第4話 俺がお前でお前が俺VTuber
理解できないことだらけだが、ただ一つ言えるのは、故麦はこんなにべたべたな甘えん坊ではなかった、ということ。
もっと思春期らしく兄にも家族にも反抗するナイーブな娘だったのに。
助けを求めて社長さんに視線を送ると、察し良く、二つの毛束がそっと俺とコムギを引き剥がす。
「まずはお兄ちゃんに事情を説明しなければなりませんよねぇ。いちゃいちゃはその後で」
コムギは不服を隠す気なく、彼女を睨みつける。
「社長のお兄ちゃんじゃない。皇否穂」
「否穂さんですね。レッタです。お見知りおきを」
「は、はあ。知ってます」
自分の名前とグループ名を一緒にしたヤベー奴がいると一時期界隈が騒然としたので。
「では、否穂さん。あなたには宇宙規模の疑問が一つあるはずですよね? もしよろしければ、その疑問にわたくしがお答えしましょうかね?」
「一つどころか、分からないことだらけではあるんですけど……」
「いえいえいえ。あなたの疑問は『故麦さんが何故生きているのか』、それだけのはずです。わたくしが〈宇宙人〉であることとか、コムギさんをスクリーンに映すために特殊な技術が使われていることとか、そこら辺はあなたにとってどうでもいいことのはず、でしょう?」
レッタはにたぁと心の裏の裏まで読み切った征服感を笑みに零す。
少し癇に障る態度ではあったけれど、その通り、俺にとって重要なのは死んだはずの妹が生き返った奇跡についてだけで、自然と聞く姿勢を取ってしまう。
「お願いします」
大事な話だと察知したらしい故麦は自在に操るレッタの頭髪との激しい攻防を止めて、途端に大人しく、先の謝罪合戦と同様にスマホを触り始めた。
「復活した、というのは正確ではないのですよ。間違いなく故麦さんは一度死にました。が、その死体がゾンビ系VTuberとして復活したのです」
「すみませんもう一度お願いします」
一言一句違わず聞き取れたのに、一言一句理解できなかった。
「あなたに必要なところだけをかいつまんで説明するとですねぇ。VTuberは〈異種族〉に突然変異してしまう人がたまに現れるのですよ。〈ゾンビ〉や〈獣人〉や〈宇宙人〉、架空の人外の総称こそ〈異種族〉。つまりガワが中の人を侵食して、人でなしにしてしまうのですよ。普通逆なんですけどねぇ。中の人の自我がガワに反映されていくのですけれどねぇ」
「VTuberグループの社長がファンの前で中の人とかガワとか言わない方がいいですよ」
「いまそこ大事ですかねぇ?」
少し呆れたように首を傾げるレッタ。この世で一番大事だろ。
「じゃあ、ゾンビ系VTuberだったから故麦はコムギとして生き永らえたって言うんですか? そんなことあり得るんですか?」
「切り替え早い……あなたの視界に映るコムギさんが全てですよ。もちろん突然変異は皆に起こるものではなく、『視聴者に人間だと思われない』というシビアな条件はありますけれどね」
「人間だと思われない?」
「例えば肌を露出させない。例えば恋人を匂わせない。例えば設定と矛盾する発言をしない。人間臭さを一切出さない姿勢によって、人外と認知され過ぎると〈異種族〉になってしまうのですよ。だから最近はほどよく人間味を出すようになられて、」
「あれそういう経緯だったんですか!?」
VTuberが通常の活動者とは一線を画する要素として、設定ってやつが挙げられる。
吸血鬼がいたり、永遠のJKがいたり、アイドルやエルフやアンドロイドや猫や犬や野菜やら……とにかく各々多種多様な設定を持ち、その設定を守るように彼らは活動を行う。
女子高生だから酒は飲めないとか。異世界人だから日本史に疎いとか。
Vが出たての頃はみんな設定を守るロールプレイに惹かれていたが、界隈の拡大、及び他界隈との交流も相まって当該文化は形骸化した、のだとばかり。
「表立って、宇宙規模の問題がある、なんて言えませんからねぇ」
理由はともあれ、ロールプレイする者年々減少し、界隈内でも古参気味の白王コムギは少数派に属する、設定遵守派だった。
不眠不休でゲームをし続け、いつまでも崩れぬ不遜さはまさにゾンビキング。
「設定を遵守して、生々しさを出さなかったから本当にゾンビになった……」
故に現実のビジュアルも人間のそれから、Vのガワへと変貌してしまった。
「理解が宇宙最速ですねぇ」
俺は宇宙の誰と競っていたのだろう。
「いや、それよりも。VTuberが稀に突然変異するとして、故麦はいつ突然変異したんですか? 故麦は……一度、人間として死んだんですよ」
