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シアワセ  作者: 真里貴飛
12/58

《11》

振り返ると、フェンスに当たったボールが力なく転がっていた。歓声が沸き起こる。茹だるような暑さが一瞬だけ忘れられるほどの別の熱量が迸る。


「ハッハ、よく粘ったが次のポイントでてめえは終わりだ!」


「……」


ネットを挟んで向こう側にいる熱量を引き出したそいつは、『所詮、お前程度の力じゃあオレには敵わないんだよ』と言っているような見下した目で、俺に好戦的な笑みをぶつけてきた。俺は何も言い返すことなくリターンのポジションへと戻っていく。


ゲームカウント、1―6、2―5の0―40。相手のマッチポイント。

奴の言う通り、俺は追い詰められていた。さすが県NO.1プレイヤー。確かに強い。

圧倒的なストローク力で相手を力任せに捩じ伏せるプレースタイルは奴の性格そのものを体現していた。憎ったらしいったらない。


試合開始から2時間を悠に超えている。お互い体力的に厳しい時間帯だろう。間違いなく奴は次でこの試合を終わらせにくる。きっと今、奴の頭の中は優勝トロフィーを手にした自分の姿を思い浮かべているに違いない。


……絶対お前の思い通りになんかさせてたまるか。


沸々と反骨心が湧いてくる。現状、俺と奴には明らかな実力差が存在する。悲しいかな、それは認めざるを得ない事実だ。背伸びしても届かない位置に奴はいる。

でも、それが必ずしも=俺の敗北になるとは限らない。弱者が強者に勝つこと(ジャイアントキリング)はスポーツの世界においては起こり得る。

ウサギだってカメとの競争に敗れたのだ。勝負に絶対はない。勝負を投げ出さなければ、諦めなければ、きっと何かを起こせるはずだ。


俺だって何もここまで無抵抗のままやられっぱなしだったわけじゃない。

でなきゃ、このスコアでこうも時間を消費するはずがないだろう。

もう勝った気でいるのなら、それはあまりに早計だと教えてやる。諦めの悪さなら誰にも負けない。


……見てろ、ひと泡吹かせてやるからな。


俺はひとつ深呼吸をしてラケットを握り直した。



「……」


目が覚めると、熱気に包まれたコートはなく、いつもの天井がそこにあった。


……夢、だよな。


遅まきながら、頭がゆっくりと理解する。それと同時に激しい喪失感に苛まれる。現実的に考えて、今と同じ映像を見ることは2度とないのだ。

片や全国区のプレイヤーとなり実業団でエースとして君臨しているやつと、片や選手生命の終焉を宣告されて競技から離れたただのしがないサラリーマン。2人が再び相見えることなどどう考えてもあり得なかった。


……。


まあ、仕方のないことだ。割り切るしかない。その道の専門家が無理だと言ったのだ。そんなお墨付きを頂いてしまってはもうどうすることも出来ないじゃないか。


……。


ふと、ベッドの脇に置いてあった昔の戦友を見やる。もう2度と、こいつの出番はない。分かっている。がしかし、俺には老婆心が過ぎるのだろうか、今でも定期的にメンテナンスを行っている。やはり、昔幾多の戦場を共にした仲だ。見捨てることは出来なかった。


「……っつ」


ベッドから起き上がり、部屋から出ようとして歩きかけて止まる。足が鈍く痛む。筋肉痛。

智花の付き添いを開始して3日。普段、自宅と会社の行き来だけで何ら運動などしていない怠けた身体には智花の家への往復だけでも意外と堪えるらしかった。にしても、と思わずにはいられなかった。


「……本当情けねぇな」


俺は自嘲気味に呟き、不格好な足取りで洗面所へと向かった。





「……花澤?」


「は、はい……」


「その荷物は何、かな……?」


終業時刻を迎え、自分の仕事を片付けた俺は智花のデスクへと様子を伺いに行くと、デスクの傍らに見慣れないスポーツバッグがあることに気がついた。何となく嫌な予感しか感じ得なかった。


「あの、えっと、その……」


智花は困ったように目を伏せ口ごもるが、意を決して俺のことを上目遣いで見やった。


「実は、今日は練習会の日なんです」


「練習会?」


「はい。すみません、先輩にお伝えしなきゃいけなかったのですが……。私が先日言ったストレス解消法なんですけど」


智花は一旦言葉を切る。小さく深呼吸して智花が続けた。


「私、バスケットボールをやっているんです」


「バスケットボール……」


オウム返しに口ずさむ。率直な感想、意外だと思った。スポーツをやっているとは聞いていたけど、何をしているのかのイメージは全く浮かんではいなかった。それでも、手軽に出来そうなジョギングとかエクササイズとか、そういう類のものなのかと漠然と考えていたので、智花の口から飛び出た〝バスケットボール〟の単語には内心驚いた。


