《13》
一通りの自己紹介をし終えると、「時間ももったいないし」ということで、智花たちは自然と練習へと入っていった。まあ、それが本題であるわけで至極当然なのだけど。それでも、コーチや監督など指導者がいない環境でこうやってしっかりスイッチを切り替えられることに少しだけ感心する。
俺はコートに併設されたベンチに腰を下ろしてぼんやりと智花たちの練習を眺めることにした。
……他にやることもないしな。まあ、退屈しのぎにはなるだろう。
……。
……。
……。
「「「お疲れ様でした!!」」」
コートに5人の声が響く。20時50分。きっかり10分間を残して練習会は終わる。
「じゃあモップ掛けしましょう」
陽飛の指示の下、コート整備が行われた。ちょうど5分ぴったりで終わって、5人は円になるようにして床に座ってストレッチを始めた。
「……」
言葉を失っていた。目の前で繰り広げられた光景を、俄かに信じられないでいた。
ガチガチだった。ガチガチの超本気。練習に入るなり、体育館に集合したばかりの空気は嘘みたいに霧散し、何所にも無かった。のっけから驚いた。
〝練習会〟と銘打っていたので、無論バスケットボールの練習をするのだろうと漠然と考えていたがそれがまず間違い。最初に彼女たちがやり出したのはトレーニングからだったのだ。基礎体力トレーニング。その場で小刻みに足を動かし、指示者(彼女たちが交代で)が手を振る方へ身体の向きを変える〝アジリティ〟、2人1組で1人の足を持って行う手押し車、体育館の横幅を目一杯使ったシャトルラン20本×3セット、その他諸々……おおよそたっぷり1時間、練習会の半分の時間を地味なトレーニングに費やしたことに驚きを隠せない。
普通に考えて、すぐにでもボールを使いたいはずだろう。せっかくこうして、バスケのゴールがあるのだからシュート練習とかミニゲームをしたりしたいと思うと思うのだけど、彼女たちは一切の文句を言わずに取り組んでいた。
真由あたり、不平や不満を言ってのけそうだけど。などと、今日出会ったばかりの女の子に失礼極まりないことを思ってしまうが。
タイムスケジュールをしっかり決めてあるのだろう、きっかり1時間トレーニングに費やした後、ようやくボールを使った練習に移行する。2人と3人一組になってのパス練習、ドリブルからのレイアップシュート、フリースローラインからのシュート練習、1on1……諸々をこなして、ラストでようやく2(オフェンス)VS3(ディフェンス)でゲームとなった。
正直、甘くみていた。もっとこう、言葉は悪いが〝お遊び〟というか、楽しめれば何でもいいというような〝レクリエーション〟的なものを考えていたので衝撃は計り知れない。
「ふひー、っ疲れたぁー!!」
「だらしないわよ、真由。ラストなんだから、もっとしゃんとしなさい」
ストレッチの途中、大の字になって仰向けになった真由に対して陽飛が呆れ気味に注意する。真由はだらっとした緩慢な動作で応える。
「わーかってるけどさぁ、身体が限界突破しちゃったみたいでしんどさMAXなんだもん。30秒タンマ」
「まったく……」
「まあまあ、陽飛ちゃん。わたしもヘトヘトだし、本当は真由ちゃんみたくなりたいから気持ち分かるよ。今日の練習会、いつもよりハードだった気がするし」
「あれ、地獄設定?」
「確かに、集中してたから練習中は余り気にしてなかったけど……言われてみるとそうかも。今日の練習メニューの当番って」
「あ、私だったけど……」
陽飛の言葉に智花が控えめに挙手する。
「やぁっぱり、花ちゃんだったか!さては、まーくんにイイところ見せたくて、わざとキツ目の設定にしたんだな!?」
「なるほど、そういうことか。それなら納得ね」
「以心伝心。納得せざるを得ない」
「え!?そ、そんなことないよ!!」
糾弾する真由、意味深な笑みを浮かべる陽飛、神妙な面持ちで頷く比奈子に智花は小さな汗を飛ばしながら否定する。
「ね、愛なら分かるよね!?」
「う~ん、わたしは智花ちゃんに幸せになって欲しいからなぁ……」
「え、え!?愛まで何言ってるの~!?」
智花が愛に助けを求めるも、愛は手を差し伸べるでもなく、真剣に考え込んでしまって智花の声が聞こえていないようだった。
……みんな元気だな。
あれだけの練習をこなしてさすがに疲れの色は見て取れるけど、全員が全員ともまだふざけ合う余力は残っているようだった。
孤立無援の状態だった智花だったが、ひとしきり盛り上がった後、陽飛が口を開いた。
「ともあれ、有意義な練習だったのは間違いないわ。それに、練習を見てくださる人が居るというのも効果があった気がするし」
「それはわたしも思ったよ。何となくいい緊張感があったよね?」
「うん、私もだよ。いつもの練習とは空気が違って感じたよ」
「おし、30秒!えー、それって花ちゃんだけの〝空気〟なんじゃないのー!?」
「いつになく熱い視線を感じた♡」
「そ、そんなこと……!」
「こらこら、混ぜっ返さないの。さすがに智花が可哀想でしょ」
くひひと悪戯っぽく笑みを漏らす真由、ぽっと頬を赤らめ語尾にハートマークが付いているくらい甘ったるい声を発する比奈子に、ぼっと音を立てるくらい顔を真っ赤にした智花があたふたし出すと、陽飛が窘めるように割って入った。
