希望の光
橋の上、日向にいわれた通り僕は待つ。
今日は夕方から雨が降る。
青空も少しずつ見えなくなっていくな。
そんな風に思いながら、空を見上げていた。
と、いきなり後ろから肩をたたかれた。
声をあげる程ではなかったが、驚いたのは確かだ。
振り向くと、そこにはクスクスと笑う日向がいた。
「ごめんなさい、おどろかせちゃったかな?待たせてしまったかしら」
「…いや、平気だよ」
僕も笑みを返す。
「今日は少し残念ね」
「え?」
「天気予報では一日晴れのはずなのに、雲が出てきてるじゃない?」
「あぁ、今日は夕方から雨だからね」
そういってから、僕は一人焦っていた。
ここにいる日向は、七年前の僕を知らない。
僕が人間じゃないことも知らないのに。
「あなた、天気がわかるの?」
「あー、えっと、何となく…」
確実に目が泳いでしまう。
絶対変に思われた。
僕がそう思っていると、日向が笑った。
「これで本当に雨が降ったらすごいね」
そういって空を見上げる日向に少しだけ昔を思い出す。
あの頃はもう少し幼い笑い方だったかな。
僕があの頃より成長したように、日向だって成長してる。
それでも同じくらいだった身長は、今では僕の方が全然高い。
変わったのは日向だけじゃなかったんだ。
時に身を置く全てのモノが、一瞬一瞬を過ごしていく。
変わらないのは、きっとこの空だけ。
青空は必ず、たとえ地上から見えなくとも、雲の上にあるのだから。
それはどんな時だって変わったりしない。
「大丈夫?」
「…ん?」
「深く考え込んで…。あ、もしや、私傷付けてしまった?!ごめんなさい!」
慌てて頭を下げる日向に、僕は笑った。
違うよと、日向の頭を撫でる。
僕の中では、もう伝えることのできない愛しさが込み上げていた。
「違うんだ。僕の悪い癖なんだ。日向が気にすることじゃない」
「本当に平気?私に気をつかったりしてない?」
「うん、平気だよ。僕の方こそ、変に気に病ませてごめんね」
顔を上げた日向は安心したように微笑んだ。
「私ね、青空が大好きなの。青空って永遠に存在するものだから。雲の上には必ず青空がある……。青空はどこまでも続いてる」
雲のさらに上にある空を日向は見上げていった。
「あなたの髪と瞳も空色ね。とても綺麗…」
日向の言葉に、僕はふと初めて出会った時のことを思い出してしまった。
あの時も日向はいってくれた。
僕の色が綺麗だと。
僕の正体を知ってなお、気味悪がらず、ずっと一緒いてくれた。
そんな君に僕はずっと憧れていたんだ。
なにより綺麗なのは日向の心だから。
「やっぱり、日向はあの頃と変わってないのかもしれないね」
「え?」
「何でもない」
僕は笑う。
今となっては僕だけの思い出になってしまっているけど、それでも僕は大切にしたい。
日向の中に僕がいなくても、せめて僕の中には思い出として残ってほしいから。
不思議そうに僕を見る日向に僕は微笑む。
「晴君」
「呼び捨てで構わないのに」
「呼び捨てなんて、できないよ。だから…」
「昔のように呼び捨てで……いや、うん。日向の好きなように呼んでくれればいいんだ」
もう、やめよう。
あの頃はとか、昔はとか、比べるのはもうやめよう。
僕は今ここにいるのだから。
どういう形にせよ、日向と再会出来てまたこうして話しているのだから。
過去に囚われていてはダメだ。
今を大切にしなければ。
日向の幸せを願うのならなおさら。
「晴君、大丈夫?また深く考えていたけど…」
「うん、平気」
「晴君はどこの高校に通ってるの?」
思いもよらない質問に僕は戸惑った。
日向の世界では高校二年にあたる年。
僕はどこか抜けているんだ。
「あ、えっと…。昨日引っ越してきたばかりで、その、高校はまだ……」
「この近くに住んでるの?」
「うん、日向の住んでるあの住宅街の中の一軒」
