《30》
「―これで蒼桜大学バスケサークル〝ライジング・サン〟と〝シューティング・スターズ〟の練習試合を終わります。〝シューティング・スターズ〟のみなさん、明日の試合でいい結果が出ることを願っています。頑張ってください!」
コートの使用時間ぎりぎりで整備を終えコートから引き上げた俺たちは、体育館の入り口から少し離れた通行人等に邪魔にならない場所で集合していた。由季からこの2日間の簡単な総括をして上手く締めてもらう。さすが、サークルで役員を務めているだけあってか、場の取り持ち方や話す姿は様になっていた。
「先日の水曜日と今日の金曜日、私たちのために急遽お時間を割いて頂きありがとうございました。〝ライジング・サン〟のみなさんのおかげで、明日はみんな自信を持って試合に臨めると思います。本当にありがとうございました」
由季の言葉に陽飛が代表として応じた。どちらかともなく拍手が沸き起こり、お互いに握手を交わして自ずと解散の空気となった。
「うぉっしゃあ!やるだけのことはやった!明日の試合が待ち遠しいぜぃ!」
「落ち着きなさい、真由。今からテンション上げてたら、あんた夜眠れなくなっちゃうわよ。それで明日使い物にならなかったら目もあてられない」
「わ、わーかってるよ!帰ったら寝ることにシリョクを尽くすもん!心配すんな!」
「い、いや、そんなことに死力を尽くさないで……。とはいえ、明日はばんばんパス回すから。頼りにしてるわよ」
「……へへっ、任せとけって!」
言い争いになるかと思いきや、真由と陽飛の会話は穏やかに終結。2人の間柄はまだ知らないけど、きっといいライバル関係に似たものなんじゃないかと推測出来て見ていて微笑ましくなる。
「いよいよ、だね。ちょっとだけ緊張するかも……。比奈子ちゃんは大丈夫?」
「あいむえきさいてぃんぐ☆」
「はは、余裕だね」
「花*花がバスケ辞めさせられないように、一生懸命頑張ります」
「比奈子ちゃん……。うん、そうだね!」
愛と比奈子も程よい緊張感を持ってして和やかに話している。
みんな、あまり気負っている様子もないみたいだし、これならいい状態で明日を迎えられそうだぞ。……ただひとりを除いて。
俺はちらりとその人物へと視線を向けた。
「……」
あろうことか、明日の主役である智花はひとりで浮かない顔をしていた。何やら思い詰めたような、何かを迷っているような深刻な表情。
どうしたんだ、花澤……。
考えてみると、水曜日の帰りの付き添いから様子がおかしかった気がする。どこかぎこちない、というか、変によそよそしかったような……。やはり、明日の大一番が目前に迫ったことで多大なる重圧が圧し掛かってしまっているのだろうか。
何か言葉を掛けてやるべきだろうか?いやでも、人によっては敢えて放っておいて欲しいタイプもいるので、下手に声を掛けるのもあまり得策ではない気がする。う~ん……。
どうしたものかと思案を重ねていると、不意に智花は意を決したかのように両の頬をばちんと音がするほど両手で強く叩き、力強い光をその瞳に携えて駆け出した。
「神凪さん!!」
走りながら智花は由季の名前を呼ぶ。どうやら、由季に何らかの用事らしい。
〝ライジング・サン〟の一団は体育館の前を通る車道を横切り向こう側の歩道を歩いていて、その背中はだいぶ小さくなってしまっていて、そのためか智花が由季を呼ぶ声はかなり大きかった。智花の声に気づいた由季は足を止めて、一団に先に行っているよう命じたのか1人で立ち止まった。そうして、智花と相対する。
2人の間でどんなやり取りが為されているのか想像さえ及ばない。遠目のため、2人の反応も窺い知ることは出来なかった。
数十秒後、智花が恭しくお辞儀をする姿が見えた。どうやら話は終わったらしい。智花は由季を追い掛けていったのと同じくらいのスピードで舞い戻って来る。心なしその足取りは軽く見えた。
「すみません!戻りました」
第一声は謝罪。けれど、その顔にはさっきまでの沈んだ様子は見られず、どこかすっきりしたような晴れやかさが見てとれた。
「花澤、どうかしたのか?何か由季に訊き忘れたことでもあった?」
みんなには俺が由季と2人で明日の対戦チーム〝ムーン・ドリップス〟の偵察に行ったことを話してあった。
もしかして、花形さんのことで何か確認しておきたいことでもあったのかな?
