侵略的外来種――
むかしむかしあるところに24匹のウサギがおりました。
それは、某ゴーストラリア魔王国に一人のニンゲンが持ち込んだものでした。
ウサギはすくすくと育ち続け、脱走し、あれよあれよという間に国内を制していきました。
そして気づけば数年で2億匹程度の数になったとさ――
日本でいえばワカメが有名だろうか。
日本の貨物船からのバラスト水によりワカメの種子が持ち込まれたマリンブルーの美しいサンゴの綺麗な海が、数年後には見る影もないミドリのワカメ海になっていたりする。
たとえば、家畜の飼料や土壌流出防止のための植物として海を渡った葛は大地をミドリの海へと変えた。面白半分で放流したブラックバスやライギョは今や在来種を駆逐するに至っている。
その名はずばり「侵略的外来種」
その侵略的外来種の名を、スライムがいままさに欲しいままにしようとしていた――、かもしれない。
「ほんにのぉ。これはどう見てもスライムじゃねぇと思うんだけれども」
癖のつよい方言を使うこの男は、長年の農家家業により自力で《農業》スキルを手に入れており、飼育について一家言ある人物であった。
そんな彼に渡された1匹の水生動物――、これを養殖して欲しいという依頼を受けて育てているのだが、さっぱり分からない。
彼の見立てではどうみてもクラゲなのだ。
そんなものをスライムと言い張ってどうするというのだろうか?
「まぁいいか。うちとしては金さえもらえればのぉ」
某所からテロのどさくさにまぎれて盗み出したスライムの育成という犯罪に片棒を担がされた彼であったが、そもそも偽物だったという事実によって事が大きくなることはなかった――
◆ ◆ ◆
「で――、破壊工作ついでにドロボーされた水生動物というのが――、ただのクラゲであるということか」
「テロよりも、窃盗が目的だったかも知れませんね」
渋谷カオルとベテラン刑事は、秘密結社セヤロカーの事故後の現場検証にきていた。
ベテラン刑事は現場の指揮、渋谷カオルはその立ち合いだ。
特に手ひどくやられたのが、スライムプールを模したただのプールだ。その本社は見るも無残に壊れている。保険でなんとかなるが、来月以降の保険料は高くなりそうで頭痛のタネでもあった。
「まぁ盗まれていったのはダミー用の越前ですが」
「越前なのか?」
越前クラゲとは、世界最大級のクラゲであり、傘の大きさが2メートル、重さが200キロを越えるものも存在している。この異世界の似たような生き物だから本当に越前かどうかは分からないが。
もちろん倒しても経験点が得られるモンスターではなく、ただの生き物である。
要はこういった事件に対応するためのダミーであり、囮であったのだ。
――といった用意周到な計略ではなく、まずはスライムプールという生け簀がちゃんと機能するか確認するための試験として似たような生物を放り込んでいただけなのであった。ダンジョンでの育成と異なり環境が違うのだ。そのためにOEMのポンプも入れたり調整が必要だが、それに希少なスライムを使うわけにはいかないという事情もある。
ニンゲンに新しい薬剤を投与する前には必ずマウスで治験するのと同じだ。ニンゲンが貴重であるように、経験点が得られるスライムは今や貴重なのである。
「マーカーとかは付けられなかったのか?」
「さすがにそこまでは――」
警察には、すでに何例か別の場所で農家関連のヒトを集めてスライム研究をしている怪しい企業や組織の情報がいくつか入っていた。しかし踏み込んだとしてそれはただのクラゲの飼育であり、マーカのような物的証拠がないと検挙も難しい、というのが現状の問題点である。しかも今はスライムが話題沸騰のモンスターだ。「クラゲを改造してスライムを作ろうと実験しています」と、堂々と言われてしまえばそれ以上追及のしようがない。
せいぜいは公安の監視対象にするくらいか。
