はじめまして
当時十歳の僕が降り立ったのはとある公園の中にある大きな橋の上だった。
この日は僕が初めて人間の世界に降りたということで父様が雲ひとつない晴天にしてくれた。
それから父様の言葉がやかましいくらい頭の中で鳴り響いている。
『一年の間だけだが、できるだけ多くの人間に接して人間にとっての幸せについて学んでくるんだ。神になるためにな……』
フワリと地面に足をつけた。
空気をいっぱいに吸い込んで橋の上から空を見上げた。
そこからは周りを木々に覆われて真中に大きく空が開けている。
夕日や虹がきっと奇麗に映るだろう。
とても静かで居心地がいい。
ドサッ。
『…ドサッ?……しまった』
後方から聴こえた音に振り返れば一人の少女が倒れていた。
『忘れてた。周りに気を配らなきゃいけないこと。僕は人間じゃないんだから』
その場から逃げることもできたし、ここ数分の記憶を消すことも簡単だった。
でも僕はその両方とも嫌だった。
なんだか都合よすぎるから、そういうのって。
とにかくその少女を抱き起した。
…気を失っている。
よくみれば僕とあまり変わらない年齢かな。
僕の腕の中にすっぽり収まった少女からはやさしい香りがする。
もちろん本当に香りがあるわけではなくて、何となくそう感じた。
まるで日向のような雰囲気。
その少女はしばらくしてゆっくり目を開けた。
「………ん?」
「あ、よかった。大丈夫?」
「……あ!すいません!……あなた、いったい…」
少女はゆっくりと僕から離れていった。
いいわけするのは…いまさら無理だ。
僕はためらいながらも決意した。
きっと彼女なら信じてくれる。
人間だなんていっても、それこそ信じてなんてもらえないだろうし。
いきなり空から舞い降りた人間に似た者がいればそれは誰だって驚く。
普通の反応だ。
「あー…、なんか信じられないと思うけど…っていうか信じろっていう方が難しいんだけど。…僕は…神の息子なんだ……」
ごまかすように僕は笑って見せた。
これで彼女が逃げてくれたらよかったのに…。
彼女が僕の手を握るものだから、逆に僕は驚いた。
「いや、あの…」
「神様…絶対にいると思ってた。神様って実体があるんだ…。お化けとかそんな感じかと……あ!ごめんなさい!私ついうかれて神様にこんなため口で……」
少し恥ずかしそうに頬を赤くして僕の手を離した。
僕の手の中にはまだ彼女の温もりがあった。
「いいんだよ、ため口で。僕はまだ神様じゃないんだから。今は父様が『晴れの神』なんだから」
僕はクスクスと笑ってしまった。
「だから髪と瞳が空色なのね。とても綺麗……。あ、ごめんなさい!」
再び謝って今度は先ほどよりも赤みを増した頬を隠すように頭をさげた。
そんな彼女の姿がとてもかわいく見えた。
「じゃあ、改めて。はじめまして、僕は晴っていいます。もしよければ教えてくれるかな、君の名前」
「…もしかして晴れって書くの?」
「うん、そう」
「春日井日向っていうの、私。名前なんだか似てるね」
そういって彼女、日向は初めて笑った。
優しい日向のよう暖かい笑顔で。
僕にはそれが嬉しくて、初めて出会った人間が日向で本当によかった。
「…運命だったのかもしれないね」
そう僕も笑い返した。
「……!」
日向は顔を赤くする。
「恥ずかしがり屋なんだね、春日井さん」
「や、そういうわけじゃないよ!晴君がそんな『運命』とか……言うから…。私のことは日向でいいのに…」
「僕も晴でいいよ、日向。信じてくれてありがとう。……そろそろ行くね」
さっそく僕は人間の世界を見て回らなきゃいけない。
せっかく出会えて、本当はもっと話したかったけど、やるべきこともあるから。
「…また…会える?」
歩き出そうとした僕に日向がいう。
少しだけ恥ずかしそうにして僕を見ていた。
「うん」
僕もなぜだか少しだけ顔が熱をもった。
「会いたいときに会えるよ。僕は当分の間はこの世界で暮らすから。会いたくなったらこれを鳴らして」
僕はパチンと指を鳴らした。
淡い光が現れて、一線を残しすぐに消えていく。
「…オカリナ…?」
「そう。この笛の音は僕がどこにいても必ず届くから。僕も会いたいときには会いにくるよ」
この時点で本当はいけなかったんだ。
神術のかかったオカリナは少なからず日向に力を与えてしまった。
でも、日向は本当に嬉しそうに笑ってくれて、そんな彼女の笑顔を見たら、掟だとかそんなことは頭の中から消えてしまった。
もともと入っていなかったといった方が正しいけど。
日向の笑顔が僕にとって大切なものだった。
それだけは真実なんだ。
「それじゃ、またね。日向…」
僕はトンッと地面を蹴って、フワリと宙へ浮いた。
「……絶対会いに来てね、晴…!」
「…うん、絶対」
それから僕らは互いに微笑み手を振った。
僕は空高いところまで飛び、この世界を改めて見渡す。
どこまでも空は続く。
日向とサヨナラして、なぜか僕はさみしくなった。
でも、僕にもやらなくてはいけないことがある。
それに、きっとこの気持ちは初めての人間だったから。
僕は僕自身に言い聞かせた。