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11.イヴェット


 いつか誰かに転生の事実を打ち明けることがあったとしても、その相手がライバルキャラのベルナデッドになるとは想像もしていなかった。ライバルも転生者、という展開ならあり得たかもしれないけれど、ベルナデッドはいわゆる“現地民”だ。

 全て話す必要がないことはわかっていた。度を越した心配性で考え過ぎる性格ということにしてごまかしても良かった。

…私自身が誰かに話したくて、もう限界だっただけだ。

 ベルナデッドは長い話を黙って聞いてくれた。表情に乏しい彼女がどう思っているのかは窺えなかったけれど、危険人物とみなして警戒する様子もなく、笑い飛ばす気配もなかった。

 話し終えた後判定を待つように、うつむいてお茶を飲む私を見ながらベルナデッドが口を開く。

 「──騎士になるのを諦めたなんて、その物語の私は根性がないのね」

 「最初に気にするの、そこなの?」

 思わずツッコミを入れてしまってから、私はあらためてベルナデッドを見た。

 「…ベルナデッドは、信じてくれるの?」

 「わからないわ」ベルナデッドはあっさり答える。「それが事実かどうか、確かめる方法もない。…わかるのは、イヴェットが嘘を言っていないということ。イヴェットにとってはそれが事実で、それならイヴェットの事実に沿って考えてみようと思ってるだけよ」

 「…ありがとう…」

  思わず涙ぐむ私に対して、ベルナデッドは冷静だった。

 「イヴェットはこの世界を支流だと言ったわね。でも今私たちが過ごしているこの場所、この時間はまぎれもない現実。物語ではない。そうよね?」

 私はうなずいた。何度も自分に言い聞かせたことだ。

 「それなら考え方が逆だと思うわ。この現実が本来の流れで、物語のほうが支流よ」

 「…えーと、先に物語ありきで後追いしたわけだから、順番としては…」

 「どれほど似ていようと、物語は物語だわ。私たちと名前も外見も同じ登場人物が出てくるだけ。偶然なのか何かの力が働いているのかは知らないけど…。

 物語の彼らは私たちとは違う。私たちに起こったかもしれない出来事や起こしたかもしれない行動によって、違う人生を送った別人なの」

 (ifルートみたいなもの…?)

 あら、そうなると本流だの支流だのという話でもないわね…とベルナデッドはひとりごちている。私の突拍子もない話についてきてくれて、さらに考察してくれることに手を合わせて拝みたい気分だ。

 「難しいわね…まあいいわ。とにかく私が言いたいのは、イヴェットが行動してくれたおかげで物語より幸せになっている人間がいることよ。まずは私」

 クライン侯爵夫人が生き延びてセヴランの婿入り先探しに力を入れた結果、ベルナデッドは手合わせの相手を得た。それにより剣の才能が目覚め、望んでいた騎士の道へと進んでいる。それは理解できた。

 「それにリオネル」

 「リオネルさん?なぜ…あ、セヴラン様が入らなかったことで騎士科に入学できたとか?」

 私の質問にベルナデッドは首を振った。

 「もっと深い理由よ。リオネルのお父様は市井で剣術指南をされているけど、その前は貴族の家で護衛をしていたの」

 護衛…私の家のクルトと同じ立場だったのか。それがどう関係するのだろう。

 「ある日彼は、その家の夫人と令息に同行して川へ出かけたそうよ」

 (えっ…まさか…)

 「令息が川で溺れてしまい、幸いにして川下にいた人々に助けられたのだけれど…夫人は令息を守れなかったと彼を非難して、責任を感じた彼は職を辞したのですって。

 リオネルを父の後見で学院に入れる時、念を入れて身元調査をし直したの。雇っていた家の当主は問い合わせにきちんと答えてくれて、彼の腕や人柄に問題はなかったと認めた。そして川に同行した侍女は、事故について話してくれたの。

 …川原に着いた時に蛇が出て、すぐに逃げていったのだけれど夫人が追わせたそうよ。引き返してきて自分や息子を噛むかもしれないから、殺してくるようにと…。リオネルのお父様は侍女にふたりを任せて蛇を探したけれど、背を向けている間に令息が川に駆けて行ってしまった。川に入ってみたくてしかたなかったのね。侍女なら振り切れるし、絶好の機会だと思ったのでしょう」

 私は初めてセヴランが溺れたいきさつを知った。川に出かけた理由は小説に書いてあったけれど、着いてからのことは“遊んでいるうちに深みに足を踏み入れた”くらいしか説明されていなかったと思う。

 夫人やセヴランに責任があるとまでは言わないけれど、護衛の人を一方的に責めるのも気の毒だ。あの時に走って来た護衛の男性が、リオネルのお父さんだったのか。『うちのクルトみたいに優秀じゃないのかしら』と失礼なことを考えた覚えがある。

 「もしもその物語のように愛する夫人が命を落としていたら、事故の経緯に関わらず当主は許さなかったのではないかしら。幼い実の息子にすら容赦しなかったのだもの、まして自分が雇った平民への罰となれば…命で償わせていたかもしれない。

