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シアワセ  作者: 真里貴飛
10/58

《9》

「先輩」


「……どうした?」


智花に声を掛けられて一瞬身構える。昨日の今日で意識するなというのは無理な話で、自然と〝砂時計〟のことを考えてしまう。今日は何となく、智花と距離を置くように仕事をしていた。

「昨日はお疲れ様」という簡単な労いくらいで、会話という会話さえ交わしていない。

もうすぐ終業時刻。何とかやり過ごせるかと思った矢先に、智花が俺のデスクにやって来たのだった。


「あの……」


智花の表情は心なし暗い。伏し目がちに、言い出すべきか言わざるべきか判断に苦慮しているみたいで、中々その先の言葉が出てこない。智花のことだから遠慮しているのだろう。


……ああ、もう。


「何かあった?」


俺は仕方なく助け船を出すことに。わざわざ俺のところまでやって来て無下にあしらうなんてこと、門前払いみたいで俺には出来なかった。甘いな、と思う。本当に。


「はい、あの……先輩、この後、何かご予定があったりしますでしょうか?」


「いや、特には……」


って、おい!


自分に突っ込んだものの後の祭り。智花は控えめに続けた。


「でしたら……私に少しだけ、お時間を頂けないでしょうか?折り入ってご相談があるのですが……」


上目遣いで控えめに智花が懇願してくる。


……弱った。


断らなければいけない。瞬間的に悟る。この申し出を受けてしまったら、絶対に何か余計なことに巻き込まれてしまうことは必至。

っていうか、もしかすればこれが〝砂時計〟に関係している可能性だって十二分にある。

いずれにしても断るのが最善。


「ごめん、抜けられない用事があるから」


この一言で全て終わる。


だけど……。


この顔は反則すぎる。笑顔。断られるのを承知の上で尋ねているのが分かる、諦めをベースにした明らかに無理をしている笑顔。


『やっぱり、駄目、ですよね……?』


そう言われている気さえする。


……。


「……少しだけなら」


後悔は目に見えていたが、そう答える以外、俺に選択肢は残されていなかった。





「実は……最近、誰かに見られているような気がするんです」


「……え?」


終業後、俺と智花は駅前通りのハンバーグ店まで移動し、注文を頼み終えてから智花が声を潜めて言った。一瞬理解が追いつかなくて、言葉を発するのに数テンポ遅れる。


「そ、それって……」


〝ストーカー〟という単語が瞬時に浮かぶが口にするのは気持ち的に憚られて言葉を切る。智花は俺の言葉の先を察したようで、頷いてから後を受けた。


「私の勘違いであればいいのですが……なんとなく、誰かの視線を感じるといいますか……」


……マジか。


予想だにしていなかった展開に気が遠くなりかける。

ていうか、思いっきりこれじゃないのか?

智花の死の原因。


……だから嫌だったんだ、俺は。


……。


天を仰ぎたかったが、俺は気を取り直して問い掛ける。


「いつ頃から感じてたの?」


「気づいたのはこの1週間くらいです。でも、もしかしたら、私がちゃんと気づいてなかっただけで、もっと前からだったかもしれませんが……。昨日の帰り道は特に感じて」


「警察には相談してみた?」


「いえ、してません。私の勘違いだったら申し訳ないですし、証拠もないので信じてもらえないような気もして」


それもそうか……。


物的証拠とまではいかなくても、怪しい人影を見たとか無言電話が続いているとか、そういう類のことでもなければ警察は動いてくれないかもしれない。

最近の警察はやけに腰が重いからな。下手をすると、そういう証拠とかがあっても動いてくれなくて、最悪もの言わぬ死体になって「ごめんなさい」と頭だけ下げて終わりにされるケースをテレビのニュースでよく見掛けるようになったし。門前払いをくうのがオチか。


……警察?


「そういや、知り合いに1人警察官がいるぞ」


「え、本当ですか?」


ふと思い出す。憎たらしい、俺のことを挑発するかのような笑みを浮かべた男。

……頼るのは正直気が進まないが、この際そんな悠長なことを言っていられない。


「ああ。よし、ちょっと待ってろ。そいつに相談してみるから」


「で、でも、いきなりご迷惑ではないでしょうか……?」


智花がおずおずと遠慮がちに言うのを、俺は軽く笑って返した。


「大丈夫大丈夫。つーか、これは立派な警察の仕事だし」


市民の平和を守るのが警察の使命であるはずだ。文句は言わせない。俺は携帯電話の電話帳から草野を呼び出して電話を掛けた。


……


……


……。


「駄目だ、出ない」


「お忙しいのではないでしょうか?」


「あいつに限ってそんなことは……」


あるかもしれない。草野のやつ、事件の度に首を突っ込むきらいがあるらしく、担当ではないものにも関わってしまうらしい(そのため、上司や周りから散々言われるみたいだが)。

まったく、肝心な時に限っていつもこうだ。どこで油を売っているのやら。俺は諦めて携帯電話をしまう。


「まあでも、また連絡は取ってみるようにするから」


「はい、よろしくお願いします。すみません、お手数をおかけしてしまって」


「全然気にしないで。連絡取るぐらいわけないから」


「ありがとうございます。でも……」


ぺこりと頭を下げた智花が顔を上げると、その顔は笑顔だが弱々しかった。


「怖い、ですよね……。もし、その視線が私の勘違いじゃなかったらと思うと……。最近物騒ですし」


……。


何て返していいのか、返答に困る。有無を言わさず、あの〝砂時計〟が脳裏を過る。

おそらく、智花の感じている視線は勘違いではないと思う。それがストーカーか何なのかは分からないけれど、不審者であることは疑いようがないだろう(知り合いであるなら声を掛けてくるだろうし)。


……言うべきなのか?


