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10.ベルナデッド


 授業が少し長引いたため、鍛練に遅れた。ベルナデッドは着替えを済ませ、リオネルとともに鍛練場に出る。

 見学者の集まるエリアを見ると、特徴のあるイヴェットの髪色が目に入った。今日は新作のお菓子を持って来てくれると言っていた。イヴェットが作るお菓子は店売りの商品にはない工夫があり、ベルナデッドだけでなく騎士科の面々も楽しみにしている。

 まだこちらに気付いていないイヴェットに向かって歩いていると、反対側から見学者らしい令嬢たちが先にイヴェットに近付いていく。

 (…あれは、セヴラン様の取り巻きだった…イヴェット様に絡んでいた三人だわ)

 セヴランとヴィルジニの婚約が発表され、さすがにあの三人もセヴランにまとわりつくことを止めていた。イヴェットに対しては共通の敵を潰すために共闘していたのだろうが、相手が公爵令嬢では文字通り束になったところで勝ち目はない。公爵家に睨まれて家門に影響を及ぼす恐れもある。

 もうイヴェットに関わる理由もないはずだが、三人は険しい目でイヴェットの前に立った。すぐそばに来ているベルナデッドも視界に入っていないようだ。

 「セヴラン様に捨てられて、慌てて騎士科の令息を見繕いに来たのかしら?」

 「こちらには婿入り可能な、次男以下の優良候補がたくさんいらっしゃるものね」

 「みじめというか浅ましいというか…あら失礼、切り替えの早さと計算高さを褒めるべきだったかしら」

 以前の再現のように意地の悪さ全開の令嬢たちに、ベルナデッドは怒りを通り越して呆れてしまう。

 (またあの展開を繰り返したいのなら、ここで私が割り込んでもいいわよね。

 …そもそも騎士科に来れば私に会うことくらいわかってるはずなのに、ある意味すごい度胸だわ。今回はあの時以上にきつく言って差し上げなければ)

 そう思って言葉をかけようとした瞬間、イヴェットが先に口を開いた。

 「…今のは皆様の自己紹介、でしょうか?」

 沈黙が下りた。

 後ろをついて来ていたリオネルが吹き出し、ベルナデッドも口元の緩みを抑えきれなかった。

 令嬢たちはセヴランを囲むのに忙しく、これまで騎士科の見学に来たことはないはずだ。それが突然やって来て、手には差し入れらしき箱を…イヴェットとは違い、有名な菓子店の包装だったが…持っているのだから狙いは明らかだ。よくもイヴェットに皮肉を言えたものだ。

 セヴランを諦めるしかなくなり、次の入り婿候補を探すために見学に訪れたのだろう。

 そうして来てみれば先にイヴェットがいた。美しいイヴェットはセヴランの時と同様強力なライバルだ。また邪魔をする気なのかと勝手に腹を立て、周りも見えなくなった状態で喧嘩を売ったのだ。

 「…な、なんですって!この…」

 令嬢のひとりが顔を真っ赤にして、手を振り上げる。勢いよく下ろされたその手はイヴェットの頬を──かすりもせずに空を切った。

 背後からイヴェットをそっと抱え込むようにして、後ろに下がらせたのはジェラールだった。

 「イヴェット嬢、大丈夫だった?当たってない?」

 「ジェラール様…あ、ありがとうございます。大丈夫です」

 「勝手に触れてごめんね。あちらを取り押さえるべきだったかもしれないけど、あの令嬢に触れるのは気が進まなかったし…イヴェット嬢を助けられる上に触れられるなんて役得しかないじゃん、ってとっさに判断した結果つい身体が」

 「後半を口にしなければ、称賛を惜しまないところでしたが」

 ベルナデッドは冷静に口を挟みながら、ジェラールからイヴェットを引き離す。

 本当に令嬢たちは周りが見えていなかったようだ。会話が聞こえる距離に立つベルナデッドも、吹き出した後も笑いをこらえて身体を震わせていたリオネルも、異変を察して駆けつけたジェラールのことも目に入っていなかったのだから。

 ジェラールが守るだろうと確信していたので、ベルナデッドは落ち着いていられた。

 「またお会いしましたわね、皆様がた」

 イヴェットを庇うように立ち、ベルナデッドは冷たく三人を見据える。先ほどまで怒りで紅潮していた顔は全員血の気が失せていた。

 「イヴェットは私の親友ですから、ずっと前から騎士科に顔を出していますわ。鍛練に関する助言もしてくれたので、他の生徒たちもよく知っています。

 …それに対し、ここで貴女がたを見たのは今日が初めてですわね。単刀直入にお聞きします。何をしにいらしたの?」

 『セヴランに捨てられて』『入り婿候補を見繕うための』『計算高い行動』だとは口が裂けても言えまい。三人は俯いて、差し入れがどうのと言い訳がましく呟いた。

 「鍛練場で暴力沙汰を起こそうとした相手からは受け取れないなあ」ジェラールがあえてのんびりした口調で言う。ベルナデッドが話している間、リオネルから令嬢たちの発言を聞いたらしい。「今後も見学は遠慮してもらえる?騎士科の連中にはイヴェット嬢のファンが多くてね。彼女に難癖をつけた挙句手を上げるような相手とは、絶対に関わりたくないと思うんだ…この先も」

