第二の書「ウイチグス呪法典」
「ウイチグス呪法典、ですか……!」
「これに関しては、アンタも関心ある分野でしょ?」
待ってましたとばかりに、セラは語りだす。
「千年紀の教皇、シルウェステル2世。彼の弟子にあたる十三使徒のひとり、ウイチグスが記したとされる大技巧呪術書――千年以来、実在が危ぶまれ現存しなかったウイチグス呪法は、連綿と紡がれてきた技巧呪術の神髄よ。それとも、果たして山師の純正呪術か……」
「技巧呪術?」
「技巧呪術。そうさね、たとえば、フレーザーは『金枝篇』で科学発達以前の原始魔術を、大別して二つの原理にまとめているわ。一つはある現象を引き起こしたいと考えたときに、別の、より小規模な現象に見立てて代置する術式――『共感魔術』。ラスコーの壁画にもあるように、壁に記した獲物を弓で射ることで、現実における狩りの成功を実現する。もう一つは『接触魔術』――こちらはもっと直接で、見立ての因果関係に魔術的意義を見出すのではなく、対象に触れあうことで影響を及ぼす。後者の『接触魔術』については技巧呪術も多く含まれてたんじゃないか、と言われてるのだけれど。こういった魔術は人類学の世界では手品との混同を避けて呪術と呼ばれているわ――けれども、魔術と手品の境界はそう明瞭なものじゃない」
――手品の名人。
怪異撃滅クラブの身近な人物である。
「マツリちゃんですね。忍術を使うという――」
セラは頷いた。
「無明マツリが行使する実践忍術は、未解明だったり広く知られていなかった科学的原理を用いることで、呪術を現実のものとしている……そういった古武術や大道芸、あるいは暗殺術の知識の蓄積だもの。無論、蒙昧で荒唐無稽な”まじない”に過ぎないものもあるけどね。純正呪術はともかく、技巧呪術に関しては――その原理を解き明かすまでは、たとえ現代であろうと魔術として成立する」
「それって……、
ヨミちゃんが言う『怪異模倣案件』?」
「まぁね。類似性が見られるのも当然のこと。怪異撃滅クラブが利用しているデータベースにしたって、オカルト研究会時代にアタシがイチから作り上げたんだから。もっとも……『怪異模倣案件』の定義についてだけは殊能ヨミが見抜いたものだけどね……癪なことに」
セラは指を三本立てて言った。
「悪意。具体的な犯罪の手段。そして通りものとなる「魔」。この三要素が揃うことで『怪異模倣案件』が召喚される。ここで重要なのは「魔」、よ。「魔」が無ければ人間犯罪は『怪異模倣案件』たり得ない。そういった意味ではね……この蒼龍館に不滅の怪異たるウイチグス呪法典が実在するとしたら、あれこそが殊能ヨミにとっては真実、最大の敵となるのよ」
「ヨミちゃんとセラさんの約束……」
「ええ。アタシがあいつに手を貸している理由……一度でも怪異撃滅できなかったら、怪異撃滅クラブを潰して、オカルト研究会に明け渡すという「契約」よ」
セラは喜色満面で古ぼけた資料本をめくった。
「そんときは、帰宅部のアンタも誘ってあげるわよ。だいたいさァ……アンタってば、オカルト肯定派なんでしょ? あれだけ怪異にまつわるウワサに目が無いんだし、こうやってウイチグス呪法典を目当てに山奥までついてくる……怪異撃滅クラブでもないくせにね」
「…………」
「それと、ここにいるあいだは食べ物には気をつけなさい」
「えっ?」
「自分たちで持ち込んだものでも、封がされてるかはよく確認しておくこと。ウイチグス呪法典に含まれる呪術の中で、もっとも警戒すべきは『治療医学』の応用ですものね。ホーエンハイム――錬金術師パラケルススは”あらゆる薬と毒を分ける要素は致死量しかない”という言葉を残している、そうでしょ?」
セラは翡翠色のネイルがされた指先を見つめる。
「人類を最も殺戮した兵器はね――毒よ」
コンコン、とノックが響く。
「執事の松田です。主の準備が整いました――」