今のところ国外に流出したという情報はないが、もしかしたら既に出て行っているかもしれない――。越前だが。
「対価を払えばスライム程度お渡しするのですが、こう強硬手段に出られるとなると、ねぇ」
「さすがに簡単には世に出せないと」
「えぇ――。地下が本命と知っているヒトはほんの一部だと思いますよ」
だが、地下には電気配線等で業者が入っている。
そのあたりを含め調べればバレるのは時間の問題だろう。
警戒を強める必要があるが、逆に今回の襲撃によって関係各所に話が通しやすくなったことも確かだ。
「今後の地表での製造は越前の養殖とかにしようかしら」
「同じ越前ならカニの方が良いなぁ」
「ははは――」
「それで? 警備関連の強化はどうなっている? 警察だけではどうにもならんだろ」
「結局、警備員派遣の増員対応を考えています。傭兵も考えましたが、アレは外国人も混ざるので――」
「そんなので大丈夫か?」
「インセンティブとして、3年間警備として働いてくれたら給料の他に福利厚生としてEXPアッパーを一つ提供することで対応します」
「それならがむしゃらに働いてくれそうだが――、3年に区切った理由は?」
「どのみち3年以上働かせるわけにはいきません。派遣法の3年ルールがありますから」
「――。なるほど」
有期雇用派遣社員は原則、派遣された先の同じ部署で3年以上働くと、正社員や契約社員、無期雇用派遣社員などに雇用形態を切り替えないといけなくなる。機密の多い企業のためカオルはそれを嫌ったのだろう。
「この際だから警察関係者には優先的に配賦するとかした方が良いのですかね? こんな破壊工作をする自称平等主義者の言いなりになど、なるものですか」
「それはいいな――。経験点を貰った時点でみんな辞めそうなのが欠点だが」
「元職の所長には本物を既に送りましたから、そちらの方が量産は早いと思っていますがね。こちらで優先しなくとも官公庁系は先にEXPアッパーが展開されるはずです」
「元職の所長? あぁ、あのマッドか……。あいつなら確かにやってくれそうだな。いろんな意味で」
「研究所時代は手を焼かされたものだ。本当に――」
「いろんな意味で辞めそうな人が増えそうだなぁ」
ベテラン刑事はぼやく。
「辞めた後の就職先として若干名なら雇うわよ。官公庁系なら安心だ」
「変なのは雇えないのはどこでも同じか」
「なんなら貴方でも――」
「それは光栄だが、仕事内容によるな。単にふんぞり返ってれば良いという訳ではあるまい?」
「貴方であれば入社してすぐに"工場長"の地位を約束しましょう。毎日毎日、プールに飛び込んでは喘ぐという崇高な仕事ですね。ちなみにそのプールは少々特殊で、着ている服が溶けるとか、《もちもちの美肌》なんてスキルも付いたりするかもしれない――」
「そりゃぁ遠慮しておこう。そういう崇高な仕事はうら若いご令嬢と相場が決まっている」
そうこうしているうちに、現場検証は進んでいく。
とはいえ中々進むものではない。"身体検査"をパスした人員は少なく、さらに手を動かせる鑑定職員の大半はとある別の仕事に駆り出されているのだ。
渋谷カオルはその別の仕事――スライムの量産に思いを馳せるかのように心境を吐露した。
「あぁ。もっと楽に経験点が配れれば良いのだが。どうしてこんなに面倒なのだろう――」
「本来はモンスターを倒して経験点を得るのを、科学的に無理な方法で抽出しようとしているのだから、なかなか難しいのは分かるよ」
「現場検証、ポンプ等の機材の入れなおし、スライムプールというトラップの再配置、各種検査の実施、秘匿しながらの地下設備の工事――考えただけでも胃がもたれていくが――、いま一番のボトルネックは《錬金術》Lv,5 、要は総合レベル7のニンゲンの確保だな」
「それだ。経験点はいくつ必要なのだ?」
