☆『八回目』『二日目』『朝』☆ その4
脊髄に液体窒素でも流し込まれたんじゃないかってぐらい、全身が凍りつくのを感じた。
『ニアニャの交わした覚えのない約束は、だいたい、私がニアニャを動かしている時に行ったものだけど、私が交わした覚えのない約束というのは、やはりおかしいのだよね』
……辿りつかれた。
誰にも信じてもらえないだろうと、口にしなかったそれを。
よりによって、悪魔に。
『君の動きは常におかしかった。本来ならば選ぶはずの相手をペアに選ばない、クジを引くのもこなれた様子で、驚きというものがなかった、私は、ずっと君を見ていたんだ』
ああ、そうか、そうだった。くーちゃんは、事あるごとに、私の行く先々に居た。
『そもそも、私の企みは、そう簡単に暴けるものではなかったはずだしね。だからそう考えると、非常に納得がいくんだ。とてもとてもわかりやすい。さて』
悪魔の手が、ゆっくりと私に伸びた。
『確認したいのだが、君は何回目なのだろうね。この真実にたどり着くまで、どれほどの時間を遡ったのかな』
「……答えたら、見逃してくれたり?」
軽口を叩く余裕が、まだ自分に残っていた事に、我ながら驚いた、けれど。
『いいや?』
ぶちゅ、と嫌な音がして、左腕が潰された。
「――――がっ」
斬られたり、殴られたりしたことはあったけど、潰されたことはなかったから――ありえないほどの痛みで思考がぐちゃぐちゃになる。
神経全部をねじ切られて、直接叩きつけられる、痛み、痛み、痛み、痛み。
そのままぶつりと引きちぎられて、くるくると飛んでいく左腕を、視線で追いかけることすらできない。
失敗した、間違えた、こいつが出てきた瞬間、私は問答無用で頭を弾くべきだった――私は、自殺しそこねた)。
『この結末は、ひどくひどく、悲しいけれど、君という脅威はとても大きいから、見過ごしてあげられない。残念だけれど、ここで終わりにしよう』
悪魔の腕が、今度は私の右腕に添えられた。
『私の約束が有効ということは、《秘輝石》だけは時間の蓄積を引き継いでいるのだろうから、これを破壊すればよいと、私は考えているんだよ』
試してみたわけじゃないけれど、それは多分、正解に違いないと、自分でも思う。
私に残された時間は、後一秒か、二秒か。
命乞いをするべきか、憎まれ口でも叩いてみるか。
そんな事を考えている、自分が何だかおかしくなった。
右腕に加わる圧力が強くなるのを感じ、ピシ、と内側から響く音がして―――
「っ」
突如、右腕が燃えるように熱くなった。
「がっ、あっ」
私の意思とは無関係に、《魔力光》を立ち登らせ、密度をみるみる増してゆく。
『あぶない、あぶない、早めに潰さないと』
悪魔はそれを、固有魔法発動の兆候だと判断したのか、改めて《秘輝石》に指をかけた、まさにその瞬間。
「ああああああああああああああああああああ!」
――――悪魔の全身に、巨大な質量の塊が無数に襲いかかった。
それらは、屋敷の瓦礫であったり、樹木であったり、岩石であったり、水の塊までもが含まれていて。
『おや』
「調子こいてんじゃ、ねー…………ニアニャを返せ! お嬢を返せ! 全部全部、あたしに返せ!」
クローネから立ち上る《魔力光》が、黒い糸となって、様々な物に伸びると、それらはまるで生きているように浮き上がって、質量兵器となって悪魔に向かって振るわれる。
『生きていたのだね、クローネ。それはとても喜ばしいけれど、君は一体、何を悲しんでいるんだい。自由になれたというのに』
「んなもん、どーだっていいんだよ!」
ぶつけて、ぶつけて、ぶつけて、ぶつけて。