「あ、はい、ちょっと聞きそびれていたことがありまして……。でも、もう大丈夫です!」
えへへ、と智花は照れ臭そうにはにかんだ。
「そっか。それなら良かったよ」
内容は分からないが智花の顔には先ほど生じていた迷いが消え失せている。何にせよ、気になることが解決したようで安心する。分からないことを抱えたまま明日を迎えて試合に集中出来ない、なんてことになったら悔やんでも悔やみ切れない。
由季には後でお礼を言っておいた方がいいかもな。
―ピロリロリン。
と思った矢先、俺の携帯電話に一通のメールが届いた。差出人は由季。
【タカ兄、頑張ってね。ファイトだよ】。語尾には親指をぐっと立てた〝グッドラック〟を意味するだろう絵文字が添えられていた。
言われなくても頑張るさ。俺は【ありがとう】と一言打って送信した。
その後、みんなで明日の集合時間等を確認して解散した。
「花澤、緊張してる?」
帰り道、何気なく智花に訊ねた。公共交通機関を駆使して智花の家の近辺に来るまでには22時を超えていて、ちらほら見える飲食店やコンビニ、疎らに佇む民家以外に外灯は消されていて、夜の闇が大きな口を開けている中を歩いているようだった。
「緊張は……してますね。……もしかしたら、明日で全部終わってしまうかもしれませんから」
一瞬、ほんの一瞬だけ、智花が哀しい笑みを浮かべたのを俺は見逃さなかった。息が詰まりそうになる。智花の言った『全部終わってしまう』。その言葉の意味がずしりと重たく感じる。自ずと最悪な結末を脳裏に思い浮かべてしまう。「でも」と智花が続けた。
「不思議と悪いイメージは浮かんでこないんです。どうしてかは分からないんですけど……それでも、絶対に何とかなるって。……きっと、先輩のおかげです」
「え?俺?」
予期せず俺のことが挙げられて驚きのあまり聞き返す。智花はこくりと頷いた。
「先輩が辞めるなって言ってくれたこと、ひよりのチームを偵察しに行ってくれたこと、実戦経験が少ない私たちのために練習試合を組んでくれたこと……至れり尽くせりです。もう何も心配することなんてない」
「……俺は大したことなんかしちゃいないさ。だけど、少しでも役に立てたのなら良かった」
「〝少し〟どころじゃないですよ。本当に、本当に、とてつもなく大きなことです。……先輩がこうやって傍に居てくれなかったら、きっと私は明日を迎えることすら出来なかったと思います」
「花澤……」
何て返していいのか、俺にはよく分からなかった。言葉が何も出てこない。智花も口を噤み、自ずと沈黙が流れる。2人の歩く足音だけが夜の静寂の中において際立って聞こえる。居心地は悪くなかった。何か会話をしなければ、というような圧迫感や気まずさもなく、ただ見えない時の流れに身を任せてたゆたっているみたいに、それはごくありふれた時間の中にいるようだった。
会話がないまま、智花の家へと続くあの橋の前に辿り着く。
この橋、だったな。智花が〝誰かに見られている〟という視線を感じ、俺もまた刺すような視線を感じた場所。
視線の主は依然として正体不明。気にはなったが、敢えて今言うべきことではないと思って触れないことにする。全ては明日の試合。そこに全力を注ぐのみだ。
「……先輩」
不意に、智花が口を開いた。「どうかした?」と訊き返すと、智花がおずおずと続けた。
「ひとつ、お願いがあります」