「レベル3で合計10、レベル4で合計100、レベル5で合計1000だな。ここから6以降は――分かるだろ?」
「ははは。無理だろそれ――」
◆ ◆ ◆
悪の秘密結社セヤロカーに対抗するために作られた、正義の市民団体”シランガナ”。
その中でも優秀な能力を保有する東側の構成員は、今や10分の1になっていた。
ほぼ壊滅状態だ。襲撃により手ひどい反撃を受けたのである。
本来であればもっと破壊の規模を大きくし、渋谷カオルの殺害まで狙っていたのに。マスコミを巻き込んで彼らが見守る中で全てが爆死すれば、さぞやきれいな花火が世界に発信されたことだろう。
だがそれをすることはできなかった。
セヤロカーの本社に襲撃したとき、彼らは何者かの奇襲を受けたのだ。
いや、原因は分かっている。
それは、白い虎の――モンスターであった。
あの屏風にいるハズの虎が屏風から抜け出していたのだ。
あれはあのキーワードをいわない限り屏風から出てこないはずだったのに。
「夜な夜な抜け出して悪い事ばかりするので、ほとほと困っているといる」というフレーバテキストを有する白虎は、いままで動くことはなかったのに、なぜに動いたのか。確かに人を食い殺すなんて悪い事ばかりだろうが。時刻は夜な夜なではない。男にはなぜ今になって、という思いがしてならない。
「ちくしょう! あれだけ犠牲を払ったのに、あれがただのクラゲだと! あいつら騙しやがって!」
構成員の男はせっかく取得したスライムがただのクラゲであったことをついに知り、薄暗い事務所の中で怒りの声を上げる。気づいたのは育成している農家からの指摘だ。
「立派なクラゲができました」農家の言葉に何かの冗談ではないかと思った。
だが、農家はそれが何なのか知らないのだ。
スライムを間違えてクラゲと思っているのだろう。
だが、経験点が得られないことを「クラゲなのだから当然だろう?」と鼻で笑う農家を見て、それが本当のことだと悟る。怒りに任せてTELを切るのは悪い事なのだろうか?
あの場所で、黒い迷彩服で侵入したとある一人は頭から丸齧りにされて一撃で死んだ。
ある構成員はその爪によって真っ二つに引き裂かれ、やはり丸のみにされた。まるでそれは、死体がなければ殺人罪には取られないと思っているかのような食いっぷりだ。
スライムをバケツに入れ、逃げおおせることができた唯一の構成員は、しかし右腕を食われて失っている。食べられた腕は白虎の腹の中だ。
しかもその怪我を『治癒』することはできないのだ。《神聖魔法》を使える人材は、すべて国家治癒術師として登録されており、もしもその怪我を国家治癒術師に見せたのであれば、その犯行が一瞬でバレてしまうだろう。その右手を失った理由をどう答えれば良いというのだ。右手を《治癒》で復活させるのは、もはや本国の連邦に帰るまでは無理だろう。だが、スライムを得ることができず、ただのクラゲだと分かった今ではそれも――
あれだけの犠牲を払って得た利益は、ほぼ無いに等しかった。
しかし、なぜか白虎の身体は白いままで血にまったく濡れていなかったのはなぜだろう?
血痕すらあの場所には落ちていなかった。
「にゃーん」
急に、猫のような声が聞こえた。
静まり返った市民団体の事務所に、その声はよく響いた。
静かなその原因――、下の階には構成員が何人もいたはずなのに、一切の気配がない。
片腕の構成員は気になって入り口の扉を開ける。
そこには、なぜかそのモンスターである白虎が、身体の3倍以上の口を大きく開けていて――
――その屏風は魔王ラララが村人Bに渡したものなのだ。村人Bを殺すだなんてとんでもない。村人Bをガードし、その利害を守るために用意されたものである。どうしてその目的に構成員たちは気づかなかったのだろう? 今後も正義の市民団体”シランガナ”がその事実に気づくことは、ない。