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【番外編】名前を呼ぶ、その一歩前で

「あっ、ぅ……ぁんあー!」


 母の墓参りという名目で帰省した連休最終日。広島県にある実家で荷物をまとめていると響と奏という双子が寄ってきた。

 年で言えば一歳すぎ。ようやく歩き出したチビたちは可愛いもので、いまいちよく分からない宇宙語で話していたが、久し振りにあった割に懐いてくれたことだけはよく分かった。


「おうおう、兄ちゃんはもう行くからな」

「あぶ……っぅ、うう!」

「うー、あっあ!」

「うんうん、また遊べばええ。次はちと先になるが、また休みに帰ってくるけえの」


 客人扱いか、それとも兄と慕ってくれているのか。

 両手を広げて抱っこをせがまれて二人を一度に抱き上げる。左に響で右に奏。キャアキャア言って胸にピットリと身を寄せる様子は、甘えているつもりだろうか。暫く意味もなくゆーらゆーらと体を揺らしていると、フと電車待ちのときに見かけるゆらゆら揺れているサラリーマンを思い出した。あれはそういうことだったのか……。双子の宇宙語講座を聞きながら体を揺らしていると、名義上は母になった花さんが声を掛けてきた。


「龍之介くん、本当に送らんでええの?」

「おん、響と奏を連れ出すのも大変じゃろ。花さんもちゃんと休まんと」

「そりゃそうじゃろうけど……」

「わしももう高二じゃ、自分の事は自分で出来るから花さんは気にせんでええ」


 別に嫌味で言ったつもりではない。双子のチビを育てるだけでも手一杯なのだから、もうすでに自立も出来るような年になった自分に声を掛ける必要はないと、そういう意味のつもりだった。

 花さんはそれを聞いてなにか複雑そうな、申し訳なさそうな顔をしていたが、それを見るたびにやはり家を出て正解だったと――そう思ってしまう。俺はそれを誤魔化すよう、沈黙を防いで言った。


「ああ、じゃあ響と奏を任せてえいじゃろか。そろそろ行かんと」

「え、ええ。ほら、響、奏いらっしゃい」

「ぅっ、ううう!」

「ぁ、ぶっ、ぶうう」

 いつも花さんにベッタリなのに、今日はやけに俺にひっついてくる。花さんからの抱っこアピールもまるで効かない。

……まだ喋れないのに、もう帰ってしまうと分かっているのだろうか。

ぺたぺたと頬に触れる柔らかい手に目を細め、少しだけ頬を摺り寄せてみる。


「響、奏。兄ちゃんもう帰らんと」

「ぅっあ、ああ」

「ぅーう!!」

「はは、次にこっちにきた時にはもう喋っとるかもしれんのう。そうしたら兄ちゃん、美味しいもん買うてくるからな」


 一歳さんが食えそうなものなんて、あの白いせんべえくらいしか知らんけど。

 言いながら、少しグズりそうな響と奏を花さんに託す。

 彼女ひとりに任せるのは此方としても申しわけないのだが、新幹線の時間を考えるとそろそろ家を出ないと本当にまずい。床に置いたリュックを背負い、ついでに持っていってと託されたお土産の入った紙袋を手にして玄関へと立った。


「最後に親父に挨拶して帰るけ、花さんはマジでゆっくりしとってくれ」

「ええ……龍彦さんは庭で洗濯しとるから」

「おん。それじゃあまた」


家を出て、庭をちらりと見る。花さんの言っていた通り、親父は洗濯を終えたばかりのようで、竿には大人の服が並び、その横のピンチハンガーにはチビたちの洋服や小さな靴下たちが干されていた。

