12.ベルナデッド
「大縄跳び…!“大”がつくということは、船の停泊に用いるような縄を使って…?」
「それは跳ぶ前に、回す腕が使い物にならなくなると思うわ」
…最上級生になっても、ベルナデッドとイヴェットはこんな会話をしている。
卒業したセヴランとは、ふたりともその前から関わることがなくなっていた。公爵家の実務はヴィルジニではなくセヴランが受け持つことになるらしく、当主から仕事を教わるため領地には戻らず王都に残っていると聞く。
(イヴェットによれば、公爵令嬢は物語に出てこなかったようだけど…。物語のセヴランは立場的に目をつけられなかったとして、誰と婚約していたのかしら)
結婚は来年を予定しているらしいが、隣国の出方によっては延期することになるかもしれない。
隣国の王太子が来年即位することが決まったのだ。先代の国王は穏健派で、近隣諸国とも平和な関係を保っていた。ただ国によって友好的か、無難な国交のみかという差はあり、
この国は無難な関係のほうだった。歴史上争いは何度も起こっていて、平和なこの時代であっても過去のわだかまりはそれぞれに抱えている。
王太子…次期国王は、その思いが特に強いらしく、即位してまずすることはこの国への宣戦布告ではないかと言われていた。
騎士団長の父も有事に備えて多忙な日々を送っており、来年卒業したら騎士団に入る予定のベルナデッドもこれまで以上に努力を重ねている。
そんな中、イヴェットとお菓子を囲んでおしゃべりをする時間は貴重な安らぎだった。
「長い縄を使って、ふたりが端と端を持って回すの。回っている縄の中に別の人間が入って跳ぶんだけど、縄を長くするほどたくさんの人が一緒に入れるわけ。回し役が重労働なのと、誰も縄に引っかからずに跳び続けるのが難しいのよ」
身振り手振りを加えたイヴェットの説明に、ベルナデッドは身を乗り出す。
「一度やってみたいわ。跳ぶのはとりあえず私たちふたりで、回すのはリオネルとジェラール先輩でどうかしら」
「勝手にきつい役目を振られてるけど…リオネルさんはまだしも、ジェラール様はもう卒業して立派な騎士になられてるのよ。縄を回してもらうために呼びつけていい方じゃないでしょう」
イヴェットは呆れたように答えるが、わかっていないのはイヴェットのほうだとベルナデッドは思う。
「どんな用だって駆けつけてくると思うわ。イヴェットに会えると聞けばね」
「…え?」
「在学中はイヴェットがセヴラン様を吹っ切れていないと思って、アプローチも遠慮気味ではあったけど…それでも好意は隠してなかったじゃない。気付いてなかったの?」
セヴランが良い婿入り先を吟味し、令嬢たちが手の届く範囲で最も好条件のセヴランを狙っていたように。
領地の安定した男爵家の娘にして、可憐な美少女であるイヴェットは騎士科の生徒たちにとって魅力的なのだ。
セヴランや令嬢たちと違うのは、皆将来は騎士として身を立てる予定なので婿入り先探しに焦っているわけではないこと。つまりイヴェット本人に魅力を感じている者が多い。
そんな彼らより積極的だったジェラールの想いにさえ気付いていなかったのだから、鈍感にもほどがある。
(競争を勝ち抜くためだとジェラール先輩に頼まれて、イヴェットといる時はさりげなく話の輪に入れていたし…リオネルを加えた四人で街歩きや郊外への遠乗りに出かけたこともあるというのに、気付かないほうがおかしいでしょう)
「それは…ベルナデッド狙いだと…」
なんともいえない表情で言うイヴェットに、ベルナデッドのほうが複雑な顔になる。
「どうしてそんな勘違いをするのよ。…ああ、まだ物語に引っ張られてるのね?」
物語ではベルナデッドの婚約者候補であるセヴランに、なにかと張り合っていたという。騎士団長の娘婿になりたかったのか、ベルナデッドへの純粋な思いからかはわからないと言っていたが。
「…もしかしたら物語のジェラール先輩も、イヴェットが好きだったんじゃないの?」
「えぇっ?!」
「セヴラン様を応援するために鍛練場に来てたイヴェットを見初めて、相思相愛のセヴラン様に嫉妬して当たってたのかもしれないでしょう」
「…た、確かにジェラール様の細かい心理描写とかはなかったし…和解する場面でも『つまらない嫉妬で、ずっと酷い態度を取っていて悪かった』って言うだけで、何に妬いてたのかは書いてなかった…え、嘘、まさか…」
挙動不審に陥ったイヴェットを放置して、ベルナデッドはイヴェットの話を思い出す。
前世というだけでも信じがたいのに、異世界から転生してきたというのはベルナデッドの理解を超える内容だった。そのまま受け入れたのはイヴェットが真剣なのが伝わったためでもあるが、異世界の様子や物語の展開が妄想にしては整いすぎていたからだった。
あれがイヴェットの妄想だというならそのほうが驚異だ。むしろイヴェットが物語を書くべきではないかと思う。
…そう考えたところで、ふと思いついたことがあった。
「ねえイヴェット。物語の作者はイヴェットと逆で、こちらの世界から転生したのかもしれないわね」
「え…?だけど、順番で言ったら小説が先で…」
「ふたつの世界が同じ時間の流れだとなぜ思うの?この世界にとっては未来の異世界から、異世界から見て過去であるここへ。そんなふうにイヴェットは転生してきたんじゃないかしら。
