第3話:草履取りの戦略──信長の信を得る
木下藤吉郎が那古野城に仕えはじめて、まだ日が浅かった。
しかし彼の名は、すでに家中の者たちの間でささやかれはじめていた。
「草履を温めておるだけで、なぜあやつは殿のお側に?」
「いや、あの目つき……只者ではない」
雑用係──だが、ただの雑用係ではない。
藤吉郎は、草履一足にさえ知恵と工夫を詰め込んでいた。
『草履は常に温度38℃を維持。足の冷えを抑えることは集中力と持久力の維持に寄与します』
「なるほどな、ナニワ。信長さまは冷え性ってわけか」
『いえ、生理的弱点は不明ですが、温かい履物への反応は非常に好意的です。
記録開始:3日連続で草履に満足した表情あり』
だが、それだけではない。
藤吉郎は、膨大な雑務の合間にも家中の人員配置、
武器備蓄、食料庫の管理状況などを観察していた。
『本丸台所の米俵にて虫害。報告されていない。衛生管理が不十分です』
『軍備庫にて槍の束ね方が不統一。抜刀時の遅延を招く可能性あり』
彼はそれを、誰にも気づかれぬように整え、改善し、そして信長だけが気づく形で“痕跡”を残した。
ある日のこと。
「草履取り、参れ」
信長の声が響く。
「はいっ!」
藤吉郎は控えの間へと駆け込んだ。
「この頃、妙に館の回りが整っておる。……おぬしか?」
「恐れながら、些細なことを見つけ次第、少々手を加えさせていただきました」
「ふむ。武家の者でもないのに、ようもそこまで気が回る」
信長はしばし沈黙し、やがて、口元をゆるめて言った。
「よかろう。草履取りだけでなく、取次役を兼ねてみよ。おぬし、声がよい」
「光栄にございます!」
その晩、藤吉郎はナニワとふたり、城下の橋の上で夜風に吹かれていた。
「これで……一歩、進んだな」
『はい、ご主人様。信長の信を得る第一段階、達成です。次は軍務に絡むことが目標です』
「ふふ、戦やな。ようやっと戦国らしくなってきたで」
──この夜、星空の下で密かに語られた“天下”の野望は、まだ誰にも知られてはいなかった。




