第一形態「熊」
怪異撃滅の時間である。
赤煉瓦の本館と向かい合う旧・部室棟。
伸び放題の蔦が絡まるお化け屋敷じみた洋館は、
残念ながら当然のように、
来年には取り壊しが決まっているとのことだった。
遺物――あるいは、異物。
私立御簾川学園高校。
放課後を知らせる傾いた陽光が木漏れ日のように床に降り注ぐ中、ギシギシと無遠慮な足音を立てながら、黒髪の少女が足早に廊下を進んでいく。
前髪をぱっつんと切り揃えたボブ、
つぶらな丸い瞳をきらきらさせて――
玄野ミコネは部室棟の最奥で足を止めた。
誰も近寄らない薄暗い一室。
元々あったプレートの上に、
手書きの厚紙が貼られている。
怪 異 撃 滅 ク ラ ブ
ギィ、と蝶番が悲鳴を上げた。
「ヨミちゃーんっ! 来た来た来たぁーっ!」
ミコネが勢い良く扉を押し開けると――
切れ長の目がちらりと見て、細い指を止めた。
室内に飾られた女神像――
ではなく、女神にも比類する完璧な造形物。
ミコネは白亜の陶器を眺める面持ちで幼馴染を見た。
「……ふわぁ」
銀髪の少女は静止して、
白磁のような横顔をミコネに向ける。
「ミコネ、声がデカい……かも」
とろん、とした眠そうな瞳を細める少女。
殊能ヨミ。
ミコネの幼馴染であり、同級生であり、
つまりは一年生であり、美少女であり、
ここ、怪異撃滅クラブの部長でもある。
「部室棟。壁、薄いんだから……。
また、壁ドンされちゃう」
「ご、ごめーん!」
ミコネは腕をブンブンと振った。
「でもでも、聞いてよヨミちゃーん!
すっごいウワサを持ってきたんだからーッ!
死を呼ぶっていう呪いのパズルの話!!!」
「あぁ……また、苦情が来る……。
でも、ミコネが来てくれたのは嬉しいかも……」
ほこり臭い本棚に囲まれた広々とした空間。
その隅に位置するソファに転がるヨミは、ノートPCのキーボードを細っこい指先で撫でながら、四角いモニターに目線を這わせた。
「エミロム、でしょ?
2組の竜胆ホノカ、体調不良で……今日は休んでる」
「えっ、もう知ってるの!?」
ミコネは驚いた。
「あたし、さっき2組まで行ってホノカちゃんの友達に話を聞いて、ようやく知ったのに! ヨミちゃんってば、相変わらず情報のスピードがヤバいね!」
「怪異撃滅クラブを……
あまり、ナメない方がいいかも」
「あたしは帰宅部だもんなぁ。
じゃあヨミちゃんに説明するまでもないかぁ!」
ヨミはさらさらとした銀髪を弄び、軽く頷いた。
「釈迦に説法、という……言葉があるよ」
「どういう意味なの?」
「釈迦っていうのは、昔のお坊さんで……知識がエグくて……そういう人に説法すると……的確に誤りを指摘・補完してもらえるから、話の進行がスムーズになる……みたいな?」
「へぇー!」
ミコネが感心すると、ヨミは――
「嘘。釈迦は色んなことを全部知ってるから……わざわざ説法するだけ無駄……っていう話かも」
と言いながら、にへへと笑った。
「ミコネ、すぐ騙される……」
「なぁんでヨミちゃんは嘘つくのーっ!?」
「ミコネが、かわいい……から。
エミロムの説明は、私がするね……。
私……釈迦、だから」
「ヨミちゃんってお釈迦さんだったの!?」
嘘である。
お釈迦さんほどではないが、
ヨミの手元にある情報は詳細だった。
竜胆ホノカは数日前、
郊外のリサイクルショップで奇妙なパズルを購入した。
金属で出来た正二十面体――
古ぼけた箱には「エミロム」と書かれていたらしい。
見たことのないパズルだったそうだ。
取扱説明書は欠品しており、
押しても、引いても形が変わらない。
ホノカがそんなものを買ったのには理由があった。
彼女には交際したばかりの大学生の彼氏がいる。
ホノカの彼氏は新しいもの好きであり、珍しいものには目が無かった――こういったものをプレゼントすれば喜んでくれるのではないかと思ったのだ。
電話でエミロムの話をすると彼氏は上機嫌になった。
そう、そこまでは良かった――
夜のこと。
寝苦しい夜だったらしい。
ホノカは悪夢を見た。
内容は覚えていない……
強いて言うのならば「死」のイメージ、
とホノカは語っている。
重く、苦しい、圧。
起きると、ベッドは寝汗でぐっしょりと濡れていた。
まだ六月だというのに……
シャツには不快な汗がしたたっていた。
目覚めたホノカは、頭痛に苛まれた。
喉の奥から吐き気もする。
トイレに向かおうとしたときに、気づいた。
戸棚に置いてあったエミロムの形が変わっている。
物言わぬ金属の塊は、物言わぬ彫像となっていた。
その姿は『熊』だった。
「よし、ホノカちゃんのお見舞いに行こう!
そこで聞き込み調査だよ!」
と、ミコネは立ち上がる。
「えぇ……」と眉を困らせるヨミの手を引くと、
ヨミはしぶしぶとミコネに追従した。
飴細工のように薄いヨミの腕に手を滑らせる。
ミコネの手はヨミの細い指を包んだ。
「ホノカちゃんの体調不良は本物みたいだし。エミロムが本当に死を呼ぶ呪いのパズルだったとしたら、ホノカちゃんったらピンチだものッ!」
「……それは、私も同意」
「ヨミちゃんなら、
ホノカちゃんを助けられるかな?」
ヨミは「それはわからない」と即答を避ける。
「でも……匂う、かも」
くん、とヨミは鼻をひくつかせた。
ヨミの様子を見て、ミコネはドキリとする。
「(あっ……!)」
ミコネは頬を赤くした。
「あの、ごめん、走って……いや、早歩きで来たから……ひょっとして……私、汗かいてた???」
ヨミは目を閉じて首を横に振る。
「まだ夏ってほどでも……ないし。
全然、問題ないかも。
……ミコネの匂いなら、むしろ」
「むしろ?」
「なんでもない。今のはナシ。
匂うというのは……怪異の方だよ」
ヨミはノートPCのデータを呼び出した。
「怪異撃滅クラブが把握している都市伝説の一つに、今回の類似事例が存在する。そちらの場合では呼ぶのは「死」ではなく「地獄の顕現」だけど……そも、パズルとは解かれるためにあるもの。パズルが解かれることで本性を現していくタイプの怪異――今回の事例がいつものような『怪異模倣案件』だとしたら、依然として事態は進行中ということになる……かも?」
「進行中、って……!?」
「きっと『熊』で終わりじゃないかも……。
エミロムには存在するはず――第二形態が」