第三の書「毒殺者の彷徨」
執事の松田に案内されて、セラと共に来賓室に入る。
他のメンバーは既に揃っていた。
車椅子に座った少年が口を開く。
「ようこそ、蒼龍館へ。
僕は高木シオウです」
シオウは色の濃い遮光眼鏡をかけていた。
年の頃は中学生ぐらいだろうか。
少年は何もない中空に目を向けて問いかける。
「榎木田セラさん、というのは――」
「アタシよ」
声の方を向き、シオウは口元を吊り上げた。
「御簾川高校オカルト研究会の”歩く大図書館”、お噂はかねがね。此度はぜひ、貴方の力を借りたく……こうして招聘させていただきました」
「今はオカ研じゃなくて、怪異撃滅クラブだけど」
「ええ、存じ上げています。貴方の怪異蒐集秘録に登録された数多の特定怪異、その全てがたった一人の女の子に撃滅され――オカルト研究会は解散したと」
シオウの言葉に、ヨミが口をはさんだ。
「……私だけの力、じゃないかも。
マツリもがんばってる」
「それほどでもあるでゴザル。
えへへ、照れるでゴザルなぁ」
「ヨミちゃん、あたしはー!?」
「アンタは怪異撃滅クラブじゃないんでしょ。……まぁ、いいわ。例の「契約」で怪異撃滅クラブを潰した暁には、アンタら全員アタシの下で馬車馬のように働かせてやるんだから。覚悟してなさいっ!」
シオウが遮光眼鏡を外すと、光を映さない白濁とした瞳が顕わとなった。
どうやら、失明しているらしい。
「僕の眼はこのとおり、ですので。父の遺したウイチグス呪法典が果たして本物なのかどうか……その真贋を見極めたいのです。よろしくお願いします」
執事の松田が車椅子を押して、一同は書斎へと列を成す。
重い扉の向こうには、天井まで届くような書架が並んでいた。
安楽椅子に座り、本を開いていた青年が立ち上がる。
「やぁ、来てくれたねセラくん!」
「叔父様に頼まれたら、アタシも首を横には振れませんもの」
「ははは、すまんすまん。ええと、君たちが怪異撃滅クラブだね。私はセラの叔父で、オカルト研究家をしている、御堂ヒカルというものだ」
そこにパシャリ、とシャッター音が切られる。
振り向くと、そこには軽薄そうな印象の若い女性がいた。
この人の顔には見覚えがある。
女性は業務用のカメラを片手に言う。
「いやぁ、こういう雰囲気あるとこだと絵になりますねぇ。
怪しげな館に本の山、それに美少女がいっぱい!」
「……アンタは?」
「んー。榎木田財閥のご令嬢に、失礼をしちゃったかな? 申し遅れました、私はルポライターの七志野モエ。今はフリーだけど、オカルト関係で色々やってまーす」
「色々、ね。無茶な取材で有名な三流のブン屋じゃない」
「悪名は無名に勝る、という言葉もあるんですよー?」
セラとモエがにらみ合う。
剣呑な空気を変えるように、セラの叔父であるヒカルが本を指さした。
「それよりも、この呪法典だよ。やはりというべきか、暗号だらけで歯が立たない。セラくんの知見が頼りなんだ」
長机の上には黒革装の本。
セラは手袋をはめて、表紙を撫でる。
「ラテン語版か。おそらく底本は、ローマ教会による異端焚書を唯一免れたとされているギリシャ語版でしょうね……」
慎重にページをめくりながら、セラはぶつぶつと呟く。
「羊皮紙の質感、インクの褐色からして、手写されたのは14世紀から17世紀のあいだってところかしら……アメリカのマサチューセッツ州で、大学図書館からラテン語版写本が盗難された記録が残ってたけど……当時の盗品が裏のオークションに流れた? どうかしら、贋作の可能性は半々か……」
「セラ、ラテン語が読めるの?」とヨミ。
「呼び捨て禁止。
セラ先輩、か、せめてセラさん、ね」
「はい、セラ先輩!」とミコネ。
「何よ?」
「呼んでみただけですッ!」
「何なのよ、アンタは……」
「ふぅむ、セラ殿」と、マツリ。
「呼んでみただけ、とか言ったら殺すからね」
「本に書かれているのがラテン語なのはわかったでゴザル。それでスマホで機械翻訳をかけてみたのですが。それでも何が書かれているのか、さっぱりなのでゴザル」
「当然よ。ただ読むだけなら叔父様にだってできるわ。でもね」
セラはトントン、とこめかみを指で叩く。
「ウイチグス呪法典は技巧呪術書。今日で言う科学的原理を魔術的幻想で覆い隠したもの――つまり、一種の暗号迷路本になっているのよ。たとえ書いたウイチグス本人には、そのつもりが無かったとしてもね? オカルトの語源は隠秘学。秘密は覆い隠すもの。同類にしか読めないように、同類にしか通じないように、専門用語、隠喩、俗語、引用と捏造、極端な省略や、あるいは真逆に冗長な衒学趣味を織り交ぜることで、意図と本質を読みづらくしている」
「怪文書、っていうことですか?」
「アンタになら読めるかもね、そういう意味では」
――どういう意味なのだろう。
重々しく本を閉じて、セラが言った。
「本はアタシが預かるわ。
客室でじっくり読ませてもらう」
そこからは館内が見学可能となった。
七志野モエが毒殺されたのは、
数時間後のことである。