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シアワセ  作者: 真里貴飛
46/58

《45》

「……何だか、騒々しいな」


事務所に着くなり、周囲の空気がざわついていることに気がつく。就業時間にはまだ10数分あるとはいえ、職場の空気は何だか落ち着かなかった。


本来であれば、世間では〝シルバーウイーク〟として6連休の真っ只中であるのだが、今週金曜日が会社の設立記念日で休みのため、その帳尻合わせのせいで今日と明日が出勤になっている。その腹いせで騒いでいる輩でもいるのだろうか。


「……あの、センパイ?」


パソコンの電源を入れて仕事の準備をしていると、後輩である西岡が声を掛けてきた。


「おはようございます。今ちょっとだけ訊いてもいいっすか?」


「おはよう。うん、どうした?」


西岡に向き直ると、西岡は俺に許可を取ったものの本当に訊いていいものか悩んでいるようでなかなか口を切ってこない。


どうしたってんだ……?


普段お調子者で通っている西岡は、どんな用件にも物怖じすることがない。誰もが二の足を踏む案件だって、他人の家に土足で上がり込むような図太さを見せる男がこんな風に言い淀む様を初めて見た気がする。


「……何かあったのか?」


仕方なく俺から話を促すと、西岡はやっとのことで口を開いた。


「『何か』どころじゃないですよ!噂で聞いたんですけど、これがまた一大事で!!……先輩は、その……花澤と付き合ってるんですか?」


勢いに乗ったかに見えた西岡だが、その問い掛けはおっかなびっくりだった。

しかし、その質問は予期しておらず、今度は俺が驚く番だった。


「え……?いや……それ、誰が言い出したの?」


「品川さんです。何でも昨日、スカイシンボルタワーで先輩と花澤がデートしているところを見掛けたとかで。今、会社内はその話題で持ち切りなんです」


……見られていたのか。


確かに、あんな名所とも言うべき場所であれば、職場の誰かに見られてしまう可能性は十二分にあった。

それにしても、よりによってその相手が品川だったのが最悪だ。他人の噂話が大好物なあの男にとって、この手の話は特に目がない。


……きっともう、社内全体に拡がってるんだろうな。


品川菌の感染力はそんじょそこらのインフルエンザやノロウイルスよりも性質が悪いのだ。

頭が痛くなってくる。


「お!来たね来たね!」


頭を抱えていると、感染源が自分の方からやって来た。うわ、寄ってくんな。手で払ってやりたくなる。品のない笑みを浮かべて馴れ馴れしく俺の肩に手を回してきた。


「やってくれるじゃんか、ウチのホープは!まさかお前、今度は自分の後輩に手ぇ出すなんてなぁ」


「んなんじゃねぇよ」


俺は品川の手を遠慮なく払いのける。ったく、こういう時ばっか馴れ馴れしく寄ってきやがって。同期入社ではあるが、親交はほぼない。そもそも、性格的に合いっこないので当然なのだが。


「何だよ、荒れてんの?さてはあの後、花澤に拒否られたとか?」


「……」


こいつには答える気にもならない。俺は半眼で嘆息する。


「まあ、いいや。んでも、お前も懲りないねぇ。菜穂ちゃんの次は花澤かぁ~。そんなに職場恋愛がいいのかよ?俺には分っかんねーな。けど、路線変更でもした?合法ロリ。〝やっぱり、合法ロリは最高だぜ!〟って感じ!?」


水を得た魚のように、心底楽しそうに言葉を連ねていく品川。まったくもってイライラしてくる。何だってこいつは人をイラつかせる才に長けているのだろう。ていうか、言っている意味もよく分からない。


「品川」


「お、なになに!?何か話す気になった!?」


俺が口を開くと、待ってましたとばかりに食いついてくる品川。俺は静かな怒りを込めた視線を向ける。


「別に、俺に迷惑を掛けるのは構わんが、花澤に余計なことすんなよ?」


「え、それって何か?〝俺の彼女に手ぇ出すな〟って意味?」


「バーカ。お前のために言ってやってるんだよ。こんな下らない噂流して、もしこれがきっかけで花澤が辞めたりでもしたら、少なからずお前の責任になるだろうが。そんなことも分かんないのか?」


ニヤニヤ笑っていた品川の顔が引きつる。


……ったく、面倒くさいやつだ。


「分かったらさっさと自分の持ち場に戻れ。始業時間だ」


くいっと親指を立てて部屋へと戻るように促す。品川は一転して不機嫌そうに顔を歪め、舌打ちひとつして去っていった。


「西岡も、下らない噂に踊らされんな。仕事始めろ」


「は、はい!スミマセンでした!!」


ぽつんと残された西岡に告げると、西岡は持ち前の身の軽さで自分のデスクに戻っていく。


「……はぁ」


俺は小さくため息をついた。今日はたまたま、社内で行われる研修会に智花は参加するため、午前中は席を外しているのがせめてもの救い。

だが、あの品川の勢いからいくと、もう既にこの噂が智花の耳に届いているかもしれない。


……大丈夫かな、花澤。少しだけ心配。あの真面目すぎる性格が災いして変に気にしたりしなければいいのだが。


「デート、か……」


ぽつりと呟く。そんな単語、もう聞くこともないと思っていたのに……。



『先輩!お上手です!!』


『そうかな……?』


〝スカイ・フィールド〟での智花とのバスケ。バスケ初心者(学校の体育でかじったレベル)の俺に、智花は懇切丁寧に技を教えてくれる。思いの外、身体がスムーズに反応して、イメージした通りに動けた。