「それより、高梨さん」
「あ、はい」
不意に名前を呼ばれてどきりとする。陽飛が俺の方へと向き直った。
「私たちの練習、如何でした?忌憚なき意見をお聞きしたいです」
「俺の意見?いや、でも、俺はバスケに関して素人だから、何も大したことは言えないけど……」
「構いません。率直な感想でいいので」
「そーそー、ムズかしく考える必要なんてぜーんぜんないよ、まーくん」
「お願いします」
「先輩、遠慮なく仰ってください」
「どきどき、わくわく、たらったらった」
なるべく発言を控えようとした俺だったが、陽飛を筆頭にして真由、愛、智花、比奈子が興味津々な眼差しを向けてくる。これは答えないわけにはいかなそうだ。
「……凄いと思った。コーチとか監督とかいないのに、誰も手を抜かずにこんな真剣に練習してることに驚いた。メニューも自分たちで作ってるんだっけ?」
「はい、当番制で考えています」
愛が挙手しながら答えた。
「そういうところも含めて凄いと思う。……ごめん、大した感想じゃなくて。以上です」
俺にとっては精一杯の感想だった。バスケをしたことはあるにはあるけど、所詮学校の体育や遊びくらいで、専門的なことなど指摘出来るわけがない。俺はありのまま感じたことを述べた。
「ありがとうございます!!そう言って頂けると嬉しいです!!」
「うぉっしゃあ!まーくんを唸らせた!」
「太鼓判☆」
「やったね!」
「第三者の高梨さんの目から見ても、私たちの本気が伝わっているのであれば十分です。ありがとうございます」
けれど、予想に反して彼女たちにとっては満足だったようで、俺の感想程度で喜んでもらえた。
気を遣ってもらえてるのかな……でも、まいっか。
俺としてもほっとする。
が束の間、
「ねーねー、まーくん!じゃあさじゃあさ、あたしたちの中で誰が1番上手かった!?」
「え……」
真由が立ち上がり、興奮気味に訊ねてくるから困ってしまう。
〝誰が1番上手かった?〟。
その問いの答えをと訊かれて、即座に1人の名前が浮かぶ。
だけど、正直に答えていいのか―。
「ぇっ?」
……まずい。
「あ!何今のアイコンタクト!?まーくん、つまりはそーいうこと!?」
「あ、っと……まあ、そうかな。花澤、かな」
一瞬、誤魔化そうかと思ったが、言い逃れできる気がしなくて素直に答える。
……何となく、恥ずかしい気がするのは何でだろう。
「だぁっ、くっそー!!あたしじゃないのかぁ!!」
ともすれば、質問者である真由は心底悔しそうに地団駄を踏んだ。
「高梨さん、正解です。パッと見でも分かりますよね。智花が抜きん出てるのは。真由、あんたのわけないじゃない。もし、真由って言われても間違いなくそれお世辞だから」
「なにおー!?そりゃあ、花ちゃんには正直敵わないけど、ハルヒーに言われるほど下手クソじゃないやい!」
「何だ、分かってるじゃない。って言うか、別に下手くそなんて言ってないでしょ」
「あれれ?そーだっけ?」
「2人とも熱くなっちゃ駄目だよ。でも、やっぱりわたしたちの1番はどう考えても智花ちゃんだよね」
「正真正銘最強のエース」
「み、みんな……」
形はどうあれ、智花の実力を認める4人の言葉に、智花は恐縮しきり。
でも、だよな、と納得する。今でこそ、智花はいつも通りおしとやかで控えめだけど、ほんの10分前までは別人だった。いや、本当に大袈裟じゃなくて。
バスケをしている智花を今日初めて見たが、正直今日1番驚いた。ものが違う。
バスケ中の智花は顔つきから何から、纏っているオーラさえ違うように見えるくらい、他のメンバーと一線を画していた。
動きの機敏さも普段からじゃ考えられないほどで、ダッシュ力、跳躍力、判断力……どれを取っても目を惹かれた。中でも、極めつけはシュートだった。まるで、その瞬間だけこの世界の時が止まってしまったんじゃないかと錯覚させられるほど、綺麗なシュートフォームから放たれた放物線は圧巻で、バスケ素人の俺なんかでも思わず鳥肌が立ったくらいだ。
……にしても、よくもまあ、この小さな身体であんなワンハンドシュートが撃てるもんだよな。
「―なんですけど、如何でしょうか?」
「……へ?」
気がつくと、陽飛から何やら提案があったのか、期待感に満ちた10の瞳たちが俺に注がれていて、何らかの答えを待っていた。
やべえ、全然話を聞いていなかった……。
聞き直そうか、と思った矢先、
「ほらぁ、まーくん!YESかNOだよ!」
はい、どっち!?と真由に2択を迫られてしまい、タイミングを逸してしまい、話のやり直しは出来ない雰囲気が漂ってしまった。
マジか……どうすれば……?
などと戸惑っている猶予さえ与えてもらえない。真由は容赦なかった。
「はい、あと5秒ね!ごー、よん、さん、にぃ、いーち!」
「い、YES!」
日本人の性とでも言うべきだろうか。追い込まれた状況下で俺の口をついて出た3字。その答えは彼女たちを歓喜で包むと共に、数秒経たずして俺に後悔を与えた。
「じゃあ、明日もシクヨロね、まーくん♪」
とびきりの笑顔でサムズアップする真由に、意図せず目の前が真っ暗になった。