エセ北海道陥落――
秘密結社セヤロカーによる経験点の配賦は大きな反響を産んだ。
経験点の増産に当たっては機密などのセキュリティ系を特に保持する必要があるため、その多くは政府関係者からの雇用を受け入れている。その他としては聖サウスフィールド女学園からのOBが少々いる。
結果として悪の秘密結社セヤロカーは、その意に反して半国営企業のような状況となっていた。
それに掛かる時間はおよそ2カ月程度であった。
そんなある日。時間は朝だ。
上流階級であるこの家にテレビや新聞はないため、静かな朝であった。
アリスがリビングで朝食を食べている。スノーとキャロルも一緒だ。スノーは朝食が終われば学校に行く身である。なお、村人Bは学校が違うため、さらには遠隔であるためにすでに出かけている。さすがに同じ学校――聖サウスフィールド女学院に転校とは行かなかったのだ。
それから母親が朝でも仕事から帰ってこないのはいつものことである。
「しかし――、せっかく立ち上げたというのに、最近、まったく会社のお仕事に関わることが出来ていないのじゃが、会社の方は大丈夫なのか? 悪の秘密結社なのに国営企業みたいになっとるのじゃが……」
いつも明るいアリス・ガーゼットはしかし今日は暗い顔をしている。
どうやら現状、会社に対して何もしていないことにご不満のようであった。
アリス・ガーゼットは当然のように、スノーの部屋の机の引き出しにダンジョンへのワープポイントを造り、ほぼ居候のようにスノーの家で暮らしていた。寝るときはロダンの元に帰ってはいるが。
スノーの家はさすがは王族というべきか広い造りであり、スノーの母親に、キャロル、そして村人Bが住んでもまだ余裕がある。会社役員たちは防犯のために集まっているのだ。スノーの母親としてもスノーの会社仲間である彼らを受け入れないという選択をすることは難しかったのである。村人Bには大きな抵抗感があったが、最近のテロを知ってしまえば反論のしようもない。
口では不満を訴えるアリスではあるが、本気ではなさそうにも見える。
どうしたものかとスノーは素直に尋ねてみた。
「アリスさん。それでは会社の運営に関わりたいのですか?」
主に会社を回しているのは渋谷カオルで、ときにはスノー・サウスフィールドも特に貴族関係の社交会の場にはたびたび出ているが、アリスといえば配信でゲームをしたり、雑談したりなどしかしていない。平時の運営に関わるのは厳しいのではないか。
「いや、本格的に運営には関わりたくないのじゃ。じゃが……」
アリスの歯切れはどうにも悪かった。
会社運営を行っている実働部隊――、渋谷カオルの仕事は多忙を極めている。
メインの仕事は《錬金術》による術式を行使することである――要は朝のミーティングで、スライムプールに飛び込む男どもに使用して経験点を得られるようにすることである――が、それ以外にも経験点を配布先を調整するための外交や、人件費の管理などの内政に至るまで多岐に及んでいる。
とはいえ、その多くは出向してきている官僚が対応しており、主な作業は承認だ。しかし――、稀にだが出向ゆえに国益を優先されて意に添わない対応されることがあり、神経を削る利害関係の調整は必ず必要とされていた。例えば福利厚生と称して従業員持株制度を導入し、ゴーストラリア魔王国の持ち株51%を崩そうとする、アリスが行っているアイドル配信部門を分社化して本社側への株主権力を削ごうとする、などだ。そうでなくとも、例えばスキル取得のカウンセリング業とか、転売監視機構の構築など、新たな事業に対してどう対応するか、など真面目に考えるべきことは多い。
そんな矢面に立つ渋谷カオルとは違い、アリスやスノーは株主というくらいしか彼ら官僚には認知されていない。村人Bは「初期のスライムプールに飛び込む人」「屏風を魔王ラララに贈られた人」などとは知られているが、対社員、対マスコミという点では不明なままだ。開発Aは給与等の基幹システム系の裏方に回っており、経理系の知っている人は知っている、レベルである。
「じゃがな……」
(らしくもない。一体なにかあったのだろうか?)
