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桜咲く社で  作者: 鳳仙花
2/7

第二話 史




 (…ここは一体、なんだ?)

足を踏み入れた薫子は、眼前(がんぜん)に広がる情景にぽかんと口を開ける。

 視界いっぱいに広がるのは、桜や紅葉、向日葵畑(ひまわりばたけ)といった、季節という概念(がいねん)が消え失せた場所だった。

 中央には巨大な(やしろ)と屋敷があり、すぐにそこが神の住まう場所なのだと察する。建築物の造りは単純だが、所々にある装飾品は豪華絢爛(ごうかけんらん)ではないものの、とても質が良い。これだけのものを職人に頼めば、金が(いく)らあっても足りないだろう。

 建物を遠目に見た後、薫子は鳥居の近くにある桜の居大樹を見上げた。何千年も(そび)え立っているのだと言わんばかりの存在感である。

(花弁が一枚も落ちていない…)

巨木の下は桜の花弁は一枚も落ちておらず、綺麗に(なら)された地面が見えた。随分と手入れが行き届いているなと薫子は感心する。

 「何をしている。早く来い、女」

一瞬我を忘れて辺りを観察していた薫子はハッとした。少し先で振り返らずに立ち止まっている神の背中が見える。薫子は「申し訳ございません、直ぐに」と頭を下げた。そこで自分の置かれた状況を改めて自覚する。

(そうだ、そうだよ薫子。ついて行ったらもう、人の世界(そと)には出られないかもしれない。もう二度と、家族に会えないかもしれない。…だけど、逃げる事は絶対に許されない)

どうしようもない現実を目の前にして、じわりと目頭が熱くなる。泣いても意味はないと知りながら、恐怖と恋しさで今更心の奥底から溢れそうだった。

(もしかしたら、私はここで…)

薫子の脳裏(のうり)に最悪の状況が(よぎ)る。その時。

 「茜鶴覇(あかねづるは)様、来たばかりの女子(おなご)なのですよ。もう少しお優しくなさいな」

やんわりとした老女の声が聞こえ、パッと顔を向ける。そこには竹箒を持った老女が微笑んでいた。

「…(ふみ)か」

史と呼ばれた老女はしゃなりとお辞儀をすると、薫子の元へ歩いて来た。ふんわりと金木犀(きんもくせい)の香りがする。

「可哀想に、髪をこんなにされてしまって……」

史は薫子の髪に触れる。乱雑に切られた髪はお世辞にも綺麗とは言えない。それを見て自分のことのように怒ってくれるこの老女は、とても優しいのだろう。

 するっと薫子の髪を(すく)い撫でた後、史は神の方へ向き直った。

「少し、お時間頂きますよ」

「好きにしろ。終わったら私の部屋まで茶を持ってこい」

「はいはい」

神は薫子を一瞥(いちべつ)した後、巨大な社へ姿を消した。それを見送り、史は「さてと」と手を叩く。

「屋敷に入る前に、手と口を浄めましょうか」

「は、はい」

 ここ、神央国(しんおうこく)では祭事を行う際、必ず手と口を浄めなければならない。その作法や手順は神によって異なるらしい。薫子は祭事に関わった事が無いので実際にやったことはないが、村の者達が奉納の儀に行く直前に村で行っていた作法は覚えていた。

 史は鳥居の前に立っていた薫子の手を引いて歩き始める。不思議なことに、先ほどまで氷のように固まって動けなくなっていた足が、今は自然に歩を進めていた。史という存在を見て、少しだけ安堵感を感じたのだろう。

 手を引かれるがまま歩いていると、先ほどの桜の大樹の脇に手水屋(ちょうずや)が見えてきた。龍の口から水が一定の量で流れている。大きな丸い岩で出来た水受けには透明度の高い水が張っていて、水面(みなも)がゆらゆらと揺れていた。

 この辺りは山の恩恵をこれでもかという程受けており、水が澄み、緑は覆い、天災すらも最小限の被害で済んでしまう。だから薫子は不思議だった。なぜあの村があそこまで衰弱(すいじゃく)していまっていたのか。

 確かに山が豊かだからと言って、村が裕福になるのかと言えばそんなことはない。だが、人々が生きてゆくだけの資源は得られるはずなのである。

(余程の大事(おおごと)をやらかしたらしい)

神を怒らすと本当に(ろく)なことが無い。

 薫子は水受けの前に立つと、砂埃の着いた袖を軽くはたいてから捲る。

「確か…」

記憶を辿りながら水面に手のひらを着けた。その後、裏返して手の甲を着ける。両面()れた所で薫子は龍の口から流れる水を手柄杓(てびしゃく)で掬い、口に含んで吐き捨てた。

