第35話:西征始動──毛利攻めと備中高松
天正十年(1582年)、春──
琵琶湖のほとりに築かれた安土城。 その石垣の間を渡る風は、かすかに西の気配を運んでいた。
信長は、広間に家臣を集めると、 その目を鋭く光らせながら一枚の地図を広げた。
「次は、中国じゃ。毛利を抑えねば、九州も瀬戸内も手に入らぬ」
その言葉に場の空気が一変した。
「羽柴秀吉──お前に播磨・備中への進軍を命ずる」
「はっ……! 志、もってお受けつかまつりまする!」
秀吉の声は力強かったが、心の奥では小さく唸るものがあった。
毛利家は、長年西国を牛耳る名家。 その軍勢、兵糧、地の利──どれを取っても強敵だった。
ナニワ『毛利軍兵力:概算40,000。主要拠点:広島・吉田郡山・備中高松。
陣形傾向:弓戦特化。対策:湿地戦術/夜襲可』
「ナニワ……こりゃあ、骨の折れる戦になりそうだがや」
そのとき、会議の末席で一人の男が目を伏せながら微笑んでいた。
若くも老獪な目を持つ黒衣の男──名は、黒田官兵衛孝高。
この日、信長の命を受けて西に向かう秀吉の軍勢に、 彼もまた影のように付き従うこととなる。
【備中高松──湿地に沈む野望】
同年、5月──
備中の要地、高松城。 そこは毛利方の重鎮・清水宗治が守る難攻不落の水城であった。
羽柴軍は既に数週間にわたり包囲を続けていたが、 地の利に守られた城を崩すには決め手を欠いていた。
「……水や。ナニワ、あの湿地を利用できんか?」
ナニワ『築堤による逆流調整可能。雨季を利用した増水戦術、勝率向上見込み78%。
築堤作業:12日以内』
秀吉は即座に命じた。
「堤を築け! 水で奴らを沈めるんや──!」
官兵衛と半兵衛が連携し、 農民たちを巧みに動員し、短期間で前代未聞の築堤作戦を実行。
やがて、雨が降り始めた。
高松城の周囲は、見る間に巨大な湖と化し、 城兵は次第に士気を失っていく。
清水宗治は最期、家臣を守るため、切腹を選んだ。
「見事じゃ、秀吉」
信長は安土からの報に満足し、 その成果をねぎらうため、自ら京へ向かう。
だが──その旅路の最中、本能寺に宿を取る。
ナニワ『緊急通信:京都・本能寺にて──信長様、襲撃される』
秀吉の表情が凍りついた。 湿地に沈んだのは、敵の城だけではなかった。
己の中に沈みゆく、不穏な未来の影── それを、ナニワもまた静かに見つめていた。




