《17》
「……」
どうして、こんなことになってしまったのだろう。考えてみても、よく分からない。
というか、考える暇があったら、一刻も早く寝落ちしてしまいたい。
……。
でも、駄目だ。一向に睡魔が襲ってこない。時間が経つにつれ、目が冴えていっている気さえする。
これは……相当の時間が要りそうだ。感覚的に分かる。
見慣れない部屋の天井。部屋に降りた薄闇は優しく、普段感じたことのない特有の甘ったるい匂いが余計に緊張感を助長させる。心臓がばくばくしっぱなしだった。
……これは眠れそうにない。
雨戸を叩く風雨の音が段々と激しさを増していく。音が強くなり、天気予報をちゃんと見ておくべきだったと激しく後悔。
……俺って後悔してばっかりだな。
あの後、来週の試合に向けてのミーティングをしてなんだかんだで時間が遅くなってしまったため、いつも通り智花を家に送り届けたのだが、いざ帰ろうとしたところ、いきなりの暴風雨が始まった。
何とかして帰ろうとしたのだが、智花の必死な制止にあってしまい、程なくして帰宅を断念。
あろうことか、智花の家に泊まることになってしまったのだ。
……あり得ないだろ、こんな展開。誰得だよ、まったく。
……。
何かを嘆いていなければ、通常の精神状態を保っていられそうにない。
だって……初めてなのだから。女の子の家に泊まるだなんてこと。
緊張するに決まっている。リラックスなんて出来るわけがない。
……。
人生24年(継続中)〝初〟。甲子園に出場する学校の紹介風に言えば、こんな感じだ。
って、甲子園風に例える必要性がないな。何を考えてるんだ、俺は。……もうわけが分からん。
落ち着け、落ち着け、俺……。言い聞かせ、深呼吸を繰り返す。
あー、眠りたい。何とかして眠りに落ちてしまいたいのに、そんな時に限って眠気が来やしない。
……。
こういう時、何か眠れるような方法とかなかったっけ?
……。
そういえば、眠れなくなった時は羊を数えれば眠気がくるって何かでやってた気がするな。
よし、一丁やってみっか。羊が一匹、羊が二匹、羊が三匹……
……羊が七十八匹……
……羊が二百三十四匹……
……
……羊が千百一匹……
……駄目だ。眠れん。千百一匹の羊とか、想像しただけで居すぎだ。百一匹の犬もさぞびっくりだろう。これは失敗だ。羊を数えることを断念する。……あー、眠りたい。
何か生きた心地がしない。別に、何ら制約が課されているわけじゃないけれど、そうは言ったって何となく緊張してしまう。普段立ち入ることなどあり得ない、神聖で禁断の場所=女の子の部屋、みたいな図式が俺の中に出来上がっている。真綿で首を絞められているような急迫感が留まるところを知らない。早く朝になってくれと切に願うばかりだ。
ただ幸いなことに、智花はどうやらもう眠ってしまったらしい。
寝息、は聞こえてこないが、智花が発する音は聞こえてこないし、まず間違いなさそう。それならまだこの時間を耐え忍ぶことが出来そうだ。頑張れ、俺。
「先輩、起きてますか?」
自分にエールを送った矢先、暗闇に智花の声が静かに響く。嘘発見器のメーターが振り切れるくらい一気に心拍数が跳ね上がった。
「今のところは」
平静を装って答える。おい、誰だよ、花澤が寝たって言ったやつ!バリバリ起きてるじゃないか!?
……俺か。
「大丈夫ですか?やっぱり寝る場所、交代した方が……。先輩が嫌じゃなければ、ですが……」
「い、いや!嫌とかそういうの抜きにしても、それはさすがに……!ベッドじゃないから寝れないってことでもないし」
ガバッと起き上がる勢いで智花の申し出を断る。そりゃあ、普段はベッドで寝てるけど、それが布団に変わったくらいで眠れなくなってしまうほど俺は繊細でも何でもない。心遣いはありがたく思うが、出来ることなら早く眠ってくれた方が非常に助かるのだが。なんて、無精過ぎて到底口に出来るわけもない。
「そうですか……すみません」
「ん?どうして花澤が謝るんだ?」
寝たままの体勢で顔だけ智花の方を見やる。智花はベッドの上で仰向けになって天井の一点を見つめていた。
「色々先輩のことを巻き込んでしまって……。ただでさえ、ご迷惑をお掛けしてしまっているのに」
「いいよ、別に。俺暇人だし」
半分嘘をついた。さっさと解放されたい、というのが偽りのない本音。どうしてこうも厄介事が舞い込んでくるのか、俺だって泣きたくなる。
とはいえ、よくよく考えてみると、俺は強制されているわけではないのだ。いつでも、自分の好きな時に辞めることが出来る。言ってみれば、今すぐにでもドロップアウト出来るのだ。すべては俺の心積もりひとつ。
……。
でも、それは余りに無責任だと思う。こんな中途半端なところでの途中退場なんて誰が許してくれようか。見届けようと思う。この結末を。どんな結末が訪れようとしても、両の目を見開き、全てを受け入れる。覚悟はある。だから、俺は逃げない。
……不満や文句は言うけど。
「優しいです、先輩。先輩はいつも優しい。油断したら、ずっと頼りたくなっちゃいます」
「な、何言ってんだよ、俺なんて全然優しくないから!それを言うなら、日野さんたちだろ。頼りになる花澤の仲間たち。花澤の勝負も快諾してくれたんだし」
不意打ちの一撃に動揺してしまい、意図せず若干変なトーンで早口になってしまう。
いきなり何言ってんだよ……勘違いしてもらっちゃ困る。俺は義務感みたいなもので動いているだけだし。
「そうですね……」
「……花澤?」
急にトーンダウンした智花に違和感を覚える。
どうしたんだ?俺、何か変なこと言ったか……?
「苦しいです、先輩」
「え、どこか具合悪いの!?」
慌てた俺の声に智花は首をふるふる横に振る。
「嬉しい気持ちと不安な気持ちで」
ぽつりと呟くように言う智花。
「あの時、真由が勝負を受けてくれたのも、陽飛や愛、比奈子もみんなが私のために勝負に臨んでくれようとしてくれたことも嬉しくてたまらない。だけど……もし、勝負に負けてしまったら。それを考えたら……」
言葉を切り、目を閉じて息をつく智花。ゆっくりと双眸が開かれる。
「先輩が仰ったように、みんな優しいですから。後悔しちゃうと思うんです。私が仕方ないよって言ったとしても、きっとみんなは納得してくれないと思います。……嬉しいけど辛いです。私は大好きなみんなのことを傷つけてしまうのは絶対に嫌。私がバスケを出来なくなってしまうことよりも」
……そうか。
この怒涛の展開にすっかり巻き込まれていたためか、完全に失念していた。試合に負けてしまった時のことを。智花がバスケを辞める。そして、5人のバスケが終わる。5人の関係さえまだよく分かっていないが、もしバスケが繋いだ仲間であるのなら、これはかなりの痛手を被る代償じゃないか。下手をすれば修復出来なくなってしまうくらいの。
……え?
いや、ちょっと待て。
……まさか。
ふと俺の脳裏を掠めた不安。
……。
時期的に考えても、合致する。
……これだったんじゃないのか、原因は。
試合に負け、バスケと仲間を失って絶望し、智花は自殺してしまう。
……マジか。
……。
「……花澤は、勝てると思う?」
聞いていいことか分からない。けれど、ついぞ口をついて出てしまった。智花は少しだけ考えてから口を開いた。