なにか深刻そうな表情のアリスにスノーは心配する。
「なにか――、ご不満で?」
「うむ。ワシがやっている配信で雑談とかするときにネタがないのじゃ」
「なるほど! 心配して損しました! えーっと。アリスさんには運営を任せない方が良さそうですねっ!」
最近アリスが雑談としてした話題としては、スライムプールに飛び込むヒトの雇用の話だろうか。始めはうら若き令嬢――聖サウスフィールド女学園のOB――に飛び込ませようとしていたのだが、テロ防犯対策のためにカメラが設置されているのを令嬢たちに知れると猛烈な反対があり取りやめることになっただとか。そんな話だ。
とりやめになった決め手は「もったいないから防犯カメラの映像を売り出そうぜ」とかいう村人Bの迂闊な発言であったとか。
そして女性陣からの対案として、「それが許されるならスライムプールに飛び込む男性の防犯カメラ映像も売り出せ」という発言があり、めでたくおっさん――出向官僚――のポージングとか、飛び込むシーンを収録した映像を販売したがごく少数の熱烈な人を除きまったく売れなかったりとか。
しかし、秘密結社セヤロカーちゃんねるでその男たちがスライムプールで喘ぐライブ配信をすると、無料のためかどこかの弁当屋のライブ配信がごとく定常的な視聴者がいたりだとか。視聴者からは曰く筋肉が喜んでいると好評だ。なお、情報がどこまで正しいのかは知る由もない。
「新プール マッチョが飛び込む 水の音」官僚が詠んだ句の一節である。
そんなアホな雑談配信しかしていないため、まともな経営の話をし始めたらどんな暴露話が飛び出すか分からない状況となっている。
ちなみに、魔王ラララが登場したコラボ配信回は内容がアレすぎて新聞の一面を飾り、アクセス数も最多であった。そのため次回には首脳会談を開いたらどうだ、などと調整している。ぶっちゃけ、このリモート会議やテレワークが普及している昨今である。いまさら直接対面で首脳会議をするようなこともあるまい。
というのも――
「それにしても、あのコミ―のくそどもめ。なにをやっているのかね」
「いきなりミリタリー系ですか。あいつら、エセ北海道地域に侵攻しているそうですね」
アリスは平等を掲げてテロとかデモとかを起こす市民団体や、その背後にいるコミーデミュタント連邦がすっかり嫌いになっていた。
主張はあいかわらず「経験点を平等に配れ」「世界中の国に配分しろ」などと資源には限りがあるのを見越して、圧力を掛けて奪おうというもの。結局のところ自分たちが欲しいだけなのである。
そしてそれができないと見るや、帝国は異世界人の優遇をやめろ、具体的には帝国は異世界転生したニンゲンに対する直後の補助をやめろ、などを圧力を掛けてきた。
ここまで来ると、ただの言いがかりである。
最終的には戦争目標の正当化のつもりなのだろうか?
マスコミでは誇張するかのように連日のように報道がなされ、コミー軍が集結する様を気象軍事衛星ひまわり841号を使いその状況が逐次映像として流されていた。
有識者やコメンテーターからは、「攻められたらすぐに降伏しろ」「無駄な抵抗はやめてそこに横になれ。せめてもの情けに苦痛なく殺してやる」などという戦狼的な内容から、「来るならば来るがよい、殴殺だ!」などという攻めたものまでさまざまだ。
それを受けて一部スポーツ界でもコミーデミュタント連邦出身者が排除されており、選手たちから次々抗議の哀しい悲鳴があがっている。
――だからと言って、本当にコミー軍が侵攻してくることなどありえるのだろうか? それが当時のヒトの思いだ。
なにしろあの異世界人が多くを占める帝国である。彼らは基本的には快楽主義者であり、そして極度の平和ボケ思想の持ち主であった。侵攻など本気で考える者たちは少ない。
だからだろうか「はたして侵攻してきたとして、なんということもないだろう」、帝国民の多くがそう思っていたのである。平和ボケ市民は今ここに極まっていた。
コミーデミュタント連邦に隣接する自領のエセ北海道は、さすがに形は日本とは異なるものの、広大な農地が広がっているところは同じであり、人口としては農家くらいでそれ以外はほとんどいない。
