君と過ぎた日
「日向、もう大分暗くなってきたし、家族が心配してるんじゃない?」
一番星が雲の隙間から、申し訳なさそうに光をはなっていた。
「家族は…ね、パパもママもお仕事でいないの。家で待ってるのは、小さい頃からお世話してくれてる、三枝さんだけだから」
「三枝さん?」
「私が3歳か4歳か、もうその時にはパパ達外国に行っていたから、三枝さんが代わりにいてくれたの。まるで本当のお兄ちゃんみたい」
クスクス笑っていう日向だけど、親と離ればなれだなんて。
しかも今よりももっと幼い頃から…。
「…寂しくはないの?」
「…たまに寂しいなって思うよ。でも、そんな時はいつも三枝さんが傍にいてくれたから」
「…そっか」
それから、日向はその三枝さんのことを教えてくれた。
日向の父親の親友の一人息子さんで、ご両親とは彼が高校生の頃に死別されたらしい。
そこで日向の父親が彼を引き取り、今は日向のお世話役として働いているのだという。
まだ二十代前半らしいが、日向曰く、見た目はもっと若いって。
と、話しているうちに空は完全に雲に覆われてしまった。
「さて、話はまた明日」
「明日?」
「今度は僕から会いに行くよ。だから今日は帰ろう。送っていくよ」
僕がそういうと日向は嬉しそうに笑ってくれた。
そして初めて人間の女の子、日向と肩を並べて歩く。
さすがに髪の色は目立つから、神術で茶色に変えた。
そんなこともできるんだと日向が感心する。
公園を出て大きな通りをそのまま少し歩いて、歩道橋を渡った。
その先には回りの建物とはまるで造りの違う、どこか海外を思わせる綺麗な坂と階段が見え、それに合わせた家々が建ち並ぶ一画があった。
夕焼けが似合いそうな、そんな街並み。
そこへ日向は入っていった。
細い路地のようなゆるい階段が続く。
僕がキョロキョロと辺りを見回していると横で日向が笑った。
「素敵な街でしょ?坂と階段の街。私ここが大好きなの。所々小さなお店があって、可愛いお店ばかりなの街中が入り組んでいるから、初めて入る人は迷っちゃうけど、住んでると歩くのが楽しくなるんだ」
ある程度のぼった所で、急に日向は足を止め、今上ってきた道に向き直った。
「この辺かな?」
「どうしたの?」
「ほら、見て」
日向にいわれて振り向くと、眼下に街のネオンが広がっていた。
いつの間にかずいぶん高い所まで上ってきたみたいだ。
「これも楽しみの一つ。今日は星が見えないけど、いつもはもっと綺麗なの。私はここからの夕焼け空も好きだけど」
夕焼け。
日向と同じことを思っていたんだ。
「そうなんだ?見てみたいなぁ、僕も。明日は雨だから、雲も多いんだ」
「え?予報では晴れのはずだったのに。晴には天気がわかるの?」
「うん」
「そっか、“晴れの神様”だもんね」
「今は父様だよ」
「でもいずれは晴がなるんでしょ?」
本当に僕でいいのかな。もし僕が後を継いだとしたら、晴太はどうなるんだろう。
晴太が無事ならそれでいい。
僕がなるより、晴太が継いだ方が晴太のためになるなら、僕は喜んでサポートに回る。
僕の力で晴太を助けられるなら、僕は……。
「晴…?」
「え…?」
「どうしたの?何か心配事でもあるの?」
つい自分のことに深くなりすぎた。
「…大丈夫。何でもないよ」
僕は必死に笑顔を作った…つもりだったのだが、どうにも作りそこなったようだ。
日向が心配顔で僕を見ている。
「明日、もし話してもらえるなら…ね?」
そういってくれる日向が、本当に嬉しくて。
僕は今度こそ、本当に笑った。
すると、日向が一件の家の前でとまった。
「…ここが、私の家。……晴、私…」
「大丈夫だよ、日向。それじゃあ、明日会いにくるから」
そういって微笑むと、僕は空へ舞い上がった。
「…晴!」
「…ありがとう、日向」
僕は少しずつ姿を消した。
もちろん日向が家の中へ入るまで、静かに見守る。
日向から僕は見えない。
けれど、日向は僕が姿を消した空間を見つめていた。
その時、僕は気付いてしまった。
光る雫。
日向の目に雫が見えた。
あれは…涙だ。
日向がその涙を拭って家の中へ入っていく。
僕にはその涙が何を意味しているのか、今この時はわからなかったんだ。
そう、あの時は本当にわからなかったんだ。
日向の涙の意味も日向の気持ちも…。
あの頃は、聞くことができなかった。
たった一年の間に僕らは心から打ち解けた。
些細なことで喧嘩したことも、僕のあげたオカリナをたくさん吹いてくれたことも、僕にとっては全てが宝物だ。
そして、一年はあっという間だった。
僕が修業としてこの地に降り立ってから、日向と出会い、そして…別れが来た。
あの時のことは絶対に忘れはしない。
僕らが交わした最後の約束だから……――。