『そいつは間違いなく危険なやつで、君は命を狙われている』


……いや、こんなこと言えるわけがない。そもそも、智花の恐怖を煽ってどうする。

けど、ここまで関わってしまった手前、『じゃあ頑張って』なんて見放すのは人として最低に過ぎる。


……。


「花澤、友達とかはいないの?」


必死に絞り出した質問。こういう時は余り1人にならない方がいいはず。精神的にも参ってしまうし、何より心細く感じるものだ。友達を頼ってもらう。当たり障りのないいいアイディアではないだろうか。


「いるにはいるのですが、職場が遠方にあったりする関係で近くにいないんです」


「そっか……」


撃沈。脆くも崩れ去った。

友達は頼れないとなると……ん?そういえば―。


「花澤って実家暮らしだったっけ?」


確認し忘れていた。でも確か、県外出身だった記憶はない。


「いえ、1人暮らしです。会社に通うには実家だと遠かったので」


そういうことか……。ってことは、これは……1番不味い展開ではないだろうか。


「同期で近くに住んでるなんてやつも……」


「いないんです……」


八方塞がり。……何だかどんどん袋小路に追い詰められていっているような気がする。


「誰も頼れる人がいなくて……」


「だったら……通勤が大変かもしれないけど、ひとまず実家に避難した方がいいんじゃない?家族と一緒にいた方がずっと安全だろうし」


苦肉の策。智花に負担を強いるけど、安全なのは疑いようがないし、身の安全には変えられない。

しかし、智花は首を横に振った。


「それは、出来ません。家族になんて説明していいのか分かりませんし、もしかしたら会社を辞めなければならなくなってしまうかもしれません。私、辞めたくないです」


「じゃあ―」


どうするんだよ?他に手立てなんて何も浮かばない。言いかけた俺のことを、智花は揺れる瞳で制した。


「先輩しか、いないんです。私、他に誰も、頼れる人がいなくて……」


「いや、そう言うけどな……」


薄々感じていた。嫌な予感は的中するものだ。これは……まずい。


「ご迷惑なのは重々承知しています。不躾だってことも、無理を言っていることも分かっています。でも……私は先輩にお願いしたいんです」


揺れる瞳は今にも決壊しそうなほど潤んでいて、その切実さが痛いほど伝わってくる。


おい……どうするよ?


「お願いって言ったって……実際問題、俺に出来ることなんて何もないと思うけど……」


「あの、数日だけでいいんです。帰宅する時だけで構わないので、ご一緒して頂けたら……。視線を感じるのは決まって帰宅途中なので、おそらくその時間帯をやり過ごせられれば大丈夫だと思うんです。確証はないですけど……」


って言われてもな……。


そんな付き添い、あまり意味がない気がする。


智花の言う通り、これで改善するという確証はまるでない。例え、智花に付き添ってやったとしても、相手がストーキングを朝の時間帯に変えてくる可能性だってあるわけで到底抑止力になるとは思えない。まあ、もしかしたら(というか1番可能性があるのは)、視線の主が智花に好意を抱いている男で、智花と一緒に歩く男を見て諦めてくれる、というセンもなくはない。

逆に、ショックを受けて逆上し、凶行に及ばれる可能性もあるのだが。


「……本当は、先輩を危険かもしれないことに巻き込みたくなんてありません。私のわがままですから。ご迷惑、ですよね……?気が進まないのであれば、遠慮なく断ってください」


困ったような笑顔を張り付けてそう付け加えてくる智花。


……。


胸の辺りがぎゅっと掴まれたみたいにきつく締められる。

確信犯だろ、と思いたくなる。そんな顔して、そんなこと言われたら、断ることが世界的大犯罪になり得る気さえしてくる。


……。


でも、事実、その通りかもしれない。

智花のことを見殺しにするか否か。言ってみればその選択を迫られているのだ。

断ればまず間違いなく智花は死ぬ。今、目の前にいる智花が死んでしまう。


……。


実感が湧いてこない。死。こうして接することも、話すことも、笑い合うことも、会うことも、何も出来なくなる。この世界から消えていなくなる。


……。


実感出来るのは、きっと智花の葬式になるのだろう。

参列して、お坊さんがお経を読みながら木魚を叩く音が聞こえ、智花の遺影を見た時、初めて実感するような気がする。それまでは信じようとしても信じ切れない。

だって、今、こうして智花は生きているのだから。


……。


選択肢は2つに1つ。


俺は……。


……。


腹を決める。重たい口を開いた。


「……本当に、俺でいいのか?」


「先輩……はい!もちろんです!」


智花は目をまあるく見開いて、勢いよく頷いた。


「……仕方ないな。保証は出来ないけど、花澤をちゃんと家に送り届けられるように気を配るよ」


「……嬉しいです。ありがとうございます!先輩がご一緒してくださればすごく心強いです!」


そんな大袈裟な、と思わないではなかったが、智花の顔にいつもの笑顔が戻ったので水を差さないことにする。


……あーあ、やっちまったな。あれだけ関わらないって決めていたのに。


この選択が吉と出るのか凶と出るのか。十中八九、凶なのだろう。

〝砂時計〟の告げる死の運命。抗うことが出来るのか、それは分からない。正直、俺なんかの力で抗えるなんて思えない。所詮、焼け石に水程度かもしれない。……でも。

やるからには、〝砂時計〟に負けるわけにはいかない。ちゃんと守ってやる。

目の前に座る、まだ少女然とした女の子が未来を掴めるように。


……くそったれめ。


乗りかかった船に、俺は踏ん切りをつけて、ぎりぎり寸でのところで飛び乗った。

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