第三走者「摩利支天修法・九字護身法」
ミコネとマツリは陸上部で聞き込みをしてから、
その足でダイア―記念病院に向かった。
白い廊下に、ゴム底のスニーカーが小さく鳴る。
「ここが手計リリちゃんの病室、だね」
コンコン、とノックして入っていく。
「……どうぞ」
入室してすぐ、二人は張りつめた空気を感じ取った。
ベッドの少女――リリは、
見舞客に対して露骨に興味を示さずにいる。
「こんにちは!
あたしは御簾川高校の玄野ミコネです!」
「同じく、御簾川高校一年生。
怪異撃滅クラブの無明マツリでゴザル」
自己紹介を終えても、リリは視線を窓辺に向けたまま。
ややあって、低く乾いた声が落ちる。
「……私の”自作自演”の話を聞きに来たわけ?」
ミコネは「ううん、違うよ!」と呼びかけた。
「あたしたちは、リリちゃんを助けたくて……」
リリは肩をすくめた。
「怪異撃滅クラブ――あなたたちなら、もう聞いてるんじゃない? 私が陸上を辞める口実に『くれくれさん』のウワサをでっち上げたんじゃないか、って話。……練習嫌いのなまけ者が、ってさ。わかってるよ、馬鹿みたいな話だってことくらいは。幽霊なんて……いるわけないもんね」
その言葉とは裏腹に、
包帯が巻かれたリリの足は震えていた。
ミコネは陸上部での聞き込みを思い出す。
☆☆☆
島令高、陸上部の部室にて。
陸上部の部員たちから聞き込みをすると――
「ったく、あんな子が部にいるなんて最悪でしょ」
陸上部三年生の五味マドカは、
日焼けした腕を組み、吐き捨てた。
「練習サボってタイムだけ出されちゃ、
真面目にやってる私たちがバカみたいじゃん」
ミコネは眉をひそめるも、
マツリは柔らかな口調で証言を促した。
「そうですわね……ところで、マドカ様は『くれくれさん』についてはどう思いますの? リリ様が目撃したという――」
「地面を這いずって走り回る幽霊、ってやつ? バカじゃないの、そんなヤツいるわけないし。どうせ、あの子の自作自演なんじゃないかしら。大会予選も近づいてきたし。足の怪我を理由にして、陸上を辞める口実にしようって腹じゃないの?」
そこへ顧問の先生が現れる。
「マドカさん、言葉が過ぎるわ。
自作自演だっていう証拠も無いのよ。
本当に不審者に襲われてたら、どうするの?」
「でも、レイコ先生!」
「君の努力は認めてるわ。陸上一本にかけてきた、その思いは本物だと思う。だからこそ、仲間を悪く言う前に、まずは自分の走りに向き合いなさい」
古壱レイコが諭すと、
マドカたちは練習の準備に戻っていった。
「ところで」と、レイコはミコネたちに向き直る。
「私は陸上部の他に、自転車部の顧問も兼任しているのだけど。もしかして、ウチの部員を怖い目にあわせた『見かけない顔の二人組の生徒』って、あなたたち……?」
ヤバい。ミコネとマツリと顔を見合わせる。
ミコネはあわてて逃げ出すことにした。
「し、失礼しましたーッ!」
☆☆☆
回想を振り返るミコネ。
陸上部の部員たちは、リリの証言を自作自演――
つまり怪異をでっち上げた「狂言」だと思っていた。
ミコネはそっと進み、ベッド脇の椅子に腰を下ろす。
「リリちゃん。
あたしは信じるよ、リリちゃんの話ッ!」
リリはミコネと向き合った。
彼女の瞳がわずかに揺れる。
「……どうして?」
「えっ」
「どうして、信じてくれるの?
みんなが私の話を疑うのに……」
どうして、と問われて。
ミコネは言葉に詰まった。
マツリはパイプ椅子を持ってきて座る。
「リリ殿は100メートルで12秒台を切る陸上部のエース。そんなリリ殿に追いついて、鎌で切り付けるような怪異――自作自演の嘘にしては荒唐無稽が過ぎるでゴザル。リリ殿は自分の走力を誰よりも知っているはず。そんな作り話をしても、誰も信じるわけがないことも。だとしたら、それは嘘ではなく」
マツリは手で印を結んで言った。
「そんな荒唐無稽を実行できる”何か”がいた。
本当にあった、と考える方が筋が通るでゴザル」
「信じて、くれるんだ……」
「もちろんッ!」と、ミコネが前のめりになる。
ミコネはリリの手を取って握った。
「それに……リリちゃん、本当に怖かったんでしょ?
