匂い袋
私の一番幼少の頃の記憶というと、どれが最初かもはや定かではないのだが、その中の一つに坂道を栗の実が転がってくるという記憶がある。
私はその一つを手で拾い上げようとしたのだが、栗の毬が刺さってひどく痛い思いをしたのである。
それは火事で焼失する以前の、昔の母方の祖父の家へ向かう途中の坂道でのことだった。
私はそのかつてあった昔の祖父宅を今でも朧げながら記憶している。
横に栗の木がなっている坂道を登るとやがて二匹の、白と黒の雑種犬が出迎え(私はそれがはじめ恐かった)、その坂の上に祖父の家があったのである。
庭付きの二階建の赤い屋根をした簡素な民家で、私はその二階で母と寝起きを共にしていたように思う。
私がそこで一番はっきりと記憶しているのは、先ほどの二匹の犬に餌(それは夕食の残飯だった)をやっている祖母の姿と、それを受け取るやいなや必死に食べ始める二匹の犬の姿、それから二階の部屋で叔母にらくがき帳に絵を描いてもらった記憶である。
特に叔母に絵を描いてもらった記憶は鮮明で、ソフトクリームの絵や、絵描き歌でコックさんの描き方を教えてもらったのをよく記憶している。
私はその時間が楽しく、繰り返し何度も何度も同じ絵を描いたのだった。
その昔の祖父宅はM県の田舎にあったのだが、私が幼稚園に上がる前に焼失した。
詳しいことは分からないのだが原因不明の出火であったらしい。
家族が誰もいない留守中の出火であり、それによる死傷者が出なかったのが本当に幸いであった。
ただしこの火事で二匹の犬はかわいそうに焼け死んでしまった。
その当時私と父母は東京で暮しており、私は当然このあたりの事情はまったく分からず、呑気に幼稚園へ通っていたように思う。
そういうわけでこれから語る多くのことは、後から母や叔母たちから聞いた話に基づくものである。
出火の前日、当時まだ女学生だった叔母が学校から帰宅すると、家には誰もいないように思った。
ところが二階の自分の部屋にあがったとたん、部屋に見たことのない男がいたという。
そのあまりの事に悲鳴をあげて叔母は逃げ出したが、走って近くの山で作業していた祖父と祖母にそのことを伝えると、三人は急いでトラックで家へ戻ったという。
家へ着き、三人で恐る恐る調べてみたが、もうそのときには男の姿はなかった。
幸い金目のものは何も取られていないようであった。
だが叔母は、実は男を見たその一瞬のあいだに悲鳴を上げるのと同時に男の目的を悟っていた。
というのも叔母が見たとき男はそれが干してあった窓際から叔母の下着を奪っている最中であったからである。
実際干してあった下着の何枚かが失われ、さらには箪笥が不自然に開け閉めされたようなあとが確認された。
その他に部屋の異常はこれといってなかった。
そのことを祖父母に伝えると、当然ながらすぐに警察へ通報したという。
もちろん鍵をかけていなかったこちらにも否はあったのだろうが、当時のM県の田舎の方はまわりは山と田んぼばかりであり、家を空け放しておいても特に何も問題などなかったのである。
警察の者も田舎のことなので祖父母の知り合いのようなものであったし、なんとなく警戒するというような話ですぐに帰って行ったらしい。
その翌日のことなのである。家が全焼したのは。
私も詳細は聞いていないのだが、一家や警察は随分その男を疑って捜索したという。
山と田んぼばかりの田舎でこんな不審なことが続けて起こればそれも当然である。
特に唯一それを目撃した叔母はその男の特徴を詳しく尋ねられた。
だがそのとき叔母はあまりのことに男の特徴はほとんど覚えていなかったという。
どこにでもいるような中肉中背のいたって普通の男だった。
年齢は20代後半から30代くらい。服装もズボンにシャツだかなんだかそんなようなものだった。
ただ一つ印象に残ったのはいままでに嗅いだことのない、線香のような妙な匂いがそのとき部屋から漂っていたことだった。
その後の捜索も空しく結局男の正体は分からず、一家はそこから少し離れたところに新しく家を建てた。
そんな気味の悪い場所は去った方がよいと思われるかもしれないが、所有している山や田んぼの事情もあり、その土地を離れるわけにはいかなかったのである。
今はもう祖父は他界してしまったが、それは今も現存する私の祖母宅である。
私が小学校に上った頃だったろうか。
私は夏休みになると父母とともにそのM県の新しく建ったばかりの祖父宅を訪れた。
それは瓦屋根の以前よりも立派な二階建ての屋敷であった。
祖父は山仕事の他に屋敷の一部の離れを解放して小さな精米所を営んでいた。