 「あら…」

「え、違いました?」

「ううん、今まで来た子達は浄め方を知らない子も多かったから意外だったのよ。合ってるわ、大丈夫」

史は嬉しそうにそう言うと、(たもと)から手ぬぐいを取り出して薫子に渡す。

(今まで来た子達、ということは他にも生贄として来た娘が居るということ)

生きているかどうかを聞くのは辞めておこうと、薫子は視線を差し出された手ぬぐいに向けた。頭を下げて史の手から受け取る。

 「そういえば、貴女名前は?」

「薫子です」

「薫子…良い名前ねぇ。私は史。この通り年を取った老婆だけど、まだまだ元気よ。何かあったら頼って頂戴ね」

史は薫子の名前を噛みしめるように呟き、ふんわりと笑った。その笑顔の安心感たるや。薫子は、自分をたくさん甘やかしてくれた祖父母を思い出す。

 薫子は「ありがとうございました」と礼を言いながら、綺麗に手ぬぐいを(たた)んで返却する。

「さてと、じゃあ中に入りましょうか」

薫子から手ぬぐいを受け取った史は、竹箒を持ち直して屋敷に向かって歩き出した。その後ろを歩いていて気付いたが、この老婆はかなり育ちが良いように思える。歳は八十を超えているだろうに、背筋を正し、しゃなりしゃなりと美しく歩く(さま)は、年齢を感じさせない。

 「ここで草履(ぞうり)を脱いでね」

玄関までやって来ると、史は草履を脱ぎながらそう言った。薫子はスッとしゃがんで草履を脱いで屋敷に上がる。ひやりとした木製の床は、(きし)みや埃一つ無い。

 史の後ろを着いて簡単に屋敷内を案内してもらった後、とある襖の前にやってきた。

「ここが私の部屋よ。何かあったらいらっしゃいね」

「はい」

史は薫子の返事を聞いて襖を開ける。ふわっと香るのは金木犀の香りだった。

 内装は屋敷同様派手(はで)な造りではないが、ひとつひとつ物が良い。丁寧に(つく)られた部屋である。物も少な過ぎず多過ぎずの数が置かれており、整理整頓が徹底(てってい)されているようだ。

 障子の奥には四季の混じった景色が広がっていて、中でも一番存在感があるのは大きな金木犀である。日の光をたくさん集めようと葉を広げ、橙色の花が気持ちよさそうに揺れていた。

 「ここに座って、さあ」

手を引かれるまま部屋を通り抜け、陽がさんさんと射す縁側に案内された薫子。史は風呂敷のような大きな布を薫子の肩に掛けた。そして糸切狭(いときりばさみ)箪笥(たんす)から取り出すと、薫子の毛先をゆっくりと整え始める。

「貴女はどこから来たのかしら」

「この山の(ふもと)にある村です。そんなに大きな村では無いのですが、皆仲も良く、貧しくとも幸せな生活をしています」

「麓にある村…。ああ、あの村ね」

「知ってるんですか?」

薫子が聞くと、微笑みながら史は話した。

「ええ、勿論。貴女の村の方々はとても丁寧で優しく、礼儀正しい。それにお味噌がとっても美味しいのよ」

まるで幼い子供が菓子を貰ったようにコロコロと笑う史。それを見て、薫子は少し(くすぐ)ったい気持ちになった。自分の村の仲間をここまで素直に褒められると、自分まで恥ずかしくなってしまう。

 「奉納の舞もとても綺麗で、よく茜鶴覇様も見ていらっしゃるのよ」

「えっ、あの人が?」

「あの人……?」

「あ…申し訳、ありません」

思わず返した言葉にハッとして額を床に着けた。自分のギザギザの毛先が視界を覆う。

「あらあら、良いのよ。それにあの人だなんて呼んでくれたの、きっと薫子さんが初めて…」

「え?」

叱られると思っていた薫子は、不思議な返答に顔を上げた。史の表情は怒るどころか、とても嬉しそうに笑っている。

「茜鶴覇様はあの風貌(ふうぼう)と存在から今まで沢山距離を置かれてきたし、置いて来た。だから"あの人"なんて親しく呼ぶ人間なんて居なかったのよ」

「……そりゃ、カミサマですもんね」

(親しくなりたい(やから)は多いだろうけど、願望と現実は違うってことかな)

そもそも人でもなかったなと薫子は思い出す。

「うふふ、確かに人では無いわね」

顔に考えていたことが出ていたのか、史は的確に返答してきた。長く生きてきていただけあって勘が鋭い。

「…でも、茜鶴覇様は人間の情を持ち合わせるお方。見た目や立場だけじゃなくて、薫子さんには内面も見てあげて欲しいわ」

史はそう言うと、「続けるわよ、前を向いて」と薫子の肩を押した。薫子は史を横目で見ながら前を向き直る。風に乗って流れてくる金木犀の香りと、暖かい春の日差しが心地よかった。





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