風が吹くと、ちいさな靴下がいっせいにサワサワと揺れた。その光景をぼんやり眺めているうちに、この場所に自分の洗濯物はないんだという考えが頭を過ぎる。

いや、そもそも俺は東京に戻るのだ。だから洗濯物がないなんて当たり前のことだ。当たり前のことなのに、どうしてだろう、胸の奥が、少しだけそわそわと揺れた。

――もしかしたら、自分の帰る場所はここじゃないのかもしれない。

そんな風に、フと思った。

「親父」

「……おん、龍か。もう帰るんか」


 静かで、それでいて心地よい低い声。

 鋭い目つきが此方を見て、空になったカゴを置いた。


「おお、そろそろ行かんと新幹線に乗り遅れるからのう」

「そうか、送っていかんでええんか。車出しちゃるぞ」

「ええて。親父が送ったら花さんが一人になってしまうじゃろ。双子の育児は大変じゃろうし、俺は一人でいけるからええ。花さんとおってくれ」

「……、……そうか」

「おん」


 いつからか、親父とは気まずくなっていた。

 別に花さんとの結婚を否定したことも、グズったこともない。花さんにだってちゃんと向き合って、会話をしてきた。でも、その一方で親父に言った事は全て花さんにも漏れてしまうかもしれないと思うようになってしまって、以前のようになんでも話せるような間柄ではなくなって、いつからか話す回数も少なくなっていた。


(……それなのに、とつぜん高校を変えてまで東京に行きたいといって我儘を聞いてくれたのは、色々と察していたのかもしれんのう)


 雲に隠れていた陽が顔を出して、光の柱が庭を差す。それは不思議といま胸にあったものを晴らすような気がして、ポケットのなかでブブッ震えた携帯を取り出して、そこにある名前を見た瞬間、俺はつい口に出していた。


「父さん」

「うん?」

「東京行き、許してくれてありがとう」

「……おん」


 代わり映えのない、身近な返答。しかしその眼差しは真っ直ぐにおれを向いている。

 こうやって本当の意味で向き合うのはもう随分と久し振りで、握りしめた携帯はちょっとしたお守りのようになっていた。ゆっくりと息を吸い、ゆっくりと息を吐く。それから、俺も真っ直ぐに親父を見て、静かに言った。


「……心配させとるかもしれん。でも、俺は東京でやりたいことも見つかったからこのまま東京におろうと思う」


 沈黙。うんともすんとも返ってこない。一体なにを考えているのか、親父はそのまま俺を見ていた。それから暫くの沈黙を経て視線を手元に落とすと、どこか懐かしむような声色で言った。


「ほうか、……由紀子が亡くなってからは随分泣いちょったが、……もうそんな年になるんじゃな」

「母さんが亡くなってもう何年も経ったからのう」

「……東京でしたいんは、勉強か」


 それとも此方に帰ってきたくないのか――とでも探るような声色。親父の声は問いただすものではなく、あくまで低姿勢に探るようなものだった。それを理解しながらも、俺は決して親父が望む答えを明言せずに頷き、それからポケットに携帯を突っ込んだ。


「ああ、勉強も続けたい」

「何かなりたいもんがあるんか」

「いやぁ、今はまだ夢っちゅうもんは分からんし特にない。……でもせっかく地頭はええんじゃ。いい仕事につくためにも、ええ大学にはいっときたい」


 少しだけ笑い混じりに言うと、親父は眉尻を垂らして笑った。


「……はは、そういうところは由紀子譲りじゃのう。アイツも地頭がよくて、遠くまで将来設計をしちょう女じゃった」

「そうなんか?」

「ああ、俺と由紀子は同じ高校でのう。高校のときに付き合い始めたんじゃが、由紀子がええ大学にいってのう。卒業まで待って、それからすぐに結婚したんじゃ」


 それは、初めて聞いた親父と母さんの話だった。

 なんせ、母親が亡くなったのはまだ小さな頃で、なんとなく母親の事はタブー扱いで話題に出す事が出来なかった。だから、どうして俺を龍之介にしたのかとか、なんで二人は結婚したのかという子供が抱くような疑問も聞けずじまいで、自分を振り返るという宿題も、記憶頼りに書いたフワフワしたものだった。

 いま思い返せば、親父は決して母さんのことを聞くなとは言わないし、きっと今のようにケロッと話してくれたんだろうが……そうか、二人は同級生だったのか。

 それも、高校で付き合いだして、結婚。

 そのときフンワリと頭のなかに相沢の姿が浮かんで、つい、口から零れ落ちていた。


「……結婚」

「うん?なんじゃ、結婚したい奴がおるんか」

「あ?!あ、いや……、……っいや、そうじゃな。……わしも、あっちに好きな奴がおるんじゃ」


 親父とこんなことを話したことはなかった。それだけに、無性に照れ臭いというか恥ずかしいものがある。顔全体が熱くなって、それを誤魔化すことも出来ず手を団扇替わりに仰ぐと、親父は笑うわけでもなく、どこかしみじみとした様子で言った。


