第55話:不穏の兆し──揺れる影、蠢く野心
文禄三年(1594年)。
秀頼誕生の慶事も冷めやらぬ中、 豊臣政権にはかすかな亀裂が生じ始めていた。
関白秀次── 秀吉の姉・ともに育てられ、実子同然に遇されてきた男。
すでに関白職を与えられ、豊臣家を継ぐものと目されていたが、
秀頼の誕生を機に、その立場は急速に揺らぎ始める。
「この子の未来のためにも、やがては……秀次様には……」
茶々のつぶやきが、政の中心に波紋を生む。
その一方で、老臣たちもまた静かに動き始めていた。
徳川家康は、己の譜代をあちこちの要職に就け、 石田三成は、
秀頼を頂点とする新たな体制を見据え、 細やかな行政と財政改革に奔走していた。
だが、その存在が一部の武断派武将たちの不満を煽る。
加藤清正、福島正則、黒田長政──
「机の上の男が、何を威張っとる」
かつて戦を支えた猛将たちの間に、不満と猜疑が燻る。
そして、丹羽長秀の死。
かつて信長の側近であり、秀吉とも深い信頼で結ばれていた老将の死去は、
政権内の均衡を保つ楔を、ひとつ失うことを意味していた。
秀吉は、これらすべての変化を肌で感じていた。
だが、それを「老い」と認めることはできず、
なおも政と儀式に精を出し、 夢の続きにしがみつくように振る舞っていた。
「わしが目を光らせとる間は……豊臣の天下は、揺るがん……」
その言葉の裏に、焦りと恐れが滲む。
政権は盤石に見えて、静かに軋みを上げ始めていた。




