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ショートショートの小宇宙

因果

作者: 駿平堂

 エヌ氏は誰から見ても正義感が強く、他人のためならどんなことでも惜しみなく行動できる人物だった。周囲の人はみなエヌ氏をたたえ、自分の子どもにエヌ氏のようになるようによく諭した。

 

 しかしエヌ氏も生まれながらにそのような徳を持っていたわけではない。そこにはきっかけとなるある出来事があった。

 

 それはまだエヌ氏が学生だった頃、小さな子どもが川で溺れているところに偶然差し掛かった時だった。その時エヌ氏はパニックになってしまい、通報もせずに自分も川に飛び込んでしまった。その結果、その子どもを救助するどころか自分だけ救助してもらい、子どもは溺死してしまったのだ。

 

 当時のエヌ氏は激しく自分を責めて後悔した。周囲の人からは、あなたのせいではない、という言葉をたくさんかけられたが、エヌ氏はそれを素直に受け入れることができなかった。

 

 そんな自分の中の無念と向き合い、どうするべきか考えた結果たどり着いた結論が、善行をたくさん行うということだった。道案内や、倒れている自転車を直すなど些細なことだけでなく、災害派遣のボランティアや、一度だけ川に溺れた子どもを助けたこともあった。無論それで過去の過ちの償いになるとは思っていなかったが、少しだけ救われた気がしたのも事実だった。

 

 そんなエヌ氏も死んだ。何か事故にあったり病気をしたりしたわけではなく、老衰で天寿を全うした。篤志家だったエヌ氏の葬儀には大勢の人が集まり惜しみなく涙を流した。参列した人はみな、エヌ氏が天国に行けることを信じてやまなかった。


 さて、そうして死んだエヌ氏は今、閻魔様の前に立っていた。閻魔様の裁定によって天国に行けるか地獄に落ちるかが決まるのだ。

 

 エヌ氏もまさか本当に閻魔様なんて存在がいるなどとは思ってもみなかったが、よもや自分が地獄行きということはあるまい、とそれほど緊張はしていなかった。


「次はお前だな。少し待っておれ」


 そう言って閻魔様が右手の平を上に向けると、そこにボーリング玉くらいの大きさの透明な水晶が現れた。そして、その水晶越しにエヌ氏を見つめ、なにやらぶつぶつ呟いている。どうやらエヌ氏の人生をその水晶越しに見ているようだった。しかしそれも束の間のことで、何やら大きく閻魔様が頷くと水晶はいきなり消えた。そして閻魔様はこう切り出した。


「ふーむ。お前は先の人生で、善行をたくさん行ったようだな。感心感心」


「ええ、できるだけ世のため、人のために、善行を重ねたつもりです」


「そうかそうか。それはけっこう。ただ、一点気になるところもあるな」


 そう言われると、エヌ氏に思い当たることは一つしかなかった。


「それはもしかして、溺れた子どもを助けられなかったことですか?」


「うむ? いや、違うぞ」


 これにはエヌ氏もびっくりだった。エヌ氏は自分の人生の中で、人に責められる行動なんてその一件しか思い浮かばなかったし、事実そうだった。


「一体どういうことですか? 僕のせいであの子は死んでしまったも同然じゃないですか」


「それはその通りなのだがな。問題はその子の将来性なのだ」


「将来性?」


「ああ。つまり、もしその子が生きておったら、何人もの人を殺す殺人鬼になっていた可能性が高いのだ。だからその件は悪行として捉えてはおらん」


 どうやら偉大なる閻魔様は、その時その時の結果だけでなく、その時の行動が将来に及ぼした影響まで含めて善行か悪行か判断しているようだった。


「そんな。そんなのわかりっこないじゃないですか」


「うむ。人の世はだから難しいのだ」


「それじゃあ一体、私がどんな悪行をしたって言うんですか」


「それはこういわけだ」


 そう言うと閻魔様は右手を前に出し、再度水晶を出現させた。今回はそこの中に何かが映し出されていた。どうやらそれは新聞紙のようだった。


「それは一体?」


「まあ待っておれ。えーと、どこらへんだ」


 閻魔様がそう言うと、水晶の中の新聞はパラパラとめくられて、拡大したり縮小したりしながら、どこか特定の記事を探しているようだった。


「お、ここだここだ」


 どうやらお目当ての記事にたどり着いたようで、その部分がエヌ氏から見ても読めるくらいの大きさになるまで拡大された。それはとある殺人事件についてのものだったが、エヌ氏にはそんな事件に関わった覚えは無かった。


「こんな事件、私は知りませんよ」


「お前自身はそうかも知れないな。しかしさっきも言っただろう。お前の行動は、その因果も含めて量るのだ。容疑者の名前のところを見てみろ」


 閻魔様に言われるがままに容疑者の名前を見たエヌ氏は戦慄した。その名前は生前エヌ氏が溺れているところを助けることができた、ただ一人の子どもの名前だったのだから。


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