「あたしはお嬢と遊べてりゃそれで良かった! ニアニャと馬鹿やってりゃ楽しかった! クラスの連中からかって、ハルミせんせーからお仕置きされんのだって、きらいじゃなかった! あたしの自由は、とっくにあったのに!」
それら全ての攻撃には、クローネの《魔力》が付与されていて、質量と重量を考えれば、ぬいぐるみなんかとは比較にならない殺傷力のはずなのに。
『ふむ。わからないなあ。僕ら悪魔は、ずっと君たち魔法少女に拘束され、孔の奥に閉じ込めらられて、不自由を強いられていたからね』
悪魔はのけぞり、よろめくけれど、ダメージは……見て取れない。
『自由であること以外を、私は望まないよ』
「――――だったら、死ぬほど不自由にしてやるよ」
ぐらり、と地面が傾いた。
比喩でもなんでもない、本当に身体が斜めにずれて行く。
痛む身体を更に追い詰める、凄まじい振動と横揺れ、縦揺れ。
――魔界を形成する島が、真っ二つに割かれているのだと、引き裂かれる地面を見て、やっと理解できた。
下半身が地割れに落ちて、長い腕で大地にしがみつき、全身を呑まれないようにしながら、それでものんびりとした語調で、悪魔は言葉を紡ぎ続ける。
『凄まじい力だね。《あらゆるものを操る魔法》だったか。その力を危惧され、虐げられていた君は、自らの力を偽るようになったのだったね。とても恐ろしい力だ。ニアニャでは、逆立ちしても君にはかなわないだろうね』
それが、クローネの【嘘】?
だとしたら、それは、そんな簡単に掘り返して、語っていいようなものじゃ――。
「死ね」
割る事ができるということは、閉じる事もできるということだ。
悪魔を咥えこんだ地割れが、今度はメリメリと音を立てて元の場所に戻ろうとしている。クローネの《魔力光》が島そのものに干渉し――――。
『時間切れだ、残念ながら』
ブシュッ、と、目から、鼻から、口から、血を吹き出して。
ふらりと、クローネの身体が崩れ落ちた。
力を喪った傷だらけの右手の甲に埋め込まれた黒い《秘輝石》に、ビキビキと亀裂が入っていく。
『流石にこの質量、島一つを動かそうとするのは、やりすぎたね。君は魔法少女であって悪魔ではないから、個人の力には限度があるからね』
ボコボコと地面を割りながら、悪魔の全身が地上に戻ってきた。
『さて』
悪魔が、私を見た。
――――ああ、くそ、クローネが作ってくれた時間で、さっきからずっと、やろうとはしてるんだ。
両手が全く動かない。《魔弾》どころじゃない、痛みで《魔力光》を解き放つことすら難しい。
死にたい、と死にたくない、が同時にある、この矛盾。
私の葛藤をあざ笑うように、悪魔の手が再び、私の右手に向かって伸びる。
「――――リーンちゃん!」
私が。
私が絶望した時、いつだってそこにはメアが居た。
駆けつけて、手を握って、大丈夫だよって言ってくれた。
――――今だって。
「こないで、メア――――」
フラフラで、ボロボロで、傷だらけの身体で、私の制止を聞かずに駆けてくるメアの手には、《魔力》で形成した魔弾塊、《流星をみる人》が握られていた。
『おやおや』
悪魔にとって、それは蟻を踏み潰すよりも簡単な作業だった。
止めてくれ、頼むから。私を殺すなら、それでもいいから。
だから、メアだけは、お願いだから。
「―――――ごめんなさいっ!」
大玉が纏うココアブラウンの《魔力光》が尾を引いて、悪魔に向かって放たれて――。
『――――おや?』
同時に、悪魔の指が、メアの身体を弾き飛ばした。衝撃で、四肢がバラバラに飛び散って、海にばらまかれてボチャボチャと音を立てて落ちていく。
だけど、私はその光景を、最後まで見ていられなかった。
メアの《流星をみる人》は、悪魔の身体を横切って――私の頭を、砕いて割った。