「友達4人と一緒に毎週金曜日、市営の体育館をお借りして練習しているんです」


「週1でしっかりやってるんだ」


「そんな、『しっかり』ってほどではないですけど……みんなで楽しくやっています」


「で、今日がその練習会の日と」


言われてみて、うっすら思い出す。そういえば、毎週金曜日は智花の帰る時間が普段に比べて早かったっけ。それにはこんな理由があったのか。


「へぇ、いいじゃんいいじゃん。社会人になると、中々そういう繋がりを持つのも難しくなったりもするから、いいことだと思うな」


素直に感心すると、智花は弾けるような笑顔を浮かべた。


「ありがとうございます!そう言って頂けると嬉しいですっ!」


眩しいな、と思う。これだけ純粋に、真っ直ぐに、心からの言葉を感情に乗せて表現出来るのはその若さ故か、智花の性格に因るものか。


……そのどちらともなんだろうな、きっと。


まだ数ヵ月、仕事だけでの間柄でしかないけれど、それなりに智花のことを見てきたから当たらずとも遠からずだろう。さすがに、内面までは分からないけど。でも、この子はきっと裏表はないと思う。

そりゃあ、不満とか不平は少なからずあるにはあるだろう。それでも、このキャラクターが揺らいでしまうほど大きく変わることはないだろう。

というか、これで性格が真逆とか本当に勘弁して欲しい。俺の勝手な願望だけど。


……って、何考えてんだ、俺は。


「はは、まあ頑張ってきなよ」


何となくバツが悪くて照れ笑いを浮かべつつ、俺は智花の背中を押してやる。


「はい!では、今日は帰る時間が少し遅くなりますが、どうか宜しくお願いします!」


「おう―おうぇ……?」


智花の言葉に頷いて、途中で何かがおかしいことに気がついて珍妙な声を上げてしまう。


……ちょっと待て。


これってつまり、どういうことだ?


……。


え?


……嘘だろ……?


こういうことか?


今日は智花のバスケの練習会で、帰宅するのは当然のことながら練習会の終わった後、それで「どうか宜しくお願いします!」って……。


……もしかして、俺、花澤の練習会が終わるまで待ってなくちゃいけないのか?


いやいやいや!さすがにそれはあり得んだろ!?


そりゃあ、花澤の帰宅を付き添う約束はしたけどさ。幾ら何でも、これは約束の範囲を余りに逸脱しているだろ。何が悲しくて、花澤のバスケの練習を指くわえて見てにゃあならんのだ。


ここは言わねばなるまい。もう十分過ぎるほど義理は果たしているはずだ。これ以上、調子に乗られては困る。


「あのさ、花ざ―」


「あ、まずいです。練習は19時から開始なので、そろそろ出ないと遅刻してしまいます!先輩、行きましょう」


俺の言葉を掻き消す勢いで智花が言葉を重ねた。が、智花はそれに気づいたらしく、


「先輩?すみません、今何か言い掛けられませんでしたか?」


「あ、ああ」


智花の問いに頷く。しかし、思わぬ不意打ちに遭い、完全に気勢は削ぎ落とされてしまった。言葉が上手く出てこなくなる。


おい、しっかりしろ、俺!何を躊躇うことがある。ガツンと言ってやればいい。


「いい加減、そこまでは付き合いきれない」


と。言えば、智花だって納得する。おまけに、上手くいけば智花の付き添いだって終わる可能性が出てくるかもしれない。謂わば〝一石二鳥〟の大チャンスかもしれないのだ。この機を逃す手はない!


「先輩……?」


智花が話を促そうとしておずおずと俺を呼ぶ。


……そんな顔で見るなよ。


澄み切った空ににわか雨を降らそうかと薄灰雲が膜を張ったような微妙な表情。


……。


口を開こうとして、鈍く胸の辺りが痛んだ。この痛みは……なんだ?

極々小さな痛みだけれど、いつまでも後を引くようなしつこさがある。


……。


この痛みを、俺は知っている。知っているけど、認めたくなかった。認めてしまうことが自分の敗北と同義だから。


……。


「悪い、花澤」


口を開く。もう後には退けない。


「急ごう。遅れちゃまずいもんな」


「はい!」


智花の顔に青空が戻ってくる。またやってしまった。本当に情けなくて泣けてくる。


これ以上関わってどうするつもりなんだ、俺は。


そりゃあさ、守ってやるって思いましたよ?でもそれは、帰宅の付き添いだけであって、後はもう自己責任の範疇だって。でないと、いい加減抜け出せなくなる。この蟻地獄から。


……とんだウスバカゲロウだ。


心の中で収まらない不満をぶちまけつつ、俺は何も言わず智花の後に付いていった。

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