第25話:三方ヶ原──甲斐の虎、天下に吼ゆ
元亀三年(1572年)冬──
信玄、動く。
「西へ行くぞ。京の都を、我が手に」
甲斐の虎・武田信玄は、長年の宿敵・上杉謙信と和睦を結び、 満を持して西上作戦を開始した。
その矛先は、織田信長の盟友である徳川家康が支配する遠江・三河。
信玄の狙いはただ一つ──京を押さえ、足利義昭を真の将軍に立て直すこと。
【布石──遠江への進軍】
信玄は、嫡男・武田勝頼らを伴い、 遠江へ向けて怒涛の進軍を始める。
信長は即座に対応。
藤吉郎は京にて情報収集と連絡の任にあたり、 ナニワを通じて信玄軍の動き、
兵糧・士気・補給線を分析する。
ナニワ『信玄本隊:三千余、秋山・馬場隊合わせて一万強。
進軍速度、想定以上。援軍到着間に合わず』
「家康殿が討たれれば、織田家の西がガラ空きになる……信長様、ここが耐えどころだわ」
【家康、迎撃す──三方ヶ原合戦】
12月22日。
徳川家康は、信玄率いる武田軍と遠江・三方ヶ原にて激突。
織田軍の援軍はまだ間に合わない。
兵力差、明白。
武田軍:約1万8000 徳川・織田連合軍:約1万1000(織田軍は少数)
「我が軍に恐れなし!信玄を討つは今しかない!」
しかし──それは罠であった。
信玄はあえて軍を退却させ、家康を誘い出し、 三方ヶ原の開けた野で迎撃。
徳川軍は大敗。
家康は命からがら浜松城へ逃げ帰り、 後に「しかみ像」と呼ばれる肖像を残すほどの屈辱を味わった。
【藤吉郎、背後の動きに奔走す】
藤吉郎は、武田の補給線を断つため、 信長の命を受けて美濃と尾張の街道、 さらに堺の物流を押さえにかかる。
ナニワ『信玄軍、寒波・兵糧不足・後詰なし。 西上続行は困難と予測』
「信玄の寿命……そこまで保たんやろ。 京を狙うてる間に、ワシらが国を固めればええ」
【信玄、病を得る】
三方ヶ原での勝利の後、信玄はなおも西進を試みた。 しかし、その途中、病に倒れ、 西上作戦は頓挫。
翌・1573年、信玄は遠江・駿河の境で病没。
甲斐の虎、ここに静かに生涯を閉じた。
「時が、味方した……いや、信玄は死んでも、 その牙はまだ消えとらんで」
藤吉郎は、勝頼の動きに目を光らせつつ、 天下への道をまた一歩踏み出すのだった。