「……そうか、あっちに良い場所が出来たんじゃな」

「ああ」

「いつかうちに連れてきんさい、いいか結婚の挨拶よりも前にじゃぞ」

「先輩の言葉は具体的じゃの~」

「龍!」



 珍しく親父が顔を真っ赤にして突っ込んどったな――。

 新幹線の指定席に座って息をつくと、思い出し笑いが蘇る。それをひとり咳払いで誤魔化しつつ、そういえば花さんが新幹線で食べてと渡してくれた弁当を思い出して紙袋から取り出すと、そこには捨てやすいようにと配慮されたおにぎりが二つ入っていた。

 一つは梅ちりめんのおむすびと、もう一つは広島菜のおむすびか。

 ペットボトルをケースに差し込んで、おむすびを一つ食べる。口の中に広がるさわやかな梅の酸味と風味豊かなちりめんのおむすびは、ただ混ぜただけのように見えるが、確かこの梅ちりめんは出かけ前に花さんが炒めて作っていたものだ。


「家におらんやつなんて、そんな気にせんでええのに……」


 花さんの優しさが詰まったおにぎりに、無意識に吐息がおちてホッと糸が緩んだような気がした。


(相沢に、会いたいのう……)


 糸が緩んでふと思う。

 始まりは、彼女の突然すぎる誘いだったけれど、あの時の出会いがなかったら。明るい彼女の背後にある事情を知らなかったらきっとこうやって顔を合わせてしっかりと話そうなんて思わなかったと思う。

 ひょっとしたら、このおにぎりだって食べられなかったかもしれない。


「……、……会いたいのう」


 独り言ちるように呟いた言葉。

 声に出した途端、その気持ちは驚く膨らんで伏せて置いていた携帯を手に取ると、ついメッセージを送っていた。

 チラッと壁から覗くような熊のスタンプ。

 ……いや、甘えたか。送った後、すぐに恥ずかしくなって送信取り消しをしようと長押しをしていたが、すぐにメッセージが帰ってくる。


――古橋くんどうしたの?今ってまだ広島?

――いや、いま帰っとるとこ。ただ、相沢に会いたくなって


 そう返した途端、「え?!」「なんですと?!」「可愛い!」のスタンプが連打される。あんまりにも送ってくるものだからポコンポコンと振動が続いて、一気に携帯も、それから二人だけのトーク部屋も騒がしくなった。

 でも、最後にこんなメッセージが届いた。


――もしよかったらなんだけど

――お迎えにいってもいい?


 五時の時報と共に、新幹線が東京駅についた。慌てず、冷静に。落ち着いて降りた後、リュックと紙袋を持って階段を下りていたが、気付けばその足はいつもよりも早足になっていた。

 待ち合わせは北口改札前。北口改札は同じように誰かを待つ人々の姿が多く、辺りを見回してもなかなかその姿は見つからなかったが「古橋くん!」という声が不思議と耳に届いた。

そして、その姿を見るや否や、俺は彼女に駆け寄って抱きしめていた。


「古、……ッ橋くん?!」


 相沢の驚いた声と、なんだなんだと向けられる好奇心の眼差し。

周りから向けられる視線はどれも好奇心から来るものばかりで、決して心地よいものではなかったけれど、彼女の身体をぎゅうと抱きしめると心に足りなかったものが全て満たされるような感覚が広がって――ああ、帰ってきたんだと、そう思った。


「千紗」

「え?!」

「……って、呼んでええか」


 “あの時”と同じような、唐突の提案。彼女はそれにも気づかず、少しだけ顔を赤くしていたが、気恥ずかしそうに頷いたあと囁くように言った。


「うん……龍之介くん、おかえり」

「……ただいま、千紗」


 彼女の優しい声は耳に届いて、じんわりとした温かさと幸福が身体を包んだ。


本当におしまい。

最後まで見てくださり、ありがとうございました!!!

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