 お父様が罪人として亡くなっていたら、残されたお母様とリオネルはその後どうなったと思う?周囲の目は厳しいでしょうし、まともな働き口が見つかったかどうか。なんとか仕事につけたとしても生活に追われるばかりで、剣を習って騎士団の門を叩く余裕はなかったでしょうね」

 あの事故で人生が狂うのは、夫人とセヴランだけじゃなかった。私はこれまで護衛の男性について想像もしていなかったことが恥ずかしくなった。考えが及んでいたところで、どうにもならなかったにしても。

 良い方向に変わったのは幸いだけれど、結果オーライというだけだ。

 「とりあえず今度理由は省いて、リオネルにお礼を言わせましょうか」とベルナデッドに言われて必死で止めた。

 お茶のお代わりをもらい、ゆっくりと飲みながら頭の中を落ち着かせる。過去の一場面や小説の断片が次々浮かぶ中、目の前の空になったお皿を眺めた。

 (縄跳びについては説明の中で触れたけど、差し入れのバターサンドクッキーも今日のミルクレープも、前世にあったお菓子だと言うのを忘れてたわ。って今言うことでもないけど…うん、私やっぱり混乱してる)

 「…もちろんクライン侯爵夫人が、イヴェットに救われて幸せになったいちばんの人物ね。侯爵や小侯爵もそうだわ。夫人の死を嘆くあまり…イヴェットはさっきなんて言ったかしら?闇落ち?家族を憎んで虐げるような、歪んだ性格にならずに済んだわけよね」

 今では夫人の行動に辟易しているように見えるふたりは、この先何かあっても小説のように豹変することはないだろう。きっかけがあれば本性を現す、と思っていたこともあるけれど、きっかけとなる出来事がなければ、あってもそのタイミングによっては、生涯現れずに終わる一面だと思える。本性というより、突発的に生まれるか変異した性質とでもいうべきか。

 「それから当たり前だけど、セヴラン様ね。イヴェットはイヴェットが決意したとおり、セヴラン様を幸せにできたのよ」

 「…そうかしら?救国の英雄になれた未来もあったのに、才能を発揮することができていないのよ。剣の道に進むよう、私が誘導できていたら…」

 「それは今のセヴラン様にとって幸せなの?

 母を喪って家族に虐待され、他の道が選べず鍛練に没頭するしかなかった。そんな辛い境遇を経て、国いちばんの剣士となったのでしょう?逆に言えば、そこまで追い込まれなければ開花しなかった才能なのよ。国を救うほどの力だもの、犠牲が大きいのも納得できるわ。

 それほどの努力を、夫人が健在で可愛がられ、皆にもてはやされて暮らしている今のセヴラン様ができると思う?」

 …想像しようとしたけれど、どうがんばってもその光景を浮かべることができなかった。

 「物語を…あり得た未来を考えなければ、お母様が元気で侯爵令息として裕福な生活を送り、公爵家に婿入りが決まっているセヴラン様は間違いなく幸せじゃないかしら」

 私が思う幸せじゃなく、私がいない場所での幸せであっても、セヴランにとっては満足のいく人生。小説を知っているからこそもどかしい気分になるけれど、これで良かったのかも…

 (…って、そうじゃない!そもそもこの話になったのは…)

 「隣国との戦争はどうなるの?英雄になるはずだったセヴラン様がいないせいで、この国が負けることになったら…幸せどころか私たち、いえ、国中が不幸になるわ!」

 ベルナデッドは少しの間沈黙し、慎重な口ぶりで答えた。

 「…それについてはまだ何もわからないし、断言はできないけど…

 本当に戦争になったとして、お父様も私も、騎士団全員…やすやすと負けるつもりはないわ。物語で他の騎士たちがどうしていたかは知らないけど、国の命運を新人騎士ひとりが背負うことのほうがおかしいじゃない。何故そんな状況になるの?」

 私は小説を思い出しながら語った。国境に展開する王国軍、その中で新人騎士の多くは攻撃される可能性のもっとも薄い場所に配置される。

 隣国は情報を分析した結果その場所に奇襲をかけ、一気に攻め入ろうとした。だが浮き足立つ騎士たちをセヴランがまとめ、猛然と反撃に出て敵を蹴散らすことに成功。それによって乱戦状態となる中、セヴランは勢いのままに敵の総司令官を討ち取った──

 戦記ものではなく恋愛小説だったからか、いろいろ適当でご都合主義な流れだ。そもそも戦場の描写自体がなく、祝勝会の場面でセヴランの武勇伝として語られるだけだった。

 「なるほどね。今後本当に戦争が起きてしまったら参考にさせてもらうわ。その時に騎士として参戦できるよう、これまで以上に研鑽を積まなくては…。

 英雄がいなくてもこの国は負けないと、証明してあげる」

 不敵な眼差しで宣言するベルナデッドは、小説のセヴランに匹敵するほどかっこよかった。

 (小説のセヴランの立ち位置にいるのはリオネルより、ベルナデッドが近いのかも…)

