ち合う機会がなかったのだ。
(うちに婿入り希望ということは、お父様の跡を継いで騎士団長になる気があるのよね!それならきっと喜んで相手になってくれるはずだわ!)
…ベルナデッドが年齢にそぐわず冷静なのは確かだったが、その反面父親譲りに違いない直情的な部分も存在した。剣を持つことを止められ納得はしたものの、許可を得るまでこつこつと代用品の試作を繰り返して妥協点を見つけたところが冷静さ。その原動力となったのが“剣を振りたい”という、理屈ではないまっすぐな情動である。
「これが剣ねえ…」
セヴランは呆れたように受け取った“剣”を眺めた。
「セヴラン様はもう、木剣での鍛練を始められているのですか?」
「鍛練?してないよ。危ないことはしないようにって母様にも言われてるし」
ベルナデッドにとっては意外な事実だったが、だからといってせっかくの対戦相手を諦める気はない。
「ならばこの剣から始めるのはちょうど良いですね!いざ!」
「えっ?いやちょっと待てっ」
目を輝かせて“剣”を振りかぶり、向かってきたベルナデッドにセヴランは焦り、とっさに自分の“剣”で受けた。ぽよん、という間の抜けた感触が伝わってくる。
「む、さすがですセヴラン様。私の先制攻撃をあっさりいなすとは」
とにかくセヴランにその気になってもらいたいベルナデッドは、相手を持ち上げることも忘れない。そうなればセヴランとて、本来外遊びの好きだった十一歳の少年である。
気付けば夢中になって打ち合っており、ベルナデッド特製剣がぐんにゃりと曲がってしまうまでそれは続いた。
「…芯に使った木が弱かったようです。かといって太いものを使うと外側を柔らかくしても痛いかもしれませんし…まだまだ研究の余地有りですね」
さすがに疲れた二人は、庭に置かれたベンチに腰掛けて休憩していた。
「また作るつもりか?…きみといいイヴェットといい、貴族令嬢は実は体力勝負、かつ創造性が必要なものなのか…?」
「イヴェット…さん、ですか?」
「隣の男爵領の令嬢だよ。縄跳びといって縄を両手で持って、こう回して飛び越える遊びを思いついて…いや、町で見かけたんだったかな?とにかく以前は縄を持ち歩くほど熱中してたらしい」
セヴランが身振りを加えながら説明すると、ベルナデッドは目を見開く。「そんな激しい運動を、男爵家のご令嬢が?素晴らしいですね。騎士団の体力作りに役立つのではないかしら」
「きみと気が合うかも…いや、そんなことはないな。縄跳びを除けばイヴェットはきみと違ってすごく女の子らしいし、身分が上の相手にいきなり打ちかかってきたりしないし、こちらの話をよく聞いてくれるし、親が見ていないところで豹変したりもしない」
イヴェット嬢を褒めつつ、ベルナデッドへの皮肉を挟むセヴランはわざとらしくため息をついた。
「最初の挨拶の時のきみは完璧なご令嬢だったんだけどなあ。まさか婚約者候補に剣…?を向けてくるなんて」
「中身はどうあれ、伯爵家に生まれたからには所作と言葉遣いはきちんとしておかねばならないと教えられました。騎士団長の娘だからといって粗野だの乱暴だのと言われるわけにはいきませんから」
「中身はどうあれって、そこは許されてるの?ぼくは母様みたいに綺麗で優しい奥さんが理想なんだけどな…でもきみと仲良くするよう言ったのは母様だしなあ」
(夫人やイヴェット様とやらと比べて、私は綺麗でも優しくもない、と。要するにお気に召さなかったということね)
あまり美醜に興味のないベルナデッドは、整った顔立ちのセヴランに執着することもなくあくまで冷静だった。打ち合いは楽しかったので遊び相手として惜しむ気持ちはあったが、いずれ他の候補者も見つかるだろう。
「では相性が良くなかったということで、お父様たちに報告しましょうか?」
「…今決めなきゃいけないことじゃない。これからも交流を続ける予定みたいだし…仕方ないからその時はまた、あの“剣”での手合わせに付き合ってもいい」
母様に言われてるからな!と強調するセヴランはどう見ても、打ち合いが存外気に入ったとしか思えなかった。
読んでいただき、どうもありがとうございました!