ならば万が一侵攻してきたら住民は首都エドに疎開すればよいし、侵攻に反撃するだけの時間を得るためのイケニエにすれば良い、――ぐらいに考えてしまうのも当然の結果だろう。イケニエであるならば手ひどくやられた方が帝国国民のショックは大きく、そして反撃するチカラとなるだろう。
――酷い考えだがだいたい関東人の東北から北への認識などそんなものである。島根と鳥取の見分けが付かないのと同じようなモノだ。いっそあの辺は山陰県と崎陽県の2つに統合した方が分かりやすくて良いのではないだろうか。東海だったら三重とか岐阜とか覚えていられないのでまとめてT〇Y〇TA圏にするのが、分かりやすい日本地図というものであろう(注:〇は伏字)
そして事実、エセ北海道はイケニエの役割を十分に果たした。
「確かに一時的にはエセ北海道を占領はできるだろうが、エセ北海道内で軍が止められてしまえばそれでおしまいじゃ。後は経済制裁と長距離火砲で沈められていくだけ。コミー軍には先がないのにどういうつもりなのじゃ? 実際に止められているし」
コミー軍は勢いよく進撃してきたが、帝国軍のがんばりにより、当初の2-3日で首都エドまで攻めあがる計画を押しとどめたのだ。エセ北海道の農地や国民は悲惨の限りだが、注目を集め帝国全土の意識を変え、怒りを爆発させるのに大きく寄与したのである。後は首都エドからの支援のもと、反転攻勢をするだけだ。
「コミー軍がどうするつもりかは、私に聞かれても……」
「それはそうじゃがのぅ。コミー軍には航空戦力すらまともにないのじゃろ?」
現時点でコミー軍はエセ北海道の半分程度の実行支配に留まっている。この遅滞の原因は初手でコミー軍の航空戦力がほぼゼロになったためだろう。
帝国軍には異世界人がはっちゃけて作った無人機である突撃航空機、バードストライクの存在があったのだ。それにコミー軍の空軍はほぼ殲滅させられたのだ。
その攻撃方法は――バードストライクという機体名称からして推して知るべしだ。
「後は航空威信艦どうしの戦いですが――」
異世界ではファンタジー要素らしく現代社会とは違うところもある。それが航空威信艦の存在だろう。
奇跡の魔法植物『バンブー』、それによって作られた魔道具『バンブーコプター』、そらを自由に飛びたいな、という全類の悲願を叶えるその奇跡の魔道具は希少であるが故に市中に出回ることはないが、国家で厳重に管理され、およそ各国に一隻ずつ程度の存在が確認されている。
――というよりも、航空威信艦を持ち、統治能力を持って土地を占有する団体のことを、この世界では国家と呼ぶのである。
本来、世界国家の3大構成要素といえば、以下になるだろう。
①主権
②領域
③政府
だが、この異世界ではそれにプラスして以下が加わる。
④航空威信艦
――これがこの異世界での正統性を持った国家の4大構成要素なのだ。
かつて存在した異世界連合国。その世界連合が所有した今はなき駆逐級飛空艦、奇城 茨魏魏ヶ島。そのメイン動力が「バンブー」であり、異世界連合国からバンブーを分与された国家こそが、正統性を持った国家とされるのである。
その存在が確認されているだけでも――
・エセ大日本帝国が保有する空中軽装駆逐艦「矛盾」
⇒白の塗装に船首に赤い日の丸の意匠があり、そこから赤いラインが放射状に伸びている。
⇒矛盾の名の由来は先にツモやロンすることが最大の防御とする思想からである。
・ゴーストラリア魔王国が保有する宇海棲戦艦「まぁまいと」
⇒真っ黒なボディに白色と赤色のライン意匠で構成されている。
⇒海上に着陸することもでき、水上戦も可能。水奥に棲む潜水能力も有する。
・灰殿魔王国が保有する宇宙型戦艦「ライスカーレ」
⇒灰かぶり姫という王女が住んでいた城をモチーフにしている。
⇒ただし、全体的には灰の掛かったような、くすんだネズミ―色だ。
・カクガンジー王国が保有する航空空母「ゴッドスター」
⇒星を吹き飛ばすほどのレーザーを発射可能である。
