3.仄暗い水の底から
あいにくリアルタイムで死体を発見しに行くのではなく、過去に死亡事故があったにすぎず、事故現場を見に行くとの決定的な差はあったので、タイトルを【日本版スタンド・バイ・ミー】と冠するのは、いささかおこがましいかもしれない。今日び、下衆なYouTuberでも事故現場へ突撃するのはありがちなことだ。
――共通するのは4人の同世代のパーティであり、レイ・ブラワーの死体と、かつて甌穴で死んだ少年のそれも、同じくらい惨たらしかったことだ。僕らの場合、死体の残像を求めて歩いた、と言った方が正しいかもしれない。
30キロもの距離を泊りがけで踏破した映画と比べ、僕らのはたかだか2キロの道のりだったので、あっという間に着いた。せっかく途中まで来てしまったのだ。臆病風に吹かれたりはしなかった。
いざ西川の最奥、小さなダムに到着。これも明治時代の遺構だった。取り立てて、カメラを構えたくなるような代物でもなかった。
渓谷の眼下に広がる光景は忘れられない。あれこそ例の事故現場だった。
水深は窺い知れない。墨をこぼしたように真っ黒な水面だったのだ。
大規模なダムや湖を眼にする機会のある人ならどうってことないかもしれない。狭いコミュニティで、井の中の蛙だった少年たちの息を飲ませるには充分の景色だった。
あまりの不気味さに言葉を失った。当のAですら、口をつぐんだままだった。
片耳をカニにちぎり取られた話を僕がしたために、「おれはなんて場所で泳いでたんだ……」といった複雑な顔をしている。
それ以前に、3人はきっと、「どうせなら出かける前に教えろよ。わかっていたら、こんな薄気味悪いところに来なかったのに……」と、心中言ちたかもしれない。あえて口にしなかったのは、僕自身がこの甌穴をじかに見たかったに他ならない。
そのくせ、足の届かない川で泳ぐのは苦手だった僕は、反射的に後ずさりし、身を硬くした。
本当にAは、こんな不吉な淵で素潜りしたというのか?
俄かに信じ難かった。Aは二枚舌であるのは有名だったし、それが真実であろうとなかろうと、どうだってよかった。一人でこんな遠出をし、潜水するのはいささか無謀すぎる。
万が一、先人と同じ轍を踏めば連絡する手段はない。携帯電話が普及するはるか以前のことだし、現在でもこの周辺一帯はドコモをもってしてアンテナが立たない。救助を要請してもすぐには駆けつけてくれないだろう。溺れたらまちがいなく死に直結する。
偶さかAの奴が強がり、「おまえらもここで泳いでみろよ」と言い出しやしないか、気が気じゃなかった。僕が片耳を啄まれた少年の話をしていただけに、抑止できたのかもしれない。
幸いそのひと夏の冒険に、驚嘆に値するようなクライマックスはなかった。
図に乗ったAが、初見の3人を無理やり甌穴に突き飛ばすこともなかった。もっとも、そんな暴挙に及ぼうものなら、僕らは共闘を組み、骨が折れるまで殴りつけていただろう。縛って淵に沈めたかもしれない。これにて第二の犠牲者の完成だ。
――それはきつい冗談だとしても、友だち関係であることを解消したはずだ。あの真っ黒な甌穴は不吉すぎた。Aをも真面目に返らせた。
ましてや溺死体の話をした手前、あの暗い淵の底から、成仏できぬ少年が両手を差しのべて浮上してくるのではないか。いたいけな僕らを、新たな友だちにすべく引きずり込むのではないか。鮮烈にしてグロテスクな想像が湧きあがるに充分な眺めだった。
まざまざと見えるようだった。
漂白したように真っ白にふやけた裸の少年。甌穴の仄暗い底から、バラストタンクを排水した潜水艦のごとく浮上してくるような気がした。身体じゅう緑色の静脈が稲妻のように走っているのがわかる。片耳を失い、無残なピンク色の切り口をのぞかせて。ことによると、眼窩からピンポン玉みたいな目ん玉が視神経につながったままの哀れな面相かもしれない……。ことによると、釣るはずだったウナギが体内に潜り込み、口からウナギの頭部がこんにちはしているかも……。おおこわ!
僕たちはそこで長居することなく、逃げるように回れ右をしたと思う。滞在時間はほんのわずかだったと憶えている。
帰途は、どれほど重い空気に包まれたことか。
映画の4人と同じく、帰りは誰もが口を閉ざし、疲れた脚を引きずって家路についた。
それ以来、Aは甌穴で泳がなかっただろうし、BとCも用もないだろうから二度と足を運ばなかったにちがいない。
僕だって四半世紀以上、この地を訪れなかった。
ところがいい年こいてから、ちょうど神社に参るかのように、パワースポットへ霊力を授かりに行くように、時々通うようになるとは、よもや11歳のころの僕は思いもしなかっただろう。
◆◆◆◆◆
そして今年の春すぎにも、西川の甌穴を見に出かけた。
お気に入りの小型のリュックサックを背負っている。これぞ中国製、カシメ金具はいつの間にか脱落し、雨蓋が留めることのできない仕様だ。深いお辞儀をすれば、中身を全部ぶちまけてしまうだろう。子どものころ誰しもランドセルでやったはずだ。
遊歩道の石のフタを、ゴトゴトさせながら歩いた。
風が吹くと梢がざわめく。
鳥の会話が、山中の至るところで交わされている。
水路の左右どちらかに、ところどころ蜜蜂を集めるための木の容器が眼についた。そう言えば、あの日の冒険でも見かけたはずだ。円柱型で、上にブロックを重石にしてある。透き間があり、そこから内部に入り込んだ蜜蜂が蜂蜜を作るためのもの。いやしくも物語を書く者なら、正式名称くらい知っていて当然である。あれはゴーラという巣箱だ。
甌穴までの道のりは、驚くほど変わっていない。
里は――とくに都心部は、目まぐるしい速さで開発が進む。10年経てば、かつての原型を留めぬほど進化を遂げる。
対する、山はどうか?
山という領域はいつまで経っても時が止まったままだ。100年はザラ、もしかしたら1000年の間すら、さほど風景は変わらない場所だってあるかもしれない。その最たる例が、世界文化遺産に登録された我らが熊野古道である。
どうせ日本の国土の7割は山だ。川に転がった巨石の形、位置さえも数千年前からさほど違いはあるまい。自然災害で多少は削られるとはいえ、基本は変わらない。