『はい!やっぱり先輩、センスありますよ!これ、ひよりに教えてもらったんですけど、最初私全然出来なくて……。それをたったの1回で成功させるなんて凄いです。先輩のこと、羨ましくなっちゃいます』


『褒めすぎだって。たまたまだよ。ビギナーズラックってやつさ』


褒められて悪い気はしないが、どうにもむず痒くなってしまう。頬を掻きながら軽い調子で笑ってみせた。


『……夢みたいです』


不意に、智花はぽつりと呟くように言った。


『先輩とこうしてバスケをする日が来るだなんて、思ってもみなかったです』


『それは俺もかな。考えたこともなかったよ』


互いに笑顔を交わす。温かい、と思った。視線と視線が交わり、目に見えない何かが俺と智花を繋いでいるような錯覚に陥る。不思議と俺の考えていることが分かってしまうんじゃないかと思うほど、智花を近くに感じていた。


『ひとつ、訊いてもよろしいですか?』


智花が上目遣いに訊ねてくる。『うん』と俺は頷く。


『先輩の考える、〝1番〟ってどんなものなんでしょうか?』


思わず引き込まれてしまいそうになるほど真剣な智花の眼差し。

これは安易に答えられないと瞬間的に悟る。


1番、か……。


この質問に正答はない。あくまで、〝俺の考える〟という条件付きの問い掛け。だから、俺の思うがままに答えるしかない。俺は熟考に熟考を重ねて、朧気ながらも答えを出した。


『……絶対にそれしかないもの、かな。世界のどこを探しても、どんなことより、どんなものより、抜きん出て他に比べるものがない最上級。……ごめん、抽象的過ぎて上手く言葉に出来てないな……。でも、だいたいそんな感じ』


本当に何となくのイメージ。〝1番〟で思い浮かんだのは、昔テニスで優勝した時のこと。あくまで県内の大会であって、全国優勝ではないから真の1番とは違うが。


トーナメントを勝ち抜き進んだ決勝戦。勝てば優勝、負ければ準優勝。決勝戦に立った時点でそのどちらかになることは確定する。例えどちらになろうとも、得られる栄誉は1人のみ。ベスト16、ベスト8、ベスト4……その括りを超えた準優勝か優勝。他の追随を許さない2人だけの領域。その絶対領域において、〝1番〟とは更に2人を別つ頂点に他ならない。誰もが辿り着ける場所ではなく、たった1人が立つことを、見ることを許される景色。そのトーナメントという限られた世界での頂上。


その場所はどんな山よりも高く、まるで空にも届くかと思うくらいで、心地よい静謐な空気が流れていた。達成感や充実感に溢れ、今までやってきたこと、乗り越えてきた苦難や困難、経てきたこと全てを労い、認めてもらえたのだと心が充足感に足りる。自分という存在が認められた瞬間でもあったかもしれない。でもこう言ってしまうと、〝2番じゃ駄目なんですか?〟と語弊が生じてしまうかもしれないが、2番を否定しているわけでは決してない。ただ、〝1番〟のもたらすものはそれくらい絶大な力があると思う。


『絶対にそれしかない、比べるものがない最上級……それは、本当に遠いものですね』


俺の言葉を復唱して智花は笑う。けれど、智花の笑みにはどことなく覇気がない気がした。智花は続ける。


『でも、当たり前ですよね。1番は1番。その場所に居られるのは、この世界中でどんなに探しても、たった1人だけなんですから……』


……花澤……?


ニュアンスが変わった気がしたが俺は言葉を挟めない。智花は1度言葉を切る。胸元に手を置き、大きく深呼吸をひとつした。揺れていた瞳の揺らぎが収まる。

智花は俺を見据えた。その瞳が発する光は優しさと強さに満ちている。


『先輩、私は―』


智花はこれ以上ない真剣な顔で言葉を紡ぐ。

のだが、突如轟いた轟音に音という音が掻き消されてしまった。外をジャンボ機が飛んでいる。空港が近くにあるためだろう、着陸体勢となった鉄の鳥は無事に降り立っていく。


『『……』』


2人して無言で見つめ合う。数秒の間があって智花が言った。


『すみません、先輩。やっぱり何でもないです』


『……そっか』


てへっと笑顔を溢す智花に俺も敢えて追及することはしなかった。

訊きたい気持ちと聞きたくない気持ち、その両方が混ざり合って、自分でもよく分からなかったから。

その後、何事もなくバスケを再開して、俺たちは帰路に就いたのだった。




……。


「……」


昨日の出来事が鮮明に頭に浮かぶ。


……。


気にはしない、と思っていつつ、どうにも気になってしまい落ち着かない。

あの時、智花が俺に言おうとしていたこと。その続き。


……。


全く見当がつかない、と言ったら嘘になる。たぶん、その言葉を俺は知っている。あの時の智花の表情、智花の空気……その全てを鑑みて、導き出される答え。


「……」


俺は頭を振る。いや、早計だ。そんなこと言って、俺の勘違いだったら取り返しのつかない惨事になる。それこそ、品川の野郎の格好の餌食だ。冗談じゃない。もう2度と御免だ。あんな想いをするのは……。そう自分に強く言い聞かせる。


……。


だけれど、ふと無意識に智花のことを考えてしまっている自分がいることに気がつくのだった。

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