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シアワセ  作者: 真里貴飛
7/58

《6》

昔、高校時代の俺は県内で5指に入るほどのテニス選手だった。1度県大会で優勝したこともあり、県の高校選抜チームの一員として全国大会にも出場したことだってある。テニスが好きだったし、身体を動かすことは大好きだった。


俺には夢があった。夢……というよりは目標と言った方がいいのかもしれないが。チームメイトや仲の良い友達からよく言われたこと。それをもっと確固たるものにしたかった。

誰かに感動を与えられるプレイヤーになりたい。

大それたおこがましい夢。でも、俺の試合を観た人は口々に言ってくれた。


『お前の試合は観てると、何だか感動する』。


スポーツが与える力は計り知れないものがある。もし、そんな力を俺が引き出すことが出来るのなら、是非その力を手にしたいと思った。決して自分よがりではない、他人をも突き動かせられるプレイヤー。そんな選手に憧れた。


けれど、それは唐突に終わりを告げた。交通事故に巻き込まれたせいで。

実を言うと、その時のことはよく覚えていない。トラックに跳ねられて全身を強く打った俺は3日間生死の境を彷徨ったらしい。目が覚めた時、俺は病院のベッドの上にいた。そして、訳の分からないまま、宣告を受けた。


『残念ながら……以前のようにテニスは出来ない』


絶望が俺のことを襲った。身体中のあちこちを骨折し、頭を十数針縫う怪我を負い、身動きさえままならない状態を鑑みれば、驚きというものは少なかった。けれども、言葉にして現実を突きつけられると、分かっていてもそれはやはりショックだった。


俺は2ヵ月の入院期間を絶望と共に過ごした。入院中のリハビリで身体機能は、日常生活においては事故の前と同じ元通りにまで回復し、運動面は軽く走ったりなど軽めの運動程度であれば問題ないと医師に言われるまでにはなった。端から見れば、元通りの身体。

でも……全然元通りなんかではない。


『1度でもサーブを打ったらいけない。もう2度と右肩は使い物にならなくなる』。


医師からの死刑宣告。俺はテニスを失った。

あれだけ好きで、あんなにも愛したテニスを、掲げた夢を、俺は諦めさせられたのだ。

事故は俺の全てを奪った。何も残らなかった。自分の無力さを呪った。喪失感が心を支配し、絶望が心に巣食う。溢れるのは後悔ばかり。


どうして、俺は交通事故なんかに遭ってしまったのだろう。


どうして、身体が元に戻らないのだろう。


どうして、どうして……。


考えれば考えるほど深みに嵌っていった。思考が行き着く先は、


『俺は何のために生かされているんだろう』


というところまで行き、答えなど出せるわけもなく、何度もそこで挫折した。

心の傷は完全には癒えないけれど、時間が俺のことを慰めてくれた。不完全な心。ヒビが入りバラバラに砕け、無数に飛び散った心の欠片を、木工用ボンドや簡易な接着剤で無理矢理修復したみたいで、形は酷く歪なままだ。開ける心はない。歪すぎて、もう誰にも見せられない。

見てくれだけ元に戻った俺は高校を卒業して大学に進み、大学を卒業して無事就職することが出来た。心を隠し、表面上偽り、ここまで来た。


だから、というわけでもないけど、菜穂とのことは正直、心に堪えた。落ち込んだ。治ったと言い聞かせてきた心が軋んで、痛んで、また粉々に砕けて散って壊れるかと思った。テニスを失い、感情さえも失いかけていた俺の心。もう1度、対象は違えど〝好き〟という感情を真っ向からぶつけてもいいのかもしれないと思った矢先の出来事。

俺には挫折や絶望がよく似合うらしい。甘い夢などこの世の中には転がってはいないのだ。俺は身をもって実感した。


誰しも人は過去を抱えている。戻りたい過去や消したい過去、それは千差万別、人それぞれに持ち合わせているものだ。だから、俺だけ不幸だとは決して思わない。人生なのだ。色々あって当たり前。宝くじに当たる人もいれば外れる人もいる。とどのつまり、そういうこと。


……さすがに、こんな冷めた風に考えられるようになるまで、時間をだいぶ要したけれど。


あの事故がもたらしたものは絶望と辛苦、諦め、それともうひとつ。

話しても信じて貰えなさそうなことなので、時間を取らせても申し訳ないからここで話すのは割愛しておく。

何はともあれ、俺は生きている。どれだけどん底に突き落とされて打ちのめされようと、涙を流し心をぐちゃぐちゃに壊され踏み躙られても、明日は来る。これだけは、平等に与えられた権利だ。それだけは間違いない。


「本当に美味しいですね、先輩」


「そうだな」


もう一口、口に含んだアイスクリームはやけに甘ったるい気がした。





「今日はありがとうございました」


会社から5分ほど歩いたところにあるバス停で智花はぺこりと頭を下げた。


「アイスクリームまでご馳走になってしまいまして」


「そんな大したことじゃないから」


たかがアイスクリームだし全然大丈夫、と言うのだけれど、智花は恐縮しきりだった。


……やっぱ慣れないことはするもんじゃないかな。


バスが来るまでおおよそあと2、3分。俺は何となく智花と一緒にバスを待っていた。別にこれといった理由はないが、たった数分でバスが来るなら、智花を置いてさっさと帰ってしまうのもどうかと思ったから。隣にいる智花は心なし上機嫌に見えた。


……1日中歩きっぱなしだったのに、けっこう体力あるんだな。


俺は心の中で感心する。ストレス解消法に運動してるって言ってたし、本格的に何かスポーツをやっているのかも。


……。


取り立てて2人の間に会話はなかったけれど、流れる沈黙は優しくて、俺としてはまったく嫌ではなかった。


「あ、来ました」


智花の声で車道を見やると、ヘッドライトで夜の闇を切り裂きながら重低音と共にバスがやって来た。


「じゃあ、お疲れ―」


智花の方を振り向きながら言葉を交わそうとして、途中で言葉を切ってしまう。


嘘……だろ?


愕然とする。ライトに照らされた智花は不思議そうに小首を傾げる。


「先輩?」


「あ、いや……お疲れ様」


「はい、お疲れさまでした」


智花はにっこり微笑んでバスに乗り込んだ。ほどなくして、バスは静かに発車した。


心臓の鼓動が尋常じゃなくうるさい。冷や汗を掻いていた。瞬きさえ忘れてしまう。呼吸が上手くできない。衝撃が大きすぎる。自分の身体の自由が利かない。


……嘘だろ?


嘘だと言ってくれ……。


目を覆いたくなる。けれど、目を閉じたところで、暗闇に智花の像がはっきりと焦点を結んだ。視えてしまった。忘れたくても、無視したくても、気にしたくなくても、駄目だった。


……マジかよ。


小さくなっていくバスの姿を呆然と見送る。

智花に重なって〝砂時計〟が視えた。

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