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シアワセ  作者: 真里貴飛
8/58

《7》

「あ……」


酷く間抜けな声とほぼ同時に硬質な破砕音が聞こえた。自分の不注意からテーブルに置いてあったガラス製のコップを落として割ってしまった。

俺は条件反射的にその場に屈み込んで散らばったガラス片をかき集めようとするのだが、案の定とでも言うべきか、尖った破片で指先を切ってしまった。赤い血の色がじんわり浮かび上がる。


……何やってんだよ、俺は……。


指先を口に含むと鉄の味が口腔内に拡がる。注意力が散漫に過ぎる。

これというのも―。理由は明白だった。智花に視えた〝砂時計〟。それが全ての元凶。

見間違いだと思いたかった。でも……駄目だ。あれは紛れもなく〝砂時計〟だった。


……何でだ?


何で、よりによって花澤が……。


ぼんやりとした頭、映画館の映写機が映し出すみたいに、霞みがかっていた映像がはっきりと焦点を合わせて脳裏に呼び戻されていく。





初めてあの砂時計を視たのは、高校3年の冬だった。

事故による大怪我から復帰して間もなく、何事もなかったみたいに学校へ通学する日々が続いた何気ない日常の一幕。授業中、黒板に書かれた内容を板書していてふと数学教師を見た時だった。教師と重なるように砂時計が視えたのだ。さらさらと砂を落としていく砂時計。目盛りにして1/10程度しか残されていない砂は遮られることなく、確かに減っていた。


……俺、相当疲れてんのかな。


両の目を擦っても尚、依然として視えていた砂時計だったが、俺は自分の疲れのせいだと言い聞かせ、特に気にしないようにした。現にもし、本当に砂時計がそこにあるのなら、クラスの誰かが声を上げているはずだし、みんな気づくはずだ。にも関わらず、誰も何も反応しないということは、砂時計なんて存在するはずがない。


生憎、俺は冷めてるんでね。


ため息をついて、板書を再開する。いつの間にか、砂時計は忽然と消えていた。


「え?」


それから一週間経たないほどだった。

数学教師の突然の訃報。大通りで信号待ちをしていたところ、普通自動車が突っ込んできたというもので、運転手が携帯電話でメールを打っていたための脇見運転だったらしい。

まだ40代半ばで病気ひとつしない人で、まさか死んでしまうだなんて夢にも思わなかった。この時はまだ、自分に起こっている異変に無頓着だった気がする。




意識せざるを得なくなったのは砂時計が視えた2度目の出来事。テレビのバラエティー番組を観ていた時のことだった。

生中継でお笑い芸人がとある外国の絶壁にてバンジージャンプに挑戦するというもので、現地の外国人と一緒に切り立った崖に立ってリポートしていた。何気なく観ていた俺だったが、不意に芸人と重なって砂時計が視えた時は無意識に固まってしまった。


この砂時計って……。


見覚えがあった。高校の数学教師に砂時計を視た時から1年以上経過していて、記憶から抜け落ちていた感があったが、今もう1度目の当たりにして当時の記憶が呼び起こされた。


嫌な予感がする……。


胸の辺りがざわざわ疼く。ただ、砂時計は前に視た時とひとつだけ違う箇所があった。大きさ。教師に視えた砂時計は120円の缶コーヒーくらいの大きさだったのが、今お笑い芸人を通して視えている砂時計はほんの親指サイズ。しかも、残る砂はあと僅か。

これが意味するところは―。


「では、飛んでみたいと思います!!」

直前、得意のスベり芸を披露した芸人は力強く宣言すると、現地の外国人の指示の下、勢いよく崖から飛び降りた。真っ逆さまに急降下する芸人。緩んでいた命綱が急速に芸人を引き上げるように伸びきろうとしていく。

その時だった。命綱が完全に伸びきる瞬間、「ぶちぃっ」と耳障りな音が聞こえた。かと思えば、失速しかけた芸人の身体が突然更なる降下を開始する。命綱が切れた。芸人の阿鼻叫喚が微かに聞こえたところで映像は途中でストップ。『しばらくお待ちください』の文字とまったく関係のない静止画が映る。


……。


音が消えた部屋。自分の息遣いと拍動しか聞こえない。嫌な沈黙。自然と浮かぶ、結果を裏切って欲しいという切なる願い。しかし、現実はそう甘くなかった。芸人は帰らぬ人となった。言葉にならない衝撃が襲う。目の前で人が死んだ。この事実は途方もなく大きい。芸人と自分は何の関係もないのだが、テレビ越しとはいえ、その現場に居合わせてしまったためか、何だか他人事とは思えなかった。


……あ。


しばらく放心状態だった俺はふとあることに気づく。砂時計。記憶の底に眠っていた事柄。教師の死。


……偶然、なのか?