さっきだって、ふるえてた」
「……うん」
「だったら、信じるよ。
あたしは――」
信じたい、という言葉をミコネは飲み込む。
うっ、うっ、とリリはすすり泣きながら言った。
「……大会も、近かったから。普段はサボってばかりだから、先輩たちに会わせる顔もないけど……練習はしとこうって思って。あの日、一人で残ってグラウンドで走り込みしてたんだ。そしたら、日も暮れた頃になって。遠くに、見えたの。真っ白な制服――ウチの学校の制服を着た何かが。でも、変なのは……地面に這うようにして……下半身が見えなかった」
「日が暮れた頃。
つまり、目撃したのは夜でゴザルな?」
マツリの問いに、リリはうなずいた。
「白い制服と……手に持った鎌だけが光って見えた。私、必死に舗装路を走って逃げたんだけど……シャーッっていう音と一緒にすごいスピードで追いついてきて……こんなことありえない、って思ってるうちに足に痛みが走って……私を追い抜いて、あいつは校門の方に走り去っていったんだ……!」
包帯に包まれた右足を抑える、リリ。
足は軽傷だと聞いていたけど……
傷つけられたのは、身体よりも心。
――病室を出て、
ミコネとマツリは無言で廊下を歩いた。
白い壁の掲示を見ながら、ミコネはぽつりとこぼす。
「ありがとう、マツリちゃん」
「ん? 何がでゴザル?」
「さっき、助け船を出してくれたよね。リリちゃんに『どうして信じるの』って聞かれたとき……あたし、上手く根拠を答えられなかったから」
「根拠がある話しか信じられないというのも、
それはそれでさびしいものでゴザルよ?」
マツリはタブレットを手にする。
フリック入力で手際よくデータをまとめていった。
「ミコネ殿はリリ殿の言葉を信じたいと思った。
根拠よりも心を優先した。
拙者はその気持ちを助けたいと思っただけでゴザル」
ニンッ、と笑むマツリの笑顔がまぶしい。
ミコネは恥ずかしくなってしまった。
「ううん、そんな立派なものじゃないよッ!」
ミコネはあわてて両手を振る。
「あたしが信じたいと思ったのは、
リリちゃんの言葉もそうだけど……」
『くれくれさん』――
存在しないはずの恐ろしい幽霊。
この世にはいないもの。
「怪異……を、信じようと思ったのかな」
病院を出ると、日は落ちて夜になっていた。
駅に向かって坂をのぼる途中のこと。
ミコネのスマホと、
マツリのタブレットに、
同時にLINEの着信があった。
「あれっ!?」
「む?」
二人で画面を確認する。
[怪異、撃滅できたかも。キーワード、送るね。
『可愛い制服』『夜』『自転車部』]
怪異撃滅クラブ部長であり、ミコネの幼馴染――
殊能ヨミからのメッセージである。
「ヨミちゃんってば、もう解いちゃったのー!?」
「おお、恒例の怪異撃滅でゴザルなぁ!
待ちかねたでゴザル♪」
キーワードを確認する。
制服と夜。それに……自転車部?
「自転車部って、あたしたちが実験に協力してもらった、あの自転車部だよね? つまり『くれくれさん』の正体は自転車だったってこと!? でも……」
守衛室の窓の問題がある。
ミコネは実際に現地を確認した。
守衛室の窓の高さは人間の腰程度の高さだった。
「弱ペダ(※漫画『弱虫ペダル』のこと)みたいに思いっきり前傾姿勢で自転車に乗ってても……さすがに守衛室から見たら、高さ的に丸見えになるよね!?」
「左様。ただし、それは通常の自転車の場合でゴザル」
「通常の自転車の場合、ってことは――」
ミコネはスマホの着信を取る。
「ただの自転車じゃない……かも」
「ヨミちゃん!?」
通話の向こうから聞こえてくるのはヨミの声。
「ミコネ、推理を伝えるね。犯人は……」
ヨミがそう言いかけたとき。
「ヨミちゃん、ちょっとタンマ!」
コンクリートで舗装された夜道の先に、
ミコネは信じられないものを見た。
黒髪の女だった。
長く伸ばした髪に隠れて表情は見えない。
白いオーバーブラウス――
今日一日で見慣れた、島令高の制服だ。
下半身は影に溶けたように見えない。
上半身だけが地面に設置しているような――
まさしくウワサのとおりの外見。
女が右手を掲げると、街頭に照らされて、
銀線の光を放つ「それ」が目を引く。
「それ」とはすなわち――鎌。
「く、くれくれさん……!?」
女は這うように――だが猛スピードで接近してくる。
ゴオッ、という風圧。
風を切りながら直進する怪異に、マツリは一歩進んだ。
「ミコネ殿、下がるでゴザル!」
マツリは胸元から何かを取り出す。
ぎゅっ、と拳を握り――
人差し指と中指だけを揃えて突き出した。
「臨・兵・闘・者――!」
良く通る声で胡乱な呪文を唱えつつ、
マツリは指を横に、縦に、空を切るように滑らせた。
指先が振るわれるたびに、
月光を受けて「何か」が煌めく。
「皆・陣・烈・在・前――ッ!
摩利支天修法・九字護身法ッッッ!」
マツリが詠唱を終える。
いったい何が起きるというのか。
「マツリちゃん、今のって――」
「ミコネ殿、失礼するでゴザルッ!」
「きゃっ!」
マツリのがっしりとした腕が膝下に絡まる。
背中と膝を抱えられて、
ミコネはお姫様抱っこされる形となった。
そんなことをしているあいだにも――
鎌を振りかぶり、疾走する上半身女霊怪異ッ!
マツリが鋭い視線と殺気を飛ばす。
対峙する、怪と怪。
今にも『くれくれさん』が迫る、刹那。
「忍ッ!」
マツリが舌先で空間を震わせる、と――
パァン!
銃声じみた炸裂音が、夜半の住宅街に響いた。