周りはやはり田んぼばかりであったが、家の前は県道に面しており、そう走る車が多いわけでもないが、くれぐれも道路に出ないようにと幼い私は注意を受けていた。
そのとき屋敷には他に妹や従姉弟などもいたがその日私は暇をもてあまし、庭から少し離れた道路脇で一人斑猫を追いかけたりして遊んでいた。
そのうち見慣れない一台の車が県道を走ってきて、屋敷から少し離れた田んぼ脇に停まった。
そしてその車から見知らぬ男が出てきた。
男は私に近づいてくるとこう話しかけてきた。
「K叔母さんいる?」
私は普段から見知らぬ者と口をきくなと言われていたこともあったが、そのときはとっさに「わかんない」と答えた。
するとなおも男は、「K叔母さんだよ。ここOさん家だよね?」と尋ねた。
私は何か奇妙に思って、家へ戻ろうとした。
すると男は「ちょっと待って」と言ってズボンのポケットから奇妙な小さな箱を取り出して私に持たせた。
私はそれに興味を持った。見るとそれは紙で出来た縦横十センチほどの山吹色の箱で、その箱の真ん中に丸い穴が開いていた。
穴が開いているので当然その箱の中に入っている中身が見えるようになっているのだが、中には小さな玉虫色の巾着のようなものが入っていた。
「嗅いでごらん」と男が言うので、私はそれを鼻先に持っていくと、いままでに嗅いだことのない、甘いような、でもほんの少し苦いような、少し線香のような匂いが混じった様な神秘的な匂いがした。
男はそれを「あげるよ」と言って私の手に持たせたまま、しばらく屋敷を見回すような様子をしていたが、すぐに車に戻って立ち去ってしまった。
私ははじめやってきた方へ向かって県道を走り去っていくその車を見送ると、屋敷の中へ駆けて入った。
屋敷へ戻るとすぐにその箱に入った奇妙な物を私は妹や従姉弟に見せびらかした。
「変なにおいがするよ」といってみんなで次々にそれの匂いを嗅いで楽しんだ。
しばらくそうして遊んでいただろうか。居間にいた母親が「何この変な匂い」と言い出した。
その箱に入った物から発せられる妙な匂いはわざわざ近づけて嗅ぐまでもなく、今や部屋中に漂い始めていた。
私は「これだよ」と言って今もらったばかりのそれを母に見せてやった。
母は「なんなのこれ、誰にもらったの?」と尋ねた。
私は“知らない人”と言うと怒られそうな気がしたので、とっさにさっきお客さんみたいな人がくれたんだとかなんとか言った。
しかし側にいた叔母の顔が先ほどから真剣な、青ざめた様な顔をしており、それを何度も鼻先へと持っていきながら、なおも「どんな人だったの?男の人?」としつこく聞いてくるのである。
私はそんなに聞かれる意味がよくわからなかった。それがそんなに重要なことだろうかと思ったのだ。
私はその男の風貌をどうにか伝えようと思ったのだが、うまく表現することができなかった。
車でやってきたこと、お父さん(当時三十代後半だった)くらいの年齢のおじさんだったこと、そしてK叔母さんがいるかと尋ねられたことなどを話した。
一家、特に叔母は真っ青な顔でなおその男の特徴の詳細を尋ねつつ、同時にこう言っていた。
「私があのとき嗅いだ匂いは確かにこの匂いだったわ」
あとから知ったところによると、私が男からもらったそれは「匂い袋」と呼ばれる物だった。
小さな巾着の中に白壇や龍脳等の香料が入っており、防虫効果もあるので通常箪笥などに入れてその移り香を楽しむものらしい。
私たちが嗅いだ香はその白壇の匂いだったのである。
私はその後も叔母や両親、祖父母らから問われるその男の特徴を今述べてきた範囲で答えたものだが、これ以上の男の特徴は私も今はほとんど記憶していない。
会話の内容こそ覚えていたもののそのとき見た車の色さえ思い出せなかったし、男の服装に関してもほとんど記憶にない。
いたって普通の男だった。
一家に、特に叔母にだがその家を訪ねてくる客の心覚えのある者は誰もいなかった。
私の前に現れた男は一体何者だったのだろうか。
結局のところ家が全焼したのはこちらの不注意による過失か何がしかの理由による自然発火に過ぎなかったのかもしれない。
だがもしそれが放火だったと仮定して、火を放ったのは何者であったのか。
前日に訪れた下着泥棒と何か関係があるのか。そしてその男が残して行った白檀の匂い。
私の前に現れた男とそれらを結び付けて考えることはできるが、あくまでも可能性に過ぎない。
だがよく犯人は再び現場へ戻るなどといわれる。
家が全焼した日から三年は経っていたが、私が実際に会ったその男と叔母が見た下着泥棒とは果たして同一人物だったのだろうか。
そうではなかったとしても、その何者かは叔母に何の用があって訪ねてきたのか。
そしてなぜ私に匂い袋をくれたのか。いまだに分からない。