 縄跳びはセヴランを助ける役には立たなかったけれど、ベルナデッドとの交流ツールとして活躍した。呼び捨てで気安く話せる仲になったのも、セヴランではなくベルナデッドのほうだ。

 セヴランの取り巻き三人組から助けてくれたのも、ベルナデッドだった。最初にしろ二度目にしろ、怯みはしたものの私だって大人しく苛められるつもりはなかったのだ。助けが来なくても自分で戦うつもりだったけれど、結局は庇ってもらうことになった。そういう場に居合わせるタイミングの良さも含め、完全にヒーロー枠である。

 (どうでもいいけどあの時言ってた『鍛練に関する助言』って縄跳びのことよね…。騎士科のアドバイザーみたいな表現をされていたたまれないわ。

 …まぁそれはともかくとして、あの三人は小説に出てこなかったけど、物語の陰でどういう行動をしてたのかな)

 小説では実家に冷遇されている上、近付いても愛想ひとつ返ってこないセヴランは入り婿候補から外れていたのだろう。だからイヴェットに絡むこともなく、登場もしなかった。

 おそらくは、文官クラスあたりから相手を探していたのではないかと思う。騎士科にも来ていたとすれば“鍛練場には今日も、数人の令嬢が見学に訪れていた”という描写がそうだったのかもしれない。

 けれど将来の騎士の婿入り先としては、ベルナデッドという格上で強力なライバルがいた。婚約を打診されていたセヴランは家も本人も乗り気ではなく、そのせいでジェラールのように令嬢たちにとって有望な相手はベルナデッドを諦めていない。それで近付く隙がなかったのかと想像する。

 この世界のセヴランは、侯爵家で大事にされている上に正式な婚約者のいない優良物件だ。しかも婚約者候補の私は男爵令嬢なのだから、下位の令嬢でもチャンスがあると思って近付いたのだ。

 セヴランが優しく応じたせいで期待してしまった令嬢たちは、他の令息たちとまったく交流しなくなった。選ばれるのはひとりだけなのに、全員それが自分だと信じていたのだろうか。セヴランの気の持たせ方が巧かったということかもしれない。

 けれど結局セヴランは公爵令嬢にかっさらわれ、親衛隊は解散した。他の相手を探すには出遅れていて、慌てて騎士科に狙いをつけたというところか。騎士科は嫡男以外の令息が多いけれど、たいてい婿入りより騎士として身を立てることを優先しているので比較的婚約が遅い。

 先日の一件で、それも望み薄になってしまったようだけど…

 ベルナデッドに話を聞いてもらえたおかげか、令嬢三人組の心情まで考える余裕が生まれたようだ。現金にも食欲まで復活した私がクッキーに手を伸ばしたところで、ベルナデッドに質問される。

 「さっきの話の中で気になった単語があるんだけど…とりあえず最後まで聞いてからにしようと思って言わなかったの。

 流れからだいたいの意味はわかったと思うんだけど、“推し”ってどういう概念なのかしら?」

 …できるだけ前世の言葉は一般的な用語に言い換えたつもりだったけれど、どうやら無意識に口にしていたらしい。

 「ファンと同じような意味だと思ってくれればいいと思うわ。贔屓の役者を応援するため劇場に通いつめる人にとっては、その役者が推しということになるわね」

 鍛練場に誘ってくれたジャンヌは、騎士科の生徒全体に詳しかった。今思えばあれは箱推しに近かったんだろうか。

 「恋人になりたいとか結婚したいとかじゃなくて、活躍している姿を見るだけでいい、そのために力になりたいと思う相手…ということで合ってるかしら」

 私がうなずくと、ベルナデッドはさらに追及する。

 「イヴェットは物語のセヴラン様が“推し”だったのよね?

 物語では逆境に耐えて心を閉ざしながらイヴェットだけは大切にしていて、国のため…というよりイヴェットのいる国を守るために剣の道を究めたようだけど、今のセヴラン様はどれも当てはまらない。

 それでもまだセヴラン様は“推し”なのかしら?幸せならそれでいい、というのはそういうことなの?」

 (…推しがどれだけ変わってしまっても、推す側は変わることなく推し続けられるのか?)

 たとえば顔に傷を負ってしまい容貌が変わるとか、太ったり痩せたりといった外見の変化だけなら私は推し続けたと思う。

 外因に限らず境遇や性格の違いで、顔つきや浮かべる表情が小説からは離れることもある。ただ性格が変わると顔つきだけでなく、当然ながら行動も言動も変わってしまう。

 見た目と内面、すべてをひっくるめて気に入ったキャラだったから推していた。けれど今こうなってみると、私にとっては内面のほうが重要だったのがわかる。それで勝手に裏切られた気になったこともあるけれど、『推しは生きて存在しているだけでいい』と以前は考えていたはずだった。

 読者として別の次元から見守る立場ではなく、同じ世界で実際に恋をして結婚を望む立場になったからだろうか。

 今のセヴランは推しではない。幻滅したとかではなく、ひとりの人間だから。遠くから応援する存在とは違うから。

 

──物語とこの世界を分けて考えることが、ようやく本当にできる気がする。

読んでいただき、どうもありがとうございました!

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