⇒完全な球体であり、わずか2mの排熱口を攻撃されると連鎖反応により丸ごと吹き飛ぶ可能性がある。
・コミーデミュタント連邦が保有する空戦魔戦艦「デミトリ・ドントコイ」
⇒燃える男の赤地に白字で怒りの意匠が施されている。
⇒機械戦力はなく、魔術師が術式で主砲を撃つ形式となっている。
・イタリアンパスタ国が保有する宇宙戦艦「ガンスリング」
⇒宇宙SFオペラにでてきそうな意匠を有する。
⇒形状は宇宙戦艦として一番まともだが配色は緑白赤のトリコロールカラー。
――があり、これらの航空艦船はその国を代表する航空威信艦として知られていた。
「コミー軍の航空威信艦はまだ出てきておらんしな。ま、どうせ旧式じゃろうが」
その国家の威信という航空威信艦という存在であるが故に、沈められれば威信の失墜に繋がるため、おいそれと戦場に出すことはさすがのコミー軍でも躊躇われたのであろう。苦戦でもしない限りは。
「しかし、エセ大日本帝国に空中軽装駆逐艦「矛盾」がある限り負けるはずがないですからね」
「ほう。そんなものがあるのじゃ?」
「だてに異世界人を取り込んだ技術立国は標榜していませんから――」
国土の大きさはともかく、技術力の差でいえば大きなへだたりがあるのは明らかである。
コミーデミュタント連邦では異世界人が持ち込んだ教育を疎い多くの一般の国民たちにはノーメディア戦略を推進していた。
片やエセ大日本帝国では異世界人たちからの制度を取り入れて義務教育などの整備が進んでいたのだ。
コミーデミュタント連邦も一部技術者は存在し、その技術力は1点集中で予算を特化したために高いものがあるが、その層の厚さ、すそ野の広さは比べるべくもない。
また、異世界転生者の中には異世界に来たことでハッちゃけた人材も多く、帝国軍内では大艦巨砲主義などを標榜するものが多い。
そのため、国有の空中軽装駆逐艦「矛盾」にロマンを求めるヒトのなんと多いことか。「矛盾」はまさに国の威信であり、主砲の神冒陽子崩壊実証砲は異世界でいろいろやっちまった帝国が誇る科学技術の結晶でもあった。
そのため国内での報道は厚く、帝国民の誇りとなっている。
――事実、エセ大日本帝国ではエセ北海道に侵略されたことを受け打倒コミーデミュタント連邦の機運が盛り上がっており、エセ北海道の帝国軍では「これで好きなことができる――」と、これ幸いとして異世界人を中心に反撃の機会を伺い始めていた。
ここで役に立ったのが、アイテムボックスによる兵站である。
経験点の配賦に関しては、結果として兵站に有利だとか、反面劣勢になったら石油ショックのときのような買いだめが発生する可能性があるとか、今もなお現在進行形でその功罪の両方の側面に渡り異世界中に大きな影響を与えているのだ。
「結局のところ、この侵攻のきっかけはワシのうまいものが食べたいというところから始まっておるのじゃろう? ワシにも多少の負い目があるのじゃ。だから多少は経営にも関わった方が――とは思わないでもないのじゃな……」
「アリスさんがそんなことを考えるなんて珍しい」
いつも美味しいものを食べて配信することくらいしかしていないのにと、スノーは思わないでもない。
「ちゃんねるのコメントにいろいろあるのじゃよ。それで、ちょっと思うところがあるのじゃ」
「――なるほど」
動画配信では自由にコメントを流す機能が存在する。
通常はアリスを褒めたたえる書き込みが多いのだが、ちゃんねるの登録者が増えるにつれ、アンチと呼ばれるニンゲンの書き込みも多くなっている。
「そういった書き込みは消すのに限るのでは?」
「そうじゃな。よし! カオルに消す処理を頼むのじゃ。ワシが消すのはココロ苦しいのじゃ……」
その後渋谷カオルから依頼され、出向してきた官僚たちが一生懸命クソコメントを消しに走るシーンを想像し、アリスは苦笑する。
「ま、コミー軍においては放置しておいても帝国が何かするじゃろ――」
だが、戦況はコミーデミュタント連邦の空戦魔戦艦「デミトリ・ドントコイ」の登場により一変してしまうのだ。