《8》
「……」
割れてしまったガラスを片付け終えた俺は、リビングでぼーっと天井を眺めていた。
現実に帰ってくるのがやたら気が重い。
けれど、いつまでも回想の海を漂っているわけにもいかず、俺は仕方なく戻ってくることにする。
考えるのは〝砂時計〟のこと。あれから、〝砂時計〟を視たのは6回。街を歩いていた時にすれ違った見知らぬ通行人だったり、会社の年配の人だったり。実際にその死に立ち会ったのは叔父さん以外になかったけれど、砂時計が視えただけでその都度気持ちが沈んだ。
〝死〟が分かる。生の限界を悟る。これは果てしなく重大なことだと思う。死の宣告。これはたぶん、医師だけの特権で、いち一般人の俺なんかがしていいことなんかではない。
だから、俺は関与しないと決めた。それは言ってみれば、その人の寿命に他ならないから。冷たいけれど、自殺だって寿命だと思う。
よく「生きていれば違う未来があったのに」と嘆くコメンテーターたちをテレビで見掛けるけど、それだって所詮〝たられば〟の世界であって、実際その未来はもう2度と見ることは出来ない。その人の意思で〝生〟を手放し、諦めて、選んだ結果の〝死〟。致し方ない理由だってもちろんあるはずなのは分かっている。酷いのは重々承知している。でも敢えて言う。自殺も立派な寿命だ。
……。
「……花澤、何で死んじまうんだろう」
意図せず、ごく自然に言葉が漏れた。
自殺……はないだろう。あんなに明るくて、いつも笑顔がいっぱいで、〝自殺〟という単語から最も遠いところにいるイメージが浮かぶ。
……でも、そういう子に限って心の中に深い闇を抱えているって場合はテレビとかでもよく聞くしな。
一概に言い切れないけど……それでも何となく、智花は違うと思う。
じゃあ、病気だろうか?
……。
これもまた、イメージとは程遠い。それにもし、既に病気であれば薬の服用は必須だろうし、今まで社内で薬を飲んでいる姿を見たこともない。今日の出先回りでだってそんな様子はなかった。
そもそも、智花は今まで欠勤したことさえない。何か病気を患っていれば、定期的に病院にかからなければいけないはずだ。可能性は非常に低い。
もしくは、これから変な病気になってしまう、とかだけど……20代前半で急死してしまう病気なんて本当に稀だろう。となると―。
「……やっぱ、事故ってことになるのか?」
不慮の事故。予想だにしない事故に巻き込まれてしまって命を落とす。
……。
1番あり得ることだと思った。それと同時に、そんな事故だとしたら、防ぎようがないとも思った。幾ら自分自身で気をつけていても、相手の不注意で事故に遭ってしまう可能性は日常のあらゆる場面に潜んでいる。予測をして未然に防ぐなんてことなんて出来るわけが―。
「って、待て。俺は何を考えているんだ?」
俺は無意識に考えていたことに驚く。いやいやいや。どうしてそうなる。
俺はこの〝砂時計〟には関わらないって決めたじゃないか。
普通なら、『何とかして助けなければ!』って意気込むのがドラマやアニメの主人公で、1番盛り上がる場面なんだろうけど。
残念ながら、俺の場合は違う。ご期待に添えなくて申し訳ない。智花だって例外じゃない。智花を助けなければいけない義務はないし、そもそも、砂時計のカウントダウンが始まってしまった以上、その日は確定してしまっている。
智花の〝砂時計〟。大きさは120円の缶ジュースのお徳用サイズ。残りの砂は2/7。
……あと2~3週間というところだろうか。
理屈は分からないけれど、感覚的にそう感じた。たぶん、間違いない。根拠のない確信。
でも、普通なら見えるはずのない砂時計を視ることが出来る俺の直感なのだから、ある意味で筋が通っているとも考えられる。
でも、それが分かったからといって、俺にはどうすることも出来ない。たかが俺なんてただの一般人、ヒーローでも何でもないのだ。可哀想だけど、これが運命ってことだ。
……。
「……寝るか」
寝支度を整え、明かりを消してベッドに入る。
……。
……。
この日の睡魔はすぐにやって来ず、俺にしては珍しくなかなか寝付くことが出来なかった。