思い出したくもない記憶を掘り起こす。
故麦の命日、自動車に轢かれたときの彼女の外見はゾンビではなかった。
妹に新たな人生を与えてくれた奇跡を知りたい欲が本人を前に死を口にすることを憚る気持ちを僅かに上回ってしまった。
「順番が違うの。生前から活動してて、その途中で死んじゃって、少し経ってから〈ゾンビ〉になった」
伏し目がちにコムギこと故麦は呟く。
「そうだったのか。いや、そりゃそうだよな。コムギが六周年なんだから」
故麦が死んでおよそ五年。生前から活動していなければ数字が合わない。
「だ、黙っててごめんなさい……お兄ちゃん、VTuberとか絶対反対するって思って、言えなかったの」
故麦は俺のTシャツの袖を短くつまみ、目には涙を浮かべていた。
怒られると思ったときによくする妹の仕草そのものだった。
五年前と同じ、いやもっと前から変わらない癖だ。
大衆の知名度は死んだ人をゾンビとして蘇らせてしまうのか。
恐ろしくも、もう一度故麦と話すことのできた奇跡に感謝する気持ちの方が勝って、
「お、お兄ちゃん?」
俺は故麦を抱きしめていた。
様変わりした髪色、凛々しく王の風格に満ちた顔つき、骨格から肉付きまで、指の細さだってあの日の、さようならを言いそびれた故麦とは違っていた。
何年も追い続けていたコムギのそれだった。
背中に手を回し、きつく腕をしめつける。
生き生きとしたライブの姿とは反して、血色の悪い肌がやけに目に留まり、ビロードのような美しい赤と黒のドレスが波打つばかりで、冷たい皮膚からは拍動は伝わってこない。
ああ、ゾンビなんだ。
白王コムギなんだ。
姿もすっかり変わって、全く新しい覇道を歩んでいた。
俺なんて邪魔者なのかもしれない。
生前の置き土産がいまになって帰ってきたみたいに鬱陶しがられているかもしれない。
故麦は両手の置き場に困って、ためすがめつ俺の背中にそっと触れる。
今度は頭の所在に迷いながら俺の肩と首の間に預ける。
「ふへへ」と漏らす声がとても愛らしかった。ゾンビ感もキング感もない。
故麦に違いなかった。
「いやだったらすぐやめるよ」
「やじゃないけど、いつもはこんなことしないのに、なんで?」
「故麦だって甘えん坊になった癖に。人間、五年も経てば変わるんだよ」
「ゾンビも?」
「ゾンビも。大切な妹には変わりないけど」
よかった。勘違いじゃなかった。ライブ中に声を上げて、本当によかった。
「コホンコホン」唐突な咳払い。
レッタの目の前で抱きついてしまったことを気付き、二人して同時に、ソファの端も端まで飛び退いた。顔が熱い。
「実の兄とは言え、他人の視線があるところであんまりいちゃつかないでください、ねぇ? あなたVTuberなんですから」
「う、うるさい」
「否穂さんもよろしくお願いします、ねぇ。あ、そうそう。〈異種族〉諸々のお話は言わずもがなトップシークレット。あなたがコムギさんの親族で信頼できると見込んでしたわけですから、誰にも話さぬようお願いいたしますよぉ」
間延びした緊張感のない口調。
からは想像できないほど、背筋の凍る気迫がレッタから漏れ出ていた。
皿の上に乗せられる感覚と言うべきか。
ゆらゆら自在に蠢く彼女の頭髪から目を離すことができなかった。
瞬き一つの隙に殺されてしまいそうで――ああ、そうか、あれは殺気だ。
知らない感覚が知識と結びつく。この世で最も邪悪で嫌な学習経験だった。
現代社会で健全に生きていればおおよそ感じることのない生の狂気がすぐそこまで迫っていた。
迫ってはいるが、二人掛けのソファまでは到達しない。
呼吸も心拍も整ったまま、冷静でいられるのは多分、隣の故麦のおかげだった。
「そういう釘の刺し方、好きじゃないんだけど? やめてくんない?」
表情は故麦からコムギへ――アンデッドキングへと遷移する。
「コムギさんのためを思って言ったんですけれど、ねぇ。宇宙を代表して、否穂さんに謝ります。怖がらせてごめんなさい」
殺気がふっと抜けて、土下座まではいかずとも彼女は丁寧に頭を下げた。
「宇宙ではなくレッタを代表してほしかったですけど。釘刺さなくても、妹の邪魔なんてしませんよ。故麦が好きなことをして笑顔でいられることが一番ですから」
レッタは一瞬、間抜けな顔をして、ひくひく口角を上げてギザギザの歯を見せた。
笑顔のつもりらしい。
「これからも、レッタ共々よろしくお願いいたします、ねぇ?」