 婿入り可能な立場で婚約者のいない令息はいるが、今の行動を知って縁を結びたいと思う者はいないだろう。正義感の強い騎士科の生徒にとってはイヴェットが被害者でなくても、数をたのみに他人を罵り暴力を振るおうとする令嬢など近寄りたくないに決まっている。

 他科の令息にしたところで、カッとなると周りが見えなくなり、人目のある場所で考えなしの振る舞いをするとなれば貴族夫人としての適性を疑うに違いない。

 そして伯爵家で端正な容姿のジェラールはおそらく、彼女たちの考える優良候補の筆頭だったはずだ。

 その当人からの完全な拒絶に、三人は涙を浮かべてよろけながら立ち去っていった。


 鍛練の間もベルナデッドはイヴェットを気にしていたが、思ったよりも堪えていないようで安心していた。差し入れのクッキーにはレーズン入りのバタークリームがたっぷり挟まれていて食べ応えがあり、鍛練で疲れた生徒たちに大好評で奪い合いになった。

 イヴェットはそれを見て嬉しそうに笑っていたし、ジェラールには今度お礼に特別なお菓子を焼いてくると約束していた。ベルナデッドにも用意すると言ってくれたので楽しみだ。

 イヴェットがあの三人に冷静に言い返したことも意外だった。思えばセヴランの婚約についても、不器用ながら慰めようとしたベルナデッドを逆に気遣ってくれていた。事情を聞いて「だからさっさと正式な婚約を結んでいれば」と怒るベルナデッドをなだめてくれたほどだ。

 「セヴラン様が幸せなら、それでいいんです」と微笑むイヴェットは強がっているようには見えず、それでも時々ふっと憂いをおびた顔を見せることが気がかりだった。

 

 週末になり、ベルナデッドはイヴェットを伯爵邸に招いた。イヴェットの手土産は見たことのないケーキだ。

 「騎士科への差し入れには生菓子を持って行けなかったので、今日ははりきって作りました」

 という言葉とはうらはらに、気に入ってもらえるか少し不安そうにしているイヴェットの前でベルナデッドは興味深くケーキを観察した。

 布のように薄い生地が幾層にも重ねられていて、その間にはクリームとスライスした果物が挟まれている。ベルナデッドには大変な手間に思えたが、イヴェットによると意外と簡単、ということだった。

 「…美味しいです!この生地は食事やデザートで口にしたことがありますが、このように何枚も重ねたものは初めて食べました。お茶会で出したら流行るのでは?」

 「気に入っていただけて良かったです。フォークを入れると崩れてしまうことが多いので、格式のあるお茶会では出せないと思いますが…」

 「友人同士の気のおけない席であれば、美味しさのほうが重要ですわ」

 そう答えた時、ベルナデッドはあることを思い出してフォークを置いた。

 「あの、先日の…鍛練場での件で、勝手に呼び捨てにしたり親友と宣言してしまってすみません」

 イヴェットは目を見開いた。「そんな…助けていただいたわけですし、むしろ光栄でした。よろしければ今後もイヴェットとお呼びください」

 「本当にいいのですか?では私のことも呼び捨てで、できれば話し方ももっと砕けたものにしていただけると嬉しいです。正直に言うとずっと前からそうしたいと思っていたので」

 いえいえそんな、いいからいいから(ベルナデッドはいち早く言葉を砕いていた)というやり取りを繰り返した後、折れたのはイヴェットだった。

 「えっと…じゃあ、ベルナデッド、これからもよろしくね」

 とても言いにくそうではあったが、すぐに慣れるだろうとベルナデッドは笑みを浮かべる。

 「こちらこそよろしく、イヴェット。それで早速なんだけど、イヴェットには気にかかっていることがあるの?それともセヴラン様のことがまだ吹っ切れていない?」

 時折り見せる沈んだ表情が気になっているのだ、とベルナデッドは説明する。イヴェットは反射的に否定しようとしたようだったが、迷った末こう答えた。

 「…隣国と、戦争になる可能性はあるかしら」

 予想外の返事にベルナデッドは驚く。「戦争?それが心配だったの?確かにそういう懸念はあるとお父様に聞いたけど…もしも攻め込まれたとしても、お父様は、王立騎士団は負けないわ」

 私だって、と心の中でベルナデッドは付け加えた。イヴェットはそれを聞いても浮かない顔だ。

 「…万が一緒戦で敗北することになったら、隣国の勢いは止まらなくなるわ。あちらの王太子は好戦的と言われているけど、闇雲に攻めて剣を振り回すわけじゃない。きちんと戦略を練って挑んでくるはずよ」

 イヴェットがそのような心配で顔を曇らせているとは思いもよらず、ベルナデッドは言葉に詰まった。それを誤解したのか、イヴェットがはっと顔を上げる。

 「ごめんなさい…お父上を侮辱するつもりはないの。でも…」

 「…イヴェットには何か、心配する根拠があるみたいね」

 そう言ったあと、ベルナデッドは待った。イヴェットが目を伏せて、考え込みながら口を開きかけ、閉じて、そうしてようやく顔を上げてベルナデッドを見るまで。

 「…これから話すことは私の夢か妄想だと思って、聞いてくれる?」

読んでいただき、どうもありがとうございました!

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