第1話 アパートの住人達
今はもう昔、昭和40年代の頃のお話です。
登場人物がお勤めしている会社は、男性は背広にネクタイ。女性は事務服。
勤怠はタイムカードで管理。
登場人物が住んでいるアパートは各部屋6畳一間で……台所は付いていますが、お風呂は無く、トイレは共同。
電話はピンクの公衆電話が置いてあり、電話が掛かってきたら住人が取って取り次ぐ……そうですね、あの『めぞん一刻』の一刻館に近い感じでしょうか?
この様にイメージ下さると助かります<m(__)m>
では、始まります。
「皆さんから集めたお花代が余ったから……“喫茶白樺”で明美さんを囲んだ茶話会をしようと思うの。美穂子さん、お手伝い下さる?」
「いつもの様に女子だけですか?」
「ええ、勿論!」
「では、兄に電話します。遅くなると心配するので……」
「そっか、美穂子さんはお兄様と二人暮らしなのよね」
「ええ……」と頷きながら美穂子はデスクに置かれた黒電話の受話器を取り、ダイアルを回す。
一方、こちらはアパートの廊下。
台の上のピンクの公衆電話が鳴り、104号室のドアが開き、背広姿の若いサラリーマンが電話を取る。
「はい、寿荘です」
『105号室の今木ですが……』
「ああ、104号室の嶋本です。お兄さんですか? ちょっと待ってて下さい」
と受話器を置き、105号室をノックするが返事が無い。
「まだ、お戻りで無いようですよ」
『そうですか……』
「なにか伝言がおありですか?黒板に書いておきますよ」
『では……終業後、女子だけの茶話会があって、遅くなると……』
「分かりました」
電話を切った美穂子は薄くため息をつく。
「勝二さんは誤解したりしないかしら……」
そう、実は美穂子が一緒に住んでいるのは兄では無く、高校二年から付き合い始めた恋人の佐野勝二だ。
二人はクラスメイト同士だったのが恋に落ち……東京の大学へ進学した勝二に合わせて美穂子も東京の会社へ就職した。
勿論、初めのうちは二人別々に暮らしていたのだが、勝二が大学はおろかバイトへも行かない“フォーク”三昧で、挙句の果てにアパートの家賃が払えず美穂子の所へ転がり込んで来た。
そんな勝二の事をアパートの住人には「兄の住んでいたアパートが火事で焼き出されて」と美穂子は説明していた。
◇◇◇◇◇◇
事務服を着替えた美穂子と“先輩”は通用口まで出て来た。
「あれ?保子センパイ、タイムカードは?」
「ああ……課長が『押さなくていい』って」
「どういう事ですか?」
保子は周りを窺ってから美穂子に少しばかり苦い顔を見せた。
「明美さんも……課長の口利きで得意先の息子さんとお見合い結婚でしょ?」
「ええ」
「例によって課長がお仲人さんなのだけど、ウチの会社の女性陣、誰も披露宴に行きたがらないから……」
「確かに、課長の得意先の方では……こう言っては申し訳ないけど、お家柄も『推して知るべし』ですものね」
「意味の無い“投資”はできないからね」
「でもセンパイは出席なさるんですよね」
「ええ、課長から乞われてね。“お局”は辛いわ」
「そんな! センパイはお局なんかじゃありませんよ!」
「ありがとう。でもね、世間的にはそう言う歳なのよ!来年には25歳なんですもの。その事でも散々、課長からお見合いを勧められたわ」
「もしかして……お見合いなさったんですか?」
「ええ、先月」
「ええ??!!ちっとも知らなかった」
「それは当然よ!だって課長からじゃなく実家で勧められたから……」
「どんな方だったんですか?」
「昔からの庄屋のお家柄で酒造会社の二代目。でも背が高くて優しい顔立ちの方だから……私の方が好きになったのかも」
「じゃあ!!」
「ええ、来月には結納よ」
「おめでとうございます!!」
「ありがとう。でも、この事はまだ内緒よ。」
「どうしてですか?」
「課長には『自分の結婚の話も無いのに、お局の私がノコノコと披露宴に出席するなんて恥ずかしい』ってお断りしたら、課長が『ご祝儀代はオレが用立てるから』って」
「どういう事ですか?」
「課長が私のタイムカードを後で捺して残業を付けてるの。毎日残業を付けて……貯まった残業代をご祝儀に使えって事!」
「それはケチ臭いですね……」
「でも、課長らしいでしょ?!」
「はい」
◇◇◇◇◇◇
105号室のドアをガチャガチャした後、ガンガンと叩く男は髭面の長髪で、手にはくたびれたギターケースを提げていた。
「美穂子のヤツ!どこへ行ったんだ! 仕方ねえ、空き部屋でしばらく待つか……」
隣の106号室のドアノブに手を掛けるがやはり鍵が掛かっている。
「チクショウ!大家のヤツ!」
と、その時104号室のドアが開いた。
「妹さんなら、会社の用事で遅くなるそうですよ」と嶋本は目で黒板を差し、伝言を読んだ佐野は舌打ちをする。
「あの、今木さん!よろしかったら私の部屋でお待ちになりませんか?」
◇◇◇◇◇◇
佐野を招いた嶋本の部屋は独身の男らしからぬ整然さで、先程まで着ていた背広はキチンとブラシがなされてハンガーに納まっており、その奥には重厚なギターケースが立て掛けられていた。
「今日は暑いですね。ビールでいいですか?」
「ああ、スミマセン」
