1.西川のどんつきにある甌穴をめざす
まるでラムネの瓶のビー玉のよう。窪みの中で、岩や砂礫がカラカラまわるのだろう。研磨剤となって側面や底が削れ、見事なお椀型の淵が作られるわけだ。気が遠くなるような歳月を費やして。
とはいえふだんの水の流れはゆるやかで、研磨用の岩や礫は微動だにしない。何日もどしゃ降りが続くか、それこそ土石流でも発生しないかぎり、その自然が織りなす地質学的なエネルギーは起きやしない。年間1ミリ、削れるかどうかの世界らしい。
このような花崗岩を刳り抜く地質現象を、甌穴、英語ではポットホールといい、天然の水がめのことをさすのだ。
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西川の渓谷にある甌穴を見にいくには、まずは水力発電所へつながる吊り橋を渡る必要がある。真下の川は澄み切ったエメラルドグリーン。川面はキラキラと細やかな光を反射している。水面までは高さ6メートルはあるだろう。ハヤの群れがゆったりと泳いでいる。
吊り橋をすぎたあと、水力発電所の建屋のかたわらを突っ切り、山の中腹まで急な石段を300メートルばかり登らなくてはならない。
これが骨が折れる。
体力のあり余る子どもならひと息で登りつめるだろうが、大人になってからこの勾配に挑めばたちまち大腿四頭筋が機能しなくなり、心臓は踊るわ、肺も空気を求めてあえぐわで、途中息を何度も整えねばならないことか。
この苦役さえクリアすれば、あとはむしろ消化試合みたいなものだ。
水力発電所は明治36(1903)年から操業し、121年続く歴史がある。今は関西電力が管理しているようで、ふだんは無人だ。関電の職員の姿と出くわしたためしがない。
なんでも現役では三重県最古の施設だという。急斜面の水の落下を利用した発電方式を採用しており、フランシス水車を回転させることによってエネルギーが生じる仕組みだとか。
上流にある小さいダムから、山の中腹にコンクリート製の水路が引かれてあった。水路の上には透き間なく重い石のフタが被せられ、スニーカーを躓かせる心配もない。水のせせらぎが足元から聞こえた。
水路はちょうど遊歩道となっており、甌穴見たさに物見遊山にはもってこいのハイキングコースとなっているのだ。ほぼアップダウンはなく、山沿いに蛇行しながら縷々と続いている。
もっとも、そんな物好きなハイカーと出くわすのも稀である。いつ行っても僕の貸し切り状態だった。
ちなみにダムの向こうは行き止まりで終点だ。岩伝いに川を遡上すれば、上の集落に行けないこともないが、わざわざそんな悪路を進む必要性はあるまい。
これから西川のどんつきにある小さなダムと甌穴をめざす。道のりはきっかり2キロ。軽い運動をするにはうってつけだ。今しがた登ってきた石段だけはハードすぎたが。
なにせ渓谷の真下にある甌穴は驚くべき規模なのだ。天然記念物に指定されているわりに、全国区として知られていないのは納得いかないが。手前味噌ではないけれど、恐らく日本屈指の大きさと深さを誇るのではないか。ダム下の甌穴だけではなく、少し下流の一枚岩の川底にも、無数のそれが点在しているのだ。知る人ぞ知る絶景ポイントだった。
ここは三重の南端。お隣の熊野には、世界遺産にも登録された鬼ヶ城や獅子岩が鎮座し、楯ヶ崎と呼ばれる岩塊は、ハマチやタイが釣れるとして釣り客に人気だ。
反対側の和歌山県新宮市に眼を移してみれば、御燈祭で知られている神倉神社のご神体ゴトビキ岩が観光客の注目を集め、さらに最南端の串本町にも橋杭岩という奇異な観光スポットまである。驚くほど一帯に奇岩がひしめいていた。
これには理由がある。
紀伊半島の熊野地方を中心に、約1500万年前、カルデラ火山活動で生じた火山性の岩石が分布するとされている。熊野酸性火成岩類と呼ばれ、流紋岩質の火砕流堆積物、溶岩、貫入岩で構成されるそうな……。もっとも形成のメカニズムは、いまだ充分に解明されていないようだが。
したがってこの近辺には特徴的な奇岩が多いというわけだ。――3年前、『ブラタモリ』でタモリ自らがカンペを読むことなく、淀みない口調で解説していた。さすが博学タモリ。頭が下がる。
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甌穴までの道のりは、風光明媚の景色が眼の保養もさることながら、緑の中を吹き抜けるそよ風もさわやかだし、遊歩道は木陰に隠されているので暑い日もへっちゃらだ。羽虫が飛び交っているのだけが玉に瑕だったが。
僕は年に一、二度、西川の甌穴をめざし、ふらりと足を運ぶ。
仕事の繁忙期がすぎ、ストレス解消や気分転換をかね、同時に小説の構想を練ったり、新たなアイデアを求めてのんびり歩くのだ。道中、なにか思いついたら足をとめ、メモを取るのを忘れない。
以前のことである。
実家に寄り、母に西川へ出かけるんだと言うと、顔を曇らせた。
挙句、
「よくあんな薄気味悪いところへ、独りで行くね」
とまで、返された。
というのも理由がある。
僕が生まれるより、はるか昔のことだ。かれこれ70年ほど前、その西川の甌穴で、地元の少年がなんらかの形で溺死し、遺体が引きあげられたことがあるのだ。
この話は親父たちがまだ幼かった時代の事故だった。親世代のみならず、そのまた祖父らが子どものころの遊び場でもあっただけに衝撃が大きかったらしい。発電所の歴史はそのまま地元民の歴史でもあった。
ふだん家族連れで賑わう自然プールよりもはるか上流の川だから、他所から来た人は知らない、地元民だけが知る穴場だった。
ひと世代前の子どもたちは、さぞかし逞しかったにちがいない。
わざわざ長く急な石段を登り、頻繁にウナギを釣りに出かけたというのだ。僕らの世代では考えられないタフな遠征だった。
その少年がウナギ釣りに行き、なんらかのアクシデントで深みに嵌ったにちがいない。
夕方になっても帰宅しない親が気を揉み、急きょ主だった大人を集め、西川へ捜索に向かったという。
水中に沈んでいるかもしれない。大人たちは竹竿に鉤をつけたもので甌穴の底を探った。
『となりのトトロ』で物語も後半にさしかかったころ、行方不明になったメイを大人たちが捜すシークエンスがある。池に浮かぶ不吉な女児のサンダル。竹竿で池をつつくシーンがあった。生々しい捜索方法である。僕はそれを眼にするたび、西川の少年の話を思い出さずにはいられない。