「私の家を知ってるってことは、そうとう仲良かったのね。それなのに、ごめんなさい。一つも思い出せないなんて…」
日向の表情が曇る。
僕は日向のそんな顔は見たくない。
ただ笑っていてほしい。
「…いいんだ、そんなこと。それよりも、聴かせて?日向のオカリナ。」
「…うん!」
日向の顔に明るさが戻る。
僕が見ていたいのはそっちだよ。
そして、日向はオカリナを吹いてくれた。
優しくて、どこか儚いその音色は日向そのもの。
一曲が終わり、日向が僕を見た。
少し恥ずかしそうに笑っていた。
「どう…かな…」
「うん、すごく優しい。日向の音色、本当に好きだよ。何だか、温かい。まるで日溜まりみたいに」
日向のオカリナを聴いて、僕は少しだけ優しくなれた気がした。
その優しさを笑顔にのせて日向に返す。
「あ、ありがとう、晴君。晴君は何か楽器できる?」
「楽器…か…。小さい頃、色々やらされたけど、好きだったのはピアノくらいかな」
僕がそういうと日向は少し考えて何かを思い付いたように頷いた。
「今も弾ける?」
「え?あ、うん。“この世界”では一人暮しだからピアノは持ってきてないけど」
「“この世界”?」
「…あ…」
またやった。
日向は知らないのだから、もっと気をつけなくてはいけないのに。
「あ、他の国から来たってことかな?ご家族と一緒に暮らしてないの?さみしくない?」
日向からそんなことを聞かれるなんて思ってもみなかった。
あの頃寂しさを感じていたのは日向だったのに。
幼い頃からずっと今も両親て離れて暮らしているのに。
そうか、日向は自分と僕を重ねて、僕の気持ちを察してくれているんだ。
「僕は大丈夫。それよりも僕は日向の方が心配だよ。大切な人がいるのに、瞳が寂しいといっててるんだ。どうして…」
僕は聞いてから悔いた。
日向にとってこの質問は苦痛だったのかもしれない。
そう思って、すぐに謝ろうとした。
すると日向が複雑な笑みを浮かべていった。
「どうしてだろうね。私にもわからない。この気持ちが寂しさなのかも…。両親とは幼い頃から離れて暮らしていたし、三枝さんがいてくれるから、寂しくないの。あるとしたら…」
日向はいいかけてやめた。
そして僕を見て笑った。
「話そらしてしまってごめんね。私の家にピアノがあるから、よかったら来る?私はピアノあまり得意ではなかったから、あまり弾いてないの。誰かに弾いてもらえなきゃ可哀想だし。それに、あなたのピアノ聴いてみたい」
「……それじゃあ、そのうち…」
「本当に?!嬉しい!楽しみにしてるね!」
日向が笑ってくれた。
「そろそろ雨が……いや、送っていくよ、日向」
危うくまた口走るところだった。
“そろそろ雨が降ってくる”なんて人間にはわからない。
僕だからこそわかるんだ。
「本当に雨が降りそう。晴君のいう通りだね。もう青空は見えない」
残念そうに日向は空を見上げる。
「雲の上には必ず青空があるよ」
「…うん、そうね。……晴君」
「ん?」
「ごめんね…。それから、ありがとう。今はまだ話せないけれど、いつか…いつか必ず全てを話せる時が来るから…。私が、会って間もないあなたを、心から信じているってことは、きっとあなたの存在がとても大きかったからだと思うの…。だから……」
日向がいう。
日向がいおうとしていることの全てをわかったわけじゃない。
でも、日向は僕のことを全て忘れてしまったわけでもないんだ。
それは少なからず、僕にとっての希望の光になる。
「いいんだ、日向。僕は君が話してくれるまで、何も聞かない。“いつか”は必ず来るから、それまで僕は待ってるよ。でも、日向の弱音や辛いことは話してほしい。僕は少しでも君の力になりたいから。だから、ね?」
僕がそういって笑うと、日向は小さく「うん」と頷いた。
それから僕と日向は並んで歩き出したんだ。