嶋本は戸棚から出したビール会社の名前の入ったグラス二つをちゃぶ台に置き、冷蔵庫から瓶ビールを出して栓を抜いた。
二人、乾杯をし、一気に飲み干した佐野のグラスにビールを注ぎ込む嶋本。
目礼した佐野は嶋本に尋ねる。
「オレの事は、妹からなんて……」
「妹さんからは……同い年のお兄さんだと」
佐野が「アイツ!」と言葉を吐き、壁に背中を預けるとドンッ!と音がする。
「妹さんを叱らないであげてくださいね。私が少しカマを掛けてしまったのです。お詫び申し上げます。」
「ああ……」と佐野は合点がいった様だ。
「こんな薄い壁じゃ“お耳通し”か……」
「元々104、105、106の三部屋は大家の住まいだったらしいですよ。大家が別の一軒家に住み替えした時に三つに仕切ったとか……だから壁は薄いけど台所は新しいんです」
「台所が新しくてもオレにはなあ……」
「そうですね。私の背にもこの台所は低すぎます。妹さんならちょうどいいのでしょうけど」
「美穂子でいいよ」
「いいんですか? 他の男に呼び捨てにさせて」
「アイツは……箱入りでもなんでもねえんだから」
「そうですか……」と嶋本はちょっと口籠ったが、すぐに話を変えた。
「そうそう!壁が薄いせいで、できなくなった事があるんです!」
「“自家発電”とか言うのは止めてくれよ」
「ハハハ!酔いが回りましたか?」
「少々ご機嫌にはなったな」
「じゃあ!ひとつお願いがあるんですよ! 私はあなたの素晴らしい歌声とギター演奏のお陰で、すっかりギターを出せなくなってしまったんです。このままじゃあギターが可哀想だから、ひとつ弾いてやってくれませんか?」
嶋本がギターケースをバチン!バチン!と開けるとネックに『Martin&Co.』とロゴが入ったアコースティックギターが顔を出した。
「マーチンじゃねえか??!!」
「仕事でアメリカに滞在した時に相手先の社長から餞別で戴いた物です」
「弾いていいのかよ?!」
「勿論! あなたの腕ならギターも本望でしょう!」
佐野がチューニングを終え、弾き語りを始めると嶋本は目を閉じて聞き入った。
「実に素晴らしい!!歌も音色も!」
「ああ!オレのクソギターとは月とスッポンだな!」
嶋本は目を閉じてギターの音色に浸りながら口を開く。
「あなたの事は何とお呼びしましょう?」
「佐野でいいよ」
「では、佐野さん! もう一つお願いがあるのですが……」
「曲なら何曲でも弾くぜ!」
「ちょっと違います。前に美穂子さんが『兄はレコード会社のオーディションを受けるんです』と仰っていたんですが……」
「……まあ、声は掛けられたがよ」
「ぜひ、オーディションでこのギターを使ってやってくれませんか?」
「そりゃあ、ありがてえ話だけど……見返りはなんだ? まさか美穂子を抱かせろとか?」
「ハハハ!妹さんを抱かせてくれなんて言う訳ないじゃないですか! そうですね……この話をした時の美穂子さんの顔が嬉しそうだったから、何か力になりたかったんです」
◇◇◇◇◇◇
美穂子が慌ただしく帰って来ると104号室のドアが開いて嶋本が手招きする。
「お兄さんはこちらです」
美穂子が部屋に入ると佐野はちゃぶ台の横で毛布を掛けられイビキをかいている。
「スミマセン!お兄さんをすっかりお引止めしてしまって!」
ちゃぶ台の上のビールや焼酎を流しに提げながら嶋本が謝ると美穂子は慌ててブラウスの袖をまくった。
「とんでもない!! 兄がご迷惑をお掛けして……」
「いえ!どうか今木さんはお座り下さい。お召し物が汚れます。こちらが片付いたらコーヒーをお出ししますから」
嶋本は手際よく洗い物を済ませ、コーヒー豆を挽いてサイフォンにセットするとアルコールランプに火を点けた。
その一連の流れを美穂子は物珍し気に眺めてつい口走る。
「なんだか理科の実験みたい」
「そうですね。でも、こちらはとてもいい香りがしますよ」
そう言って嶋本はウィンクした。
◇◇◇◇◇◇
結局、嶋本に背負われて部屋に戻った佐野は美穂子が敷いた布団へ寝かされた。
お暇を告げて部屋を出る嶋本を見送った後、美穂子はため息を付いてスカートのジッパーを下げブラウスのボタンを外し始めた。
「お化粧を落とさなきゃ……お風呂も……」
美穂子がシュミーズのまま鏡に向かっていると勝二がムクリと起き上がりいきなり抱き付いて来た。
「お前!今、何を考えていた?!」
「何って??!!」
抗う美穂子のシュミーズを勝二はたくし上げる。
「隣のサラリーマンな! お前にホの字だぜ! だからお前の声を聴かせてやんな!」
「何をバカな……」言い掛けた言葉が呻きに代わる。
壁を挟んだ向こう側……
聞き耳を立てずとも聞こえて来る向うの気配を背に、嶋本はサイフォンに残ったコーヒーを流しに捨てる。
「風呂行くか」
ため息と共に洗面器の中にタオルだの石鹸だのを放り込み、下駄をつっかけドアを開ける嶋本。
その嶋本の気配……ドアが開き、下駄の音が遠ざかって行くのを……美穂子は秘部を弄られながら聞いていた。
お話自体は短く最後まで出来上がっているのですが、いつもより描写が細かいので……しばらく連載は続きます(^_-)-☆
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