イヴェットが転生したのなら、他の人間だってしていてもおかしくないでしょう?一方通行とも限らないじゃない。
…未来の作者は私たちの身近な人物で、現在はこの世界で生きているの。そして生涯を終えた後にイヴェットのいた世界に生まれ変わって、この世界の記憶をもとにして物語を書いた」
「…私たちをモデルにして、でも話の展開は変えて好きなように想像した、ってこと?…あっ…もしかして、ジャンヌとか…?」
イヴェットは騎士科の見学に通っていた友人の名を呟く。そういえば一度紹介された後は会っても挨拶程度で、ベルナデッドたちと親交を深めることもなかった。『自由に妄想したいから』という意味のことを言っていたはずだ。
「うーん…ジャンヌにはセヴラン様との馴れ初めも話したし、セトを見つけたくて相談したこともあるし、リルメラ探しも協力…あっ、うん、確かに最有力候補かもしれないわね。だいぶ創作部分がえげつないけど…。
それならジェラール様の嫉妬の理由が明かされていないのも、ベルナデッドがセヴラン様に執着してるようで明確な台詞や場面がないことも…わざと別解釈ができるようにしたのかな」
「そうだとしても、彼女に確かめることもできないわね。本人も知らない、遠い未来の話なのだから」
たとえ物語の中でも、ベルナデッドは自分がセヴランに執着したとは思えなかった。凄腕の剣士でイヴェットに一途だったというなら好感は持ったかもしれないが、現実のセヴランしか見ていないベルナデッドには想像が難しい。
手合わせに付き合ってもらった時、確かに剣の筋が良いようだとは思った。本人は認めなかったが当時は楽しんでいたことも間違いない。
研鑽を積めば最強になったと知れば惜しい気はするけれど、本人にその気がなければしかたがない。本人にも誰にも見出されることなく、隠れたまま終わる才能なら才能ではないのだ。
異なる世界の間で交換留学のように転生が起こっている──思いついた勢いで話してみたものの、自分でもどこまで本気なのかわかっていなかった。
こちらの世界にも転生の概念はあるが、前世が異世界、さらに生まれ変わった先は架空の物語の中…というのはベルナデッドには理解しづらい。交換転生、のほうがまだしも納得がいく気がしただけだ。
正直にそう言うと、イヴェットは「以前の世界でも、そういう物語が好きな人以外はベルナデッドと同じ感覚だったと思うわ」とうなずき、「それにしても…前世の世界をこちらで“異世界”って呼んでるの、なんだか不思議」と小さく笑った。
「今生きているのはこの世界だものね。…ずっと『異世界に転生した』っていう意識でいたけど、私は『異世界から転生してきた』のね」
「その異世界の記憶を活かして、イヴェットも物語を書いたらどう?」
「うーん、こちらとは文化も価値観も違い過ぎて、SF扱いになりそうだけど」
そこからイヴェットに“SF”の定義を教えてもらうことになったのだが、ベルナデッドにはやはり理解が追いつかないのだった。
──卒業式の日、ベルナデッドはイヴェットからプレゼントを贈られた。
受け取った銀のロケットペンダントは、開くと青いリルメラの押し花が台紙ごと嵌め込まれており、薄いガラスで保護されていた。
飾り彫りの美しいロケット本体はもちろん、台紙も箔押しの上等な紙が使われ、リルメラの花も丁寧に形を整えられていた。イヴェットが心を尽くして用意してくれたことが伝わってくる。
「花が咲き始めた頃から探して、今日渡せるように加工していたの。以前はもらうのが夢だったけど…私のほうから、親友の幸運を祈って渡すのもいいんじゃないかと思って」
野花の押し花だけでは令嬢が持ち歩くのにふさわしくないから、ロケットを作らせて中に忍ばせることにしたという。
ジャンヌの話をした時に『リルメラ探しに協力』と言いかけたのは、今日まで秘密にするつもりがうっかり口を滑らせたのだろう。
「ありがとう、とても嬉しいわ!青いリルメラを見たのは初めてよ」
相変わらず顔にはあまり出ないが、ベルナデッドが感激していることは親しい者ならわかっただろう。がーるずらぶに転んだわけじゃないから!とわけのわからない(前世の話をしてから歯止めがきかなくなったのか、イヴェットとの会話にはちょくちょく謎の用語が登場する)言い訳をしながらも、贈ったイヴェットのほうが嬉しそうにしている。
ベルナデッドとリオネルは既に騎士団の入団試験に合格しており、卒業と同時に入団することが決まっている。そして隣国が近いうちに侵攻してくるという情報が伝わっている現在、国内はどことなく不安な空気が漂っていた。
持ち歩けるようにしたということは、戦場でも身に着けられるようにしてくれたということだ。貴族令嬢の装飾品としては質素なデザインは、騎士のお守りとしてなら華美過ぎず悪目立ちしない。
騎士が持つロケットには家族や恋人の姿絵が描かれているのが普通だが、ベルナデッドは親友から贈られた、幸運の象徴を胸に戦場に臨むのだ。
──ひとりの、圧倒的な強さを持つ英雄はいないけれど。
(お父様もお父様の鍛えた騎士団も、私もリオネルもジェラール先輩も…全員の力でこの国を守ってみせるわ)
読んでいただき、どうもありがとうございました!