2.『スタンド・バイ・ミー』みたい
じきに竿に手応えがあった。やはり川底に沈んでいたのだ。
少年を引っ張りあげた。
心肺蘇生をするまでもなかった。死亡してから半日以上が経っていたのは肌の色を見れば一目瞭然だったという。
そのときの溺死体の様子を、親父はこうふり返ったものだ――。
「聞いた話やと、男児の裸の身体は真っ白にふやけとった。印象的やったのは、片耳がなかったそうや。ちぎられてた。恐らくズガニ(モクズガニ)に齧り取られたんとちゃうか。カニは死肉を漁るんや」
願わくは竹竿の鉤で、少年の片耳を引っかけてしまい、損壊させてしまったわけではないと信じたい。
いずれにせよ、変わり果てた少年のご遺体と対面した両親の心中たるや、察するに余りある。
◆◆◆◆◆
はじめてこの西川の甌穴を目の当たりにしたのは、小学6年、11歳の夏だったと思う。
あのとき、僕を含めて同級生4人の少年が甌穴を見るために出かけた。日曜の昼下がりの小旅行だった。
言い出しっぺは、メンバーの中で一番性的にませていたAだった。
先日、度胸試しで甌穴で素潜りしたというのだ。そこがいかに深い淵か、自慢したかったのだろう。
「おまえらにも見せてやるよ」
Aが歯ぐきを見せてこう言った。
次の休みの日、待ち合わせの場所を決め、4人ともリュックサックに飲み物とお菓子をつめて、自転車でかけつけた。
発電所のかたわらをすぎ、さすが疲れ知らずの少年たちだ、休憩することなく石段を登りきった。
水路の上を行く旅は、きっかり2キロの道程である。遊歩道の右側に取り付けられたガードパイプに、『(終点まで)あと1800メートル』と、等間隔にフダが取り付けてあるのでいい目安になった。これは現在でも変わりない。
僕たち4人は縦列になり、おしゃべりしながら前進する。Aを先頭に、B、Cと続き、Aとは正反対に痩せっぽちの僕は、例のごとく殿をつとめた。
左側は暗い山の斜面が迫り、杉やらクヌギの木が林立しているのが見える。
右手はガードパイプで仕切られ、その向こうは崖っぷち。眼下は木々の透き間から、きれいな清流が見えた。西川とはこのことを指し、蛇行しながらずっと奥まで続いているのだ。
水路は山の中腹に掘削して作られ、川に沿って奥まで辿ることができる。ときおり、巨石が行く手を阻む形でぶつかるが、重機で切り開いたのか、ツルハシで手掘りしたのか、切通しになっている箇所がある。先人の苦労が偲ばれる。
山中は鳥の囀りに充ちていた。
梢の透き間から木洩れ日がきらきらと降り注ぎ、僕らの身体を光と影の迷彩色に染めあげる。
7月だというのに乾いたそよ風が吹くと、たちまち肌に浮いた汗が引いた。濃い山気と、さわやかな葉の匂いが混じり、僕の鼻をくすぐった。
幅1メートル弱の水路を歩けば、石のフタは平衡がとれていないらしく、ゴトンゴトンと揺れ、山中に虚ろに響く。
僕たちはわざと跳ね、大きな音を立てた。やかましいったらありしゃない。
11、2歳となると、性的に背伸びする年ごろだった。――やれ同級生の誰々は最近胸が大きくなって、ブラジャーをつけ出しただの、やれ最近は声変わりがはじまり、それに伴い自分の乳首にしこりが生じたのは成長期じゃないかしらだの、やれ音楽担当の、女優、篠 ひろ子にそっくりの中年女教師が、近ごろ憂鬱そうな顔をしているのは欲求不満なんじゃないかだの、とても女性には聞かれてはいけないような内容をしゃべった。
行軍の道中、和気藹々としている雰囲気に水を差すつもりではなかった。僕はどうしても教えずにはいられなかった。
――これから向かう目的地こそ、その昔、同年代の子どもが溺死し、片耳をカニにかじられ、死体となってサルベージされた忌まわしき場所だと。
彼らは知らなかったらしく、一様に顔色を失ったことを憶えている。僕は空気の読めない男なのだろうか? ありのままの現実を、愚直なまでに伝達したにすぎないのだが。
甌穴がいかに深い淵なのか確認しに行く旅は一転、少年が惨たらしく死亡した事故現場を見に行くそれへと変更した。
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ここまでお読みの方なら、ピンと来るものがあるだろう。なおかつタイトルでネタバレしていることだし、気付かないわけはあるまい。
奇しくもスティーヴン・キング原作、映画『スタンド・バイ・ミー』の展開によく似ているではないか。映画自体は1986年にアメリカで公開され、日本においては翌87年に封切られた。
ちなみに、僕らの甌穴への冒険はそれよりも古い。1983年のはずだ。ちょうどその夏7月に、任天堂のファミコン本体が発売されたばかりだったのを憶えている(年がバレるな……)。
知らない人のために『スタンド・バイ・ミー』のあらすじを付け加えておこう――。
1959年、アメリカ・オレゴン州の小さな田舎町に住む悪ガキたちは、いつもの秘密基地に集まり、煙草を吹かしながらくだらないことを駄弁っていた。
ちょうどそこへ、仲間の1人が驚くべき情報をつかんでやってくる。数日前から行方不明になっているレイ・ブラワーという少年が30キロ先にある森の奥で、列車に撥ねられて死に、そのまま放置されているというのだ。
4人の少年はその死体を捜しに、ひと夏の冒険に出かける。「死体を先に発見すれば、有名になる!」という、子どもっぽい名誉欲にかられて。
青春映画の名作と世間には周知されているので、観たことがない人を見つける方が難しいのではないか。
個人的に、格別あの映画に思い入れがあるわけではない。眩しい物語だとは思う。気恥ずかしさを感じるほど眩しすぎて、逆に僕の口には合わない。
スティーヴン・キングはモダンホラーの旗手として、70年代から日本でもリバイバルの波をたびたび作っただけあって、息の長い活躍を見せている。御年76歳。いくつもの原作が映画化された。映画史に残る名作もあれば、唾棄すべき駄作も少なくない。
キングの小説で個人的なベスト5を選べと問われたならば、本来ホラーを選ぶべきであって、『スタンド・バイ・ミー』をあげるのは野暮だと思う。天邪鬼な僕だから、あえて選ばない。