《55》
「花澤ーっつ!」
入ってすぐのカウンター脇にある螺旋階段を猛然と上がっていく。がらんどうになった美術館の内部。壁面に飾られていただろう絵画があった形跡、彫刻等の美術品が展示されていただろう空いたスペースを認めるなり、取り壊しが紛れもない事実であると思い知らされる。何も残されていない美術館はその歴史に幕を下ろすため既に準備万端整っていた。
「くそ……!」
握り締めたリモコンを見やる。止まらないカウントダウン。一か八か、電源ボタンを弄ってみたが数字の進行を防ぐことは出来なかった。そりゃないだろ!
さっきの攻防は徒労とまではいかないまでも、結局、爆弾が爆発する最悪な結果になってしまった。ある意味、俺が爆弾を起動させてしまったと同義だ。
冗談じゃない。ここまで来て……!
俺は唇を噛みしめながらひたすらに階段を駆け上がる。息が切れ、右肩にじわりと痛みが拡がるが、立ち止まらない。一分一秒が惜しい。これが正真正銘最後のリミット。僅かな差が結果を大きく変える。階段を踏み外しそうになりながらもやっとのことで上り切る。
「はぁ、はぁ……」
心臓が痛い。運動なんて久し振り過ぎる。身体のあちこちで悲鳴が上がっている。右肩の痛みがその筆頭。サーブ1球にストローク1球。2球とも想定以上のショットだった。本当によくもってくれた。今はアドレナリンが全開だから大した痛みじゃないが、きっと後で想像を絶する痛みが俺のことを襲うだろう。
……俺が無事だったらの話だけどな。
「はぁ……っ!どこだ!花澤ーっ!!」
息も絶え絶え、満身創痍の身体ながら俺は叫ぶ。
踏ん張れよ、俺の身体!後でどんな痛みや苦しみがやって来ようが甘んじて受けてやる。
だから……だから!今だけは、根性見せろよ!
身体はとっくに限界を迎えていた。足に力が入らず、酸素不足でふとした瞬間に気が遠くなりそうになる。もっと運動をしておくべきだった。今更言っても遅すぎるけど。
もし、ここから帰ることが出来たなら……そうだな。バスケでも始めるかな?利き腕じゃない左手でも、練習すればシュートも撃てるようになるだろう。
「……花澤!」
男が白状した智花の監禁場所は4階の一番端にあった。見つけるなりノータイムでドアを開けて智花を呼んだ。残り時間は6分を切っている。
……間に合うか!?
たぶん、もう本当にギリギリ。せめてもの救いは階段が下りになるということだが。
「……先輩?」
個室の1番奥から智花の声が聞こえた。どこか疑わしげで自信のなさそうな声。聞こえるなり、俺は閉め切られた扉の前に立った。
「ああ、俺だ!花澤、無事か!?」
「え、あ、はい。大丈夫、です……」
戸惑い気味の智花。そうだった。智花とは一方的に俺が突き放してそれっきりだったことを思い出す。どんな顔して会えばいいのか考えていたんだっけ。
「悪い、言いたいことはあるだろうけど、もう時間がない!さっさとここから出るぞ!!」
ドアノブを捻るが当然の如くドアは開かない。
くそ、余計な手間を……!
「花澤、ドアから離れてろ!今ぶち破ってやるから!」
「……逃げてください。先輩」
軽く助走を取り、体当たりをしようとしたところ、智花が力無く進言する。
「このままだと、先輩も爆発に巻き込まれてしまいます。……私なんかのために先輩を失ってしまいたくないんです!」
悲痛な叫びが響く。声に涙が滲んでいる。智花は爆弾の爆発する正確な時間は知らないだろうが、そろそろだという予感を感じているのだろう。
「バカ野郎!」
智花の言葉を無視して、俺は委細構わず扉に自分の身体を打ちつける。
「花澤を置いて行けるわけがないだろ!?」
「先輩……」
俺は一心不乱に扉と対峙する。
けれど、扉は一向に開かない。
何でだよ!?あの野郎、これにも変な細工でもしやがったのか!?
「んの野郎!開け!開け!開け!」
智花と俺を別つのはたった1枚の扉。それなのに、2人の距離は果てしなく遠く感じる。傍らで死へのカウントダウンを止めないリモコンが規則正しい電子音を奏で続けていた。ちらりとそのディスプレイを見ると【5:00】と点滅して残り5分を割り込んだ。
……くそ!
途方も無い絶望感が競り上がってくる。
何て無力なんだ、俺は……。女ひとりさえも助けることが出来ないのか……。
「もう、いいですよ。先輩」
「な、何言ってんだ!?全然よくねぇだろ!?」
智花も薄々分かってしまったのだろう、俺の心を見透かすように、どこか達観した口調で言った。慌てて否定するものの、それが強がりなのは火を見るより明らか。智花の言葉に縋りつきたくなる。
……だって、どう考えても、もう……。
「……白状します」
智花は静かに口を開いた。切羽詰まったこの状況で焦りも動揺も見せず、驚くほど自然な声音。
「私、先輩に憧れていたんです。ずっと、ずっと」
「……え?」
唐突な智花の言葉に意味が分からない。
「知ってたんです、先輩のこと。私が一方的に、ですけど」
智花は小さく苦笑する。言葉の先を続けた。
「実は私、1度だけ諦めようとしたことがあるんです。……生きることを」
「……」
はっと息を呑む。〝砂時計〟の一件で智花の自殺の可能性を考えたことはあったが、俺はすぐに否定していた。まさか、と思わずにはいられなかった。