突拍子もない仮説が浮かぶ。けれど、これで2度目。2/2。

まさか、あの砂時計は―。

人の命の終わりを告げる砂時計なのだろうか?





疑惑が確信に変わったのは砂時計が視えた3度目のことだった。

大学3年生になった春先、親戚の叔父さんが入院したという報せを受けて家族でお見舞いに行った時のこと。

ベッドの上で壁に背中をつけて座る叔父さんは思いの外元気そうで、主治医の話によると2~3日の内に退院できるという話だった。

お見舞いの品を渡して両親と叔父さんが話しているのを何となく眺めていた時だった。砂時計が現れた。突然のことに驚き、また、信じられない気持ちで満たされる。


え……だって、叔父さん、こんな元気じゃん……?


医者からあと2~3日の内に退院できるって言われてて……。


聞いた情報を反芻するように繰り返す。俺が混乱を来して呆然としている間に、両親たちと叔父さんの会話は済んだようで、叔父さんがにこやかに笑顔を向けてきた。


「じゃあ、退院したらまた顔出すから。真人もまたな」


「あ、うん……」


ブリキの玩具みたいにかくかく頷く。ちゃんと笑えていただろうか。

……いや、きっと顔はひどく強張っていたような気がする。それくらい、俺はどんな顔をしていいのか分からなかった。伝えるべきかどうか迷った。というか、こんな話を伝えたところで、どうにか出来る問題ではないかもしれないとも思ったし、常識的に考えて、信じてもらえない可能性の方が高いと思った。


……それに、砂時計が視えたからって、その人が本当に死ぬと決まったわけじゃない。


そう自分に言い聞かせ、もやもやしたものを抱えながら俺は叔父さんと別れた。

砂時計の大きさは湯呑み茶碗くらいの大きさで、砂の残りは1/6程度だった。



「……何?」

ぼんやりと覚醒し、微睡みかけたまま、気だるげに声を発する。蛍光灯の光が異様に眩しい。起き抜けの頭は状況を把握するまでには至らず、いつもの習慣で枕元の時計を見やる。3時24分。窓の外を見れば落ち着いた藍色が夜を柔らかく包んでいた。


「え、まだ3時じゃん……」


「いいから、すぐに準備して」


俺を起こしたのは母さんで、その表情は険しい。既に出掛ける支度を整えていた。


「準備って……」


「叔父さんの病院」


「……」


はっと息を呑んだ。まさか……。

冷たい何かが背中を駆けた。一気に目が覚めた俺は起き上がり、言葉を発さずこくりと頷いた。

叔父さんは亡くなった。

死因は不整脈で、本当に急死だった。亡くなるほんの数分前まで「眠れんよー」とベッドの上で寝返りを打っていたのを見回りの看護師が目撃していたようだ。

突然の出来事過ぎて、両親もショックの色を隠せないでいた。


……俺のせい、かもしれない。


ショック、というには生半可に過ぎる。罪悪感、焦燥感が俺のことを急き立てる。

俺には分かっていたじゃないか。漠然とはありながら、こうなる可能性を知っていた。


だけど俺は……。


自責の念に駆られる。助けられたかもしれないのに、俺は何もしなかった。心に鋭い刃物が突き立てられたみたいに、刺すような痛みが俺のことを貫いていく。


……ごめん、叔父さん……。


深く深く後悔する。けれど、もう叔父さんは帰ってこない。しても遅いのが後悔。俺はそれをまざまざと分からされた。謝ったところで取り返しはつかない。

皮肉にもこれではっきりした。砂時計の意味。間違いない。

あの砂は残された時間。砂が落ち切った時、その人は死ぬ。


「……ああ」


推量が確信になる。叔父さんが眠る傍らに砂の落ち切った砂時計が視えたのだった。

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