5.誰の心にもある甌穴の底
『スタンド・バイ・ミー』ではゴーディをのぞき、クリスは微妙だとして、テディやバーンはろくでもない人生を送った。
同じく、Bは40代半ばにして脳梗塞を発症し、身体に後遺症を抱えたそうだ。現在はゴミ収集車の助手をつとめている。半人分の業務しかこなせないらしいから正社員ではなかろう。なんともお労しや、である。
Cは数年前、意外な場所で出会った。
自殺した伯父の葬儀で、僕が受付を担当したときだ。弔問客として現れた。
喪服姿に、頭頂部はソフトモヒカンで、後頭部をドレッドヘアにした特殊な髪型が人目を惹いた。相変わらずファンキーな男だった。ずいぶん前に特定のキャバクラ譲に夢中になり、夢中になりすぎて通報され、接近禁止命令を言い渡されたと耳にした。どうりで嫁に逃げられるわけだ。
Aは高校卒業以来、製紙会社ひと筋で3交替勤務を続けている。製紙は斜陽産業だろう。オワコンだ。上層部は何度も希望退職者を募ったそうだが、彼はしがみついたようだ。
あれほど処世術に長けた男だったのに、他を知らないとは人は見かけによらない。数年前、大幅な配置転換があった。
その部署で1つ下の知り合いがAと一緒になったようだ。知り合いいわく、「口ばかり達者で、ちっとも仕事ができない。数もろくに数えられないんだ」と、嘆いていた。どうかAにご慈悲賜らんことを。
かく言う僕はどうか?
似たり寄ったりだ。会社名は明かせないが、うだつのあがらないサラリーマンにすぎない。
ちょうど2000年に結婚し、建売物件ながら持ち家ならある。子どもはいない。犬猫を一匹ずつ飼っていて、そのうち保護猫は去勢手術をしても、外へ出せと言うことを聞かない。仕方がないので朝か夕方、近所の安全な小道で、リードをつけて散歩させている。扱い次第で猫も歩かせることは可能だ。
趣味は、余暇を利用して『小説家になろう』で、読まれもしないのにホラーばかりを投稿している三文文士だ。
そういった意味で、『スタンド・バイ・ミー』の悪ガキども(ゴーディは除く)と、頭の空っぽ具合からしてどっこいどっこいだろう。
ただ僕はこうして表現できる力を手に入れている。物語を作ることができる。
文才豊かとはお世辞にも誇れないが、出来はどうあれ、評価されようがされまいが、思い描いたことを形にすることができる。
小説を書くという行為とはなにか?――それは魔法の絨毯で空を飛ぶということだ。物語を紡ぎ出し、ましてや完成したときの嬉しさは、なにものにも代え難い。宙に舞いあがるごとき快感を味わえる。
時に空飛ぶ絨毯は、とんでもない方向に迷走したり、墜落してしまうこともめずらしくない。それでもこんな楽しさは、ちょっと他では味わえないのではないか?
もっと自由に空を飛びたい。だからこそ研鑽を積む必要がある。空を飛ぶことはファンタジックでロマンに充ちているが、その実、リアルでハードな努力をしないと乗りこなせない。絨毯は気まぐれだ。
『なろう』で投稿するになって今年で7年か。ホラーばかり書いてきた。不器用で、ホラーしか書けないのだ。結果、閲覧数もろくに伸びず、ブクマも100に届いたことさえない。ポイント評価も然り。
別にどうだってかまやしない。こちとら好きで書いているのだ。
持論を言おう。――ホラーというジャンルは、主流のファンタジーとはある意味、対極に位置すると言っても過言ではないと思う。
ファンタジーの世界観が世知辛い現実社会からの現実逃避だとするならば、僕は一貫してリアルを描き続けた。眼を背けたくなるような現実こそがホラーの本質であろう。
光当たるとき、必ず闇は生じる。けれど人よ、闇は汚らわしいと思い、顔を背けるなかれ。
怖いから、グロいから、痛そうだからブラウザバックしてばかりではいけない。僕は恐怖に屈することなく、真っ向から挑んできた。別に僕の拙作を読んでくれと催促しているわけではない。
『スタンド・バイ・ミー』の原題は『The Body』だ。言わずもがな、『死体』であるのはキングの小説を読んだことのある人なら有名な話だ。
轢死体のレイ・ブラワーの死体を見に、少年たちがひと夏の冒険に出かける。いささか悪趣味な旅の動機だが、賢明な人ならば少年から大人になるための通過儀礼のそれだと気づくだろう。
現実は時に不条理で残酷だ。
理想と現実の違いに打ちのめされたり、信じていた人に裏切られたり、逆に他意のつもりではなかったのに、余計なひと言で相手を傷つけてしまい人間関係に亀裂が生じたり、思わぬ人が急死したりと、逃げ出したくなることもないわけではない。
両親だって、いずれ死ぬ。仕事でミスをして、自己嫌悪に沈むことだってある。誰の人生もフラットではあるまい。大なり小なり時化に揉まれることもある。順風満帆だと胸を張れる人は、喉元過ぎれば熱さを忘れるってやつに違いない。
グロテスクな轢死体や、片耳を齧り取られた溺死した子どもさながら、現実は時として眼を覆いたくなるほど、直視するのも耐え難い。
しかしながら、避けては通れない。それを瞼に焼き付け、受け止めることで、ハードルを乗り越えられると、僕は信じている。
◆◆◆◆◆
やっぱりどれだけ頑張っても、ウナギは釣れなかった。
それどころか根がかりを起こし、糸が切れてしまった。
替えをこしらえるのも億劫だ。
甌穴を見るのにもいささか飽きてしまった。
吸い込まれるほど魅入られるとはいっても、一時的な幻惑にすぎない。現代人はやるべきことがたくさんある。こんな穴ばかりに気を取られている場合ではないのだ。
ここは終点にして、人生の折り返し地点。そろそろ帰る頃合であろう。
いつもの記念の儀式をすませよう。
足もとに転がった石をつかんだ。なかなかの大きさだ。誰も見ていないのをいいことに、ふりかぶって穴めがけて思いきり投げた。
「爆弾投下!」
石は放物線を描いて淵に吸い込まれ、直後に大きな水柱があがった。飛沫が太陽に反射してきらきら光る。
きっとハヤたちは驚いたことだろう。寝床にいるウナギをも叩き起こしたかもしれない。片耳を切り取ったモクズガニの末裔だって眼をむいたはずだ。いればだが。
ここで死んだ少年の魂よ、どうせ君はもうここにいない。感覚でわかる。いたとしても安らかに眠るな。こんなところで眠っていたら風邪をひく。
そして僕の投じた石が甌穴の底にとどまる。
どしゃ降りが続いたとき、この巨大な穴の中でカラカラまわることだろう。新たな研磨剤のひとつになれ。
曲がりなりにも天然記念物に指定されている淵だ。僕がこの世から消えて遥か未来、もしかしたら虻川渓谷の日本記録を抜く日が来るかもしれない。
誰の心にも、心へ内向する西川が存在する。そして闇を孕んだ淵だってある。
気が遠くなるような長い年月をかけて、砂礫によってかきまわされ、研磨され、毟り取られ、底知れぬ虚空となっていく。そこにはグロテスクな死体じみた恐怖のシンボルが封印されているかもしれない。
しかし真正面からのぞいてみれば、現実はたいしたことはないものだ。
必ず底は見える。誰の